第10回「私の青春は間違ってなかった」後編/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない⑩
公開日:2024/5/31

これまで、私は友達とする日常会話が苦手だった。
何を話せばいいのかわからない。常に頭の中はこれを言ったら好感度が下がるかもしれないとシミュレーションゲーム状態。
同時に、話すことがなくなった時の沈黙も怖い。
その気遣いのような何かが人間関係に滑り止めをかけていった。
そんな中、苦悩と試行錯誤を重ね、私が見出した仲良くなるベストな方法は、同じ好きを共有することだった。
これまで、友達と仲良くなるために好きになったアイドルやアーティストはたくさんいる。
山田涼介やAKB48時代のまゆゆ、東方神起のジェジュン。友達と仲良くなればなるほど、推しへの好きも強まっていった。
丸い文字でポエムが書かれた画像を集めて交換したり、一緒に駄菓子屋でトレーディングカードを何枚も買って目を細めながら「せーの」で袋を開けたりした。
不純な理由で好きになった推しだけど、友達と一緒にカラオケで本人映像を流し、マイクを片手に小指を立てながらソファの上でジャンプして熱唱している時は、本気で推しを尊いと思っていた。
流石に推し被りは怖いので、友達の推しに一番近い人物を自分の推しにすることが多い。
なので、私も理を推すというより、理といつも一緒に塾に来る似た雰囲気をまとった先輩を推していた。
「やっぱあの二人めっちゃ似てるよね!?」「理は使っちゃってるから向井は譲るよ」と友達に言われ、理と一緒にいる先輩には向井というニックネームが付与された。
どこから入手したのかわからない先輩の写真データを保存したり、「今日はちょんまげにしてる可愛すぎか〜」とか「緊急事態! 自習室で理が寝てるからスケッチしに行くわ!」なんていうくだらない会話を永遠にしていた気がする。
向井理が背負うアウトドアのリュックの色が私たちのラッキーカラーになっていた。
自習室で推しの隣の席を確保した友達が、どうしてか水筒に入れていた納豆入りの七草粥を床にぶちまけて、薬草テロを起こした日は、一晩中電話で慰めた。
小さな友達

いつの間にか、毎日悪態をついてくる小学生とも、数ターン言い合いになった後「気をつけて帰れよ、また明日なクソガキ」と和解(?)しつつあった。
次第に、悪態のレパートリーも底を尽きたのか、気付けば二人で食べていたメガ山盛りポテトに伸びる手は、小さなクソガキの手が加わり3本になっていた。
どうやら、受験したくないけどテストの点数悪いから塾に入れられて、勉強したくないから宿題が終わらずいつまでも塾に居残りさせられているらしい。
小さい体で威嚇していた彼にもいろいろあるんだな…。
小さなお友達は、向井理ペアが来たら報告する見張り番に成長を遂げた。
時々、向井理達に話しかけ、学校や部活の話を収穫して教えてくれる。
帰宅部で部活の後輩はできなかったけど、とても優秀な小学生の後輩に出会うことができた。
クソガキみたいに向井理に話しかけようとか、メールアドレスを交換しようとかは一切ないけど、とにかく放課後のこの時間が愛しくて仕方がなかった。
しかし、高校2年生の夏、友達が急に帰宅部を卒業した。
体を動かして痩せたら、理の視界に入った時に申し訳ない気持ちが減るかもしれないと、テニス部に入ったのだ。ネガティブなのかポジティブなのかわからない。
夢中になるパワーだけは人一倍な友達。
塾に寄らない日も増えていった。
メガ山盛りポテトを食べ切るには、私とクソガキだけでは多すぎる。
寂しげに冷えてしなったポテトは私の心を映しているみたい。「向井、来たよ! お前こそ元気出せよ」と小学生に気を使われて情けなくなる。
私は、りぼんちゃんが不在時に起きた理の話ができるように、塾では向井理の偵察を引き続き務めた。
最近は新しくできた友達と、私の入る余地のない部活の出来事を楽しげに話している。
あの時間はもう戻ってこないのかなと不安が募っていく。
理の報告をすると、目を輝かせて「やっぱ好きすぎる〜」と悶える彼女を見てまだ大丈夫だと安堵する。
放課後に水滴の汗をかいたパピコも、ほかほかの肉まんも半分こできないまま冬になった。
2月14日
2月14日バレンタイン。
(いつか本命のチョコを誰かに渡す日は来るのかな)
いつものポテトだけではそっけないので、クソガキに義理チョコをあげることにした。
「キモっ!」と言われるだろうけど、一人になってしまっても私と毎日一緒に過ごしてくれたお礼を込めて。
コンビニでは、少し高くて買うのをいつも躊躇ってしまうメルティーキッスの生チョコ。
四角い箱の開け口に食べ終わったら気兼ねなく捨てられる程度の言葉を修正ペンで書いて添えてみた。
自分には当時ハマっていた、チョコの中にとろりと琥珀色のブランデーが入ったバッカスと、ラム酒を飲んだレーズンがほろ苦いラミーを用意した。
この時から、お酒が好きになる予兆があったのかもしれない。
いつも通りの様子でポテトと一緒に取り出したメルティーキッスを、おしぼり渡すくらい自然に渡してみた。
「なんだよ、これ?」
「誰よりも義理チョコのバレンタイン」
「向井には渡したん?」
「渡さないよ、話しかけたこともないし」
するとクソガキが急に得意げな表情を浮かべ
「俺が渡してきてあげようか??」
と恋のキューピットのごとく立ち上がった。
「まじでやめろ、そういうのはいいから」と私も後を追う。
その日は、向井理ペアはいつもより早く塾に来て、受験真っ只中ということもありピリついた自習室で付箋だらけの赤本を開いていた。
温まり始めたばかりの自習室のドアを勢いよく開け、クソガキが後ろを振り向き私にウインクをする。
メルティキッスを取り返そうとドタバタとピンボールのように机や壁にぶつかる。
くすくすと笑うクソガキのさえずり。
ピリついた自習室の空気とひりつく私の心。
その瞬間、理が乱暴に立ち上がり、本当に迷惑そうな顔でギロリと私達を睨みつけた。
「…っうるさい。聞こえてるんだけど。」
初めて私に向けられた言葉。
思ったより身長高いんだとこんな時まで観察日記をつけてしまう。その後すぐに押し寄せる動揺。
謝ろうとした矢先に、理は立ち上がり私達の間をすり抜け、怒りの足音だけ残して消え去っていった。
トイレにこもって、ラミーとバッカスを一気に食べ切っても、心はあらぬ方を向いており、どろりと苦い味がするだけだった。
それ以降、私は塾に行くのが億劫になった。
帰り道なので塾の前は通るが、寄らずにまっすぐ家に帰った。
同学年にすらあんな負の感情を向けられたことがない。
学校でどうかすれ違わないでくださいと祈る毎日。
全て自業自得なんだけど、あんなに楽しみだった天国のような場所はジェットコースターのように終点、地獄に落ちた。
休憩室での話し声も、全て聞こえているという意味だったら恐ろしすぎる。
理の話題も底を尽き、話すことが憂鬱になり、りぼんちゃんともクソガキとも疎遠になった。
もうすぐ3年生で受験もあるし、勉強に打ち込もうといつからか推しは勉強に変わっていった。
3月14日
あれから1ヶ月が経った、3月14日。
今日もドトールでハニーカフェ・オレ飲みながら勉強する。
理たちが卒業するまでは、自習室は近寄らない。
塾の前を通り過ぎようとした時「おい!!ババア!」と呼び止められた気がした。
振り向くとそこには、1ヶ月前と比べて髪を切ってちんちくりんになったクソガキが立っていた。
まだ厚手のコートは手放せないほど寒く、白い吐息のショートケーキ、鼻先は真っ赤なイチゴみたい。
「あ、クソガキ。久しぶりじゃん!あまちゃんのウニみたいに美味しそうな頭になったな」
「じぇじぇじゃねえよ。うっせっ。これ、食って元気出せよ」
手に掲げていた茶色い紙袋を差し出す。その中には、ステラおばさんのチョコチップクッキーが何枚か入っていた。
「カントリーマアムより高かったから、きっとうまいよ」
急にステラおばさんのクッキーを渡された私の頭の中は!と?で埋め尽くされた。これってホワイトデーなんだろうか。
挨拶もそこそこにクソガキは塾に戻り、私はドトールには寄らず、紙袋を握り締めそのまま家に帰った。
冷蔵庫からレッドブルを取り出して、制服をリビングに脱ぎ散らかし、今は部屋着にしている中学の時のジャージに身を包み、クッキーを取り出した。
包み紙には、歪な文字で「ごめんね。」と書かれていた。
こんないい奴だったっけ?もう、クソガキじゃないじゃん。
とびっきり甘いはずのチョコチップクッキーが、少ししょっぱくなった。
花びらのような時間

向井理たちも受験を終え、あれ以降視界にほとんど入ることもなく卒業していった。
花びらに押され、塾に勉強をしようと舞い戻るとクソガキもいなくなっていた。
理のいなくなった塾には、りぼんちゃんも来なくなった。
あの時間は私の高校生活にとって美しい時間だったのかもしれないと、気付いた頃にはもう桜みたいにしぼんで散っているんだ。
だから私はその断片のような花びらを、1枚1枚拾っていつまでも押し花にして栞に挟んでとっておくんだ。
クソガキはクソガキだけど、根はいい奴なのできっと今頃たくさんのチョコをもらえているだろう。
向井理には、どうかこの文章だけは読まれていないことを願う。
そして、りぼんちゃんは知らぬ間にInstagramのアイコンが、背中に大きな白いリボンがついたウエディングドレス姿に変わっていた。
霧尾くんが、高校生のときに挟んでおいた栞のページを開いてくれたのかもしれない。
あのなんでもない日の記憶を。
