弟の夢/【吉澤嘉代子 エッセー連載】ルシファーの手紙 #8

文芸・カルチャー

公開日:2024/8/25

 弟が生まれてから、私は弟を守る夢をみるようになった。マスコットのように小さくなった弟を抱いて逃げる夢。弟をいじめるヤクザやごろつきなどと戦う夢。

 自分だって悪戯を仕掛けて泣かせていたくせに、おとなしいあの子が人知れず嫌な思いをしていないかいつも心配だった。

 だから弟がコンビニでアルバイトを始めたときは驚いた。弟が接客をしている姿なんて想像もつかなくて、家族でぞろぞろと偵察に向かった。

 店内に入るやいなや「いらっしゃいませぇぇぇ」「ありがとうございましたぁぁぁ」という大声が聴こえる。大きな声を出すことに慣れていない人の、ゲインを振り切ったような音割れした声。弟だ。いや声大きすぎるでしょ。でもあの子らしい。ふざけているんじゃない。本気で挨拶してるのだ。

 あるとき、何かの付録だったオルゴールキットを弟にあげたら、器用な手先でいつの間にかオリジナルソングを完成させていた。ボンカレーの裏紙にパンチを打ち、ハンドルをくるくると回しながら聴かせてくれたのは、オルゴールの概念を超えた不思議で複雑な音楽だった。魔法が形を成したようだった。

 私の弟はおもしろい。何がおもしろいのか言葉にするのは難しいけれど、口数の少ない彼が切り取るものの見方一つずつが私にはおもしろくてたまらないのだ。

「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」
「ぶらんこのりだからな」
だんなさんはからだをしならせながらいった。
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」

                        『ぶらんこ乗り』(いしいしんじ/新潮社)

 小学生の頃に出会った、私がこの世でいちばん愛している一節だ。主人公の弟が作るサーカスのぶらんこ乗りのお話。この天才の弟に、私は自分の弟を重ねて読んでいたと思う。

 手を繋いではまたはぐれて、繰り返し巡りあう。それはどこまでも不確かな人間たちが唯一できる他者との繋がりかた。子供ながらに人生そのものだと思った。

 本当に苦しくて仕方のないときに、弟から「かよちゃんは死なないでね。その方が絶対良いから。」とだけメッセージが届いたことがある。そのとき、幼い頃から守ってくれていたのは弟の方だったのだと気づいた。

 この世界でたった一人のへんてこでまっとうな私の弟。空中ぶらんこのロープを握って、私をこの世界に繋ぎとめてくれていたんだ。

吉澤嘉代子

<第9回に続く>

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吉澤嘉代子

1990年6月4日生まれ。埼玉県川口市鋳物工場街育ち。2014年にメジャーデビュー。バカリズム原作ドラマ『架空OL日記』の主題歌として1stシングル「月曜日戦争」を書き下ろす。2ndシングル「残ってる」がロングヒット。2025年4月20日に2度目の日比谷野外音楽堂公演「夢で会えたってしょうがないでショー」を開催。デビュー11周年記念日となる5月14日に『第75回全国植樹祭』大会テーマソング「メモリー」をリリース。9月放送のNHK夜ドラ『いつか、無重力の宙で』では書き下ろし楽曲「うさぎのひかり」が主題歌に決定。10月から全国ツアー「歌う星ツアー」でライヴハウスをめぐる。