SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第35回「ルーズソックス」
公開日:2024/5/27
目の前の彼は、ルーズソックスを手に持って、それを思っきし鼻に押し当てていたのだ。
更衣室には上履きと靴下を脱いで入るため、靴下を上に乗っけられた状態で置かれている上履きが、廊下にはずらっと並んでいた。彼はそのなかの一つを手にとり、ガンガンに匂いを嗅いでいたのだ。
予期せぬ状況を目の前にすると人は止まる。完全に静止する。
私は走っていた前傾姿勢のまま、彼は靴下を鼻に当てたまま、固まっていた。
どういうわけか私が抱いていた気持ちは、あ、ごめん、だった。多分鶴の恩返しでこっそり障子を開けて部屋の中を覗いてしまったおじいさんも似たような気持ちだったのではないだろうか。絶対に見てはいけないものを見てしまった心持ちとでも言おうか、暴いてはならない事実を明るみにしてしまったのは、彼でも鶴でもなく、私とおじいさんである。うっかりでも確信的であっても、秘密という形を壊してしまったのはこちらだ。見られた、と同じくらい、見ちゃった、も案外同じくらいの衝撃があるのだ、とこの時に悟る。
私は私なりに、言わずもがな彼は彼なりに動揺していた。だからこそお互い視線を外せないまま、動きを完全に止めていた。
盗んだり、破いたりではなく、彼は嗅いでいたのだ。だから私が発見さえしなければ、おそらく秘密は秘密のままだっただろう。良い行いではない、絶対に。だから私が申し訳ない気持ちになる道理はまじでない。でも不思議と、あ、ごめん、だった。
「あ、うん」
どんな感情を込めて発したのか自分でもわからない声が出たのとほぼ同時に、彼は背中を向けて全速力で走り去った。一人になった私、投げ捨てられて廊下で蛇みたいになっているルーズソックス、プールから聞こえてくるホイッスル。夏の陽が差し込んで、歪な形の青春は時が止まったみたいだった。
時間がいつも通りに流れ出したので、私はルーズソックスを元の場所に戻してあげて、男子更衣室の扉を開けた。同じように遅刻してきていた男子がだらだら着替えをしていた。
「おはよう」
「おはよう」
それから、プール怠いよな、とか、昨晩のテレビ面白かったよな、とか話し掛けてくる友達を、失礼にならない程度に適当にいなしながら、たった今起きた出来事を反芻し、準備を整えて授業に参加した。体育の先生に、すみません、と謝ってからプールに頭まで浸かる。浮上した私の右側から聞こえたはしゃいだ声に目を向けると、ルーズソックスの持ち主の女の子が楽しそうに泳いでいるのが見えた。ぼんやり眺めていると目が合いそうになったので慌てて逸らす。謎の罪悪感が競り上がってきたので、私は闇雲に泳ぎ始めた。
それからこのことを誰にも言わず、過ごした。言えなかったわけではないのだが、言ったところで、覚える必要のなかった嫌悪感を抱く女子と、この後の学校生活が絶望的になる男子が一人ずつ生まれるだけだ。あとは授業の形式なんかも少し変わるかも。ただそれだけ。
だから、毎年思い出すにとどめていた。この出来事を、この気持ちを。
それから時間が流れて今現在。KADOKAWAで担当してくださっている方から、間もなく締め切りだという旨の連絡を受けた私は窓の外を眺めてからゆっくり、あの頃を思い、あの頃を噛み締めた。迷いはなかった。今の私にはやらなければならないことがある。もっとドライな言い方をすれば、これは仕事なのだ。だから決断した。
面白い話だから書いちゃおう、って。
気をつけてください。この先誰かの靴下の匂いを嗅ぐ予定のあるあなたに言っています。見られたら最後、私みたいな人間はヘラヘラ笑いながら平気で書きますよ。見られないようにしてください。あ、違う、嗅がないでください。
あア、どんな匂いだったんだろう。もうすぐプールの季節です。

しぶや・りゅうた=1987年5月27日生まれ。
ロックバンド・SUPER BEAVERのボーカル。2009年6月メジャーデビューするものの、2011年に活動の場をメジャーからインディーズへと移し、年間100本以上のライブを実施。2012年に自主レーベルI×L×P× RECORDSを立ち上げたのち、2013年にmurffin discs内のロックレーベル[NOiD]とタッグを組んでの活動をスタート。2018年4月には初の東京・日本武道館ワンマンライブを開催。結成15周年を迎えた2020年、Sony Music Recordsと約10年ぶりにメジャー再契約。「名前を呼ぶよ」が、人気コミックス原作の映画『東京リベンジャーズ』の主題歌に起用される。現在もライブハウス、ホール、アリーナ、フェスなど年間100本近いライブを行い、2022年10月から12月に自身最大規模となる4都市8公演のアリーナツアーも全公演ソールドアウト、約75,000人を動員した。さらに前作に続き、2023年4月21日公開の映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-』に、新曲「グラデーション」が、6月30日公開の『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -決戦-』の主題歌に新曲「儚くない」が決定。同年7月に、自身最大キャパシティとなる富士急ハイランド・コニファーフォレストにてワンマンライブを2日間開催。9月からは「SUPER BEAVER 都会のラクダ TOUR 2023-2024 ~ 駱駝革命21 ~」をスタートさせ、2024年の同ツアーでは約6年ぶりとなる日本武道館公演を3日間発表し、4都市9公演のアリーナ公演を実施。2025年4月に結成20周年を迎え、SUPER BEAVER 自主企画「現場至上主義 2025」を4月5日、6日にさいたまスーパーアリーナで行い、さらに、6月20日、21日に自身最大規模となるZOZOマリンスタジアムにてライブを行うことが決定。
自身のバンドの軌跡を描いた小説「都会のラクダ」、この連載を書籍化したエッセイ集「吹けば飛ぶよな男だが」が発売中