第11回「1日外出録ユッケ」/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない⑪

文芸・カルチャー

公開日:2024/6/14

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

雨がもしもしと、わたしのつむじをつつく。

真上を向くと、テーブルコショウのように、なんともいえない、ざらついた灰色の空。
思わず、くしゅんとくしゃみをする。これは、きっと肌寒さのせい。

ぼたぼたと雨に打たれるたびに、
聞きたくもない愚痴をぶつけられているような気持ちに染まる。

なんかもう、わたし、駄目かもしれない。

梅雨がやってきたのだ。

今年はビニール傘を、なくして、取られて、なくして、何本買うことになるだろう。
仕方なく、夢の国で買った青い傘をひらく。

新卒時代に着ていた真っ黒なリクルートスーツにレインブーツを合わせて、雨だろうと曇りだろうと、今日こそは…初出社するんだと家を出た。

我が家には、いまや4匹もいる猫たちが、入れ替わり立ち替わり挨拶しにやってくるので、愛でているうちに1日があっという間に終わってしまう。

ということもあり、在宅やフリーランスの方々が集うワーキングスペースで作業することに決めたのだ。

まだ朝の8時半、出だしは良好。朝ごはんを食べに行くかと、ゆで太郎に立ち寄った。
ワンコインさえ握りしめていれば、出来立てほやほやの朝蕎麦をすすることができる。

会社員時代は、早く家を出て、本を読んだり資格の勉強をしたり、意識高く過ごしたいなと夢見た時期もあった。

思っているだけで、早起きできたのは一度だけ。スターバックスで朝から何をどんなテンションで注文していいかわからず、結局ゆで太郎に行ったのだった。

あの時とは違って、ゆで太郎にもつ次郎も合体している。
いつのまにか、二世帯住宅になっていた。

せっかくなので、もつ煮込みにするか、もつ炒めにするか。
アジフライにするか、から揚げにするか。究極の選択を朝から迫られる。

目を右左にきょろきょろさせ、悩んでいると発券機の端っこに、「呑み助セット」980円の文字の輝き。

心の中の大槻ハンチョウが「ふふ…下手だなぁ」とささやく。

「欲望の解放のさせ方が下手。ゆっけ、くんが本当に欲しいのは…呑み助セットだろう」

『1日外出録ハンチョウ』

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

そうだった。一度やってみたかった。

漫画『1日外出録ハンチョウ』に登場した、スーツを着て昼から酒飲みながら蕎麦屋に行くあれ。

『1日外出録ハンチョウ』とは、『賭博破戒録カイジ』でもお馴染みの、地下労働施設で働くE班のハンチョウ・大槻のお話だ。

彼が「1日外出券」を使って、地上で1日を過ごすほのぼのとした平和な物語。

この貴重な1日に、ハンチョウは、平日にわざわざスーツを購入し、サラリーマンたちが昼休憩に訪れる蕎麦屋に足を運ぶ。

ちなみに、その蕎麦屋は立ち食い蕎麦屋なのだが、あえてテーブル席にどっしり腰を下ろす。コロッケとかき揚げ、えび天などおつまみを頼み、悪い顔をして生ビールを堂々と頼むのだ。

もちろん蕎麦は〆でいただくつもり。
周囲のサラリーマンの動揺、喉をごくりと鳴らす音。

飲みたくても飲めない、サラリーマンへの優越感を肴に、ぐびぐびとビールを煽るハンチョウ。

一見、昼間から酒を飲む、だらしない飲んだくれに見えるだろう。
しかし、スーツをぴしっと着てしまえば、昼間から酒を飲んでも許される権力者、まるで重役のように見えるというわけだ。

わたしは、ハンチョウの影響を受けて、いつか、いつか試してみたいと思っていた。

たまたまスーツを着ていて、まだ明るい時間帯、全ての要素が揃っている。

こんなの…。
GOだ…。

もつ炒めに、アジフライ、おみ漬け、お好きなアルコール2本も選べるのか。
ビールを冷蔵庫に冷やして、夜にまた会おうねと約束したばかりなので
一旦ここはハイボールを選んでおこう。

すっと出されたアジフライ。提供スピードは大学の食堂並みに早い。
アジフライにはソースと、酒に合わせることも考えてマヨネーズも少しだけ添えておく。

魅惑の呑み助セット

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手と手を合わせて、いただきます。

キンキンに冷えたグラスにハイボールを缶から注ぐ。
おっはモーニング肝臓さん!と勢いよくハイボールが流れていく。
炭酸が道を開けろと、喉を開いてくれて、開通工事完了。

出勤前のサラリーマンや夜勤明けの運転手さんたちが、ごくっと喉を鳴らすのではなく、ぎょっとした目でこちらを見ている。

思ってたのと、ちょっと違うぞ。

玉ねぎ、ニラ、にんじんたちがモツにもたれあい、豚キムチのような辛さがピリリ、甘辛味噌が具材たちの手をしっかり握っている。
ぷりぷりでぐにぐにのモツをいつまでも噛み締めていたい。

立て続けにアジフライをざくっと一口。
ずっしり肉厚で白身部分はふんわりと羽毛布団のように柔らかい。

このお布団に、思いっきり飛び込んでも大丈夫。
ちくちく小骨と出会うことなく、純度100%のアジフライ。

わたしにとって、ごきげんな朝食とはまさにこのこと。
ちょい飲みどころではない。晩酌に負けじ劣らず、しっかり飲んでいる。

いつの間にか、グラスに注ぐことが面倒くさくなり、缶のままぐびぐびっとハイボールを煽る。

ジョッキよりも缶で飲むハイボールの方が、ほろほろ酔いやすいのはどうしてだろう。
お酒がゆったり回ると、気持ちにゆとりが出てくる。

いつも「時間がない!時間がない!」と何かに追われているような気がしている。
その割には、ソファでごろんと漫画を読んだり、喫茶店でマフィンを食べながら映画を見たりしているのだが、漠然とした締切に追われている気がしてならない。

一方で、ハンチョウも限られた時間の中で、自由を満喫している。

与えられた時間は、たった24時間。
過ぎてしまえば、また地獄の日々に戻され、まるでシンデレラ。

にもかかわらず、おもむろにニットにくっついた毛玉をひとつひとつ取りはじめる。
毛玉をとることに数時間も費やしていたら、無駄な1日を過ごしてしまったと、わたしなら後悔するだろう。

しかし、ハンチョウには、記憶にも思い出にもならないような無駄な時間のことも、愛せる余裕があるのだ。

生きていく上で、見習っちゃいけないんだけど、暮らしの豊かさを教えてくれる。

朝に〆るつけ蕎麦の温もりが、身に染みる

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

わたしも、そろそろ〆の蕎麦をいただこう。

肉舞茸汁に天かすと七味を降らせて、おいしい水たまりに、ちょんちょんと蕎麦をつけて勢いよくすする。

おいじーーー!!

つけ蕎麦にすれば、猫舌でも温度調整しながら食べられるので、ありがたい。
ほっこり温かい蕎麦は、あたりまえの日常の中に潜んでいる、かけがえのない宝物のような味がする。

実家に残してきた誕生日にもらったくまのぬいぐるみのような、クッキー缶にしまってある手紙やプリクラのような、忘れかけていた思い出のような懐かしさと微熱を感じて、心地いい。

ふぅ…。
たらふく飲んで食べてしまった。

まだ朝なのに、もう眠い。

お腹いっぱいで何もやる気が起きない、今日この先、やる気が起きる未来も見えない。
お先真っ暗というよりも、光が眩し過ぎて、目の前が何も見えないんだ。

うとうと、ハンチョウに膝枕してもらっている自分を想像する。

そういえば、「帝愛裏カジノのパチンコ台「沼」を再現したい・・・・!!」というクラウドファンディングで、膝枕もできるやわらかハンチョウBIGフィギュアがもらえるコースがあった。

一目惚れだった。これは申し込むしかない。

マウスでかちかちクリックしていくと、目の前に立ちはだかる40万円の文字。
そっとブラウザを閉じて、また開いて、お気持ちばかり課金しておきました。

イカサマのサイコロを振ろうとしている彼の膝枕、果たしていい夢は見れるのだろうか。

今日は、家に帰ってうたた寝しよう。
もしかして今日は、何にもやるべき日ではなかったのかもしれないね。
おやすみなさい。

<第12回に続く>

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さかむら・ゆっけ、●酒を愛し、酒に愛される孤独な女。新卒半年で仕事を辞め、そのままネオ無職を全う中。引っ込み思案で、人見知りを極めているけれど酒がそばにいてくれるから大丈夫。たくさんの酒彼氏に囲まれて生きている。食べること、映画や本、そして美味しいお酒に溺れる毎日。そんな酒との生活を文章に綴り、YouTubeにて酒テロ動画を発信している。気付けば、画面越しのたくさんの乾杯仲間たちに囲まれていた。