行方不明になった恋人はなにを隠しているのか。大阪、福岡、台湾……旅の果てに見つけた真実とは? 西尾潤『フラワー・チャイルド』
公開日:2024/11/1

人にはいくつもの顔がある。自分に向けられる顔と他人に向けられるそれとが一致しないことは珍しくなく、人間という生き物は実に多面的だ。だからこそ、ひとりの人をちゃんと理解することは容易ではなく、その過程はまるで途方もない旅路のようでもある。そんなことをまざまざと突き付けられるのが、長編小説『フラワー・チャイルド』(西尾潤/KADOKAWA)だ。
本作の著者である西尾潤さんは2018年に第2回大藪春彦新人賞を受賞し、『愚か者の身分』でデビューした。2作目『マルチの子』は大藪春彦賞候補にもなり、3作目『無年金者ちとせの告白』まで、一貫してノワール小説を書き続けてきた気鋭の作家だ。いずれも社会の暗部へと切り込みながらも、どこか爽やかさも感じさせる独特の作風で知られている。そんな西尾さんの新作だからこそ、今度はどんなノワール小説を書き上げたのかと期待しながら『フラワー・チャイルド』を手にする人も少なくないだろう。しかし、それは良い意味で裏切られるはずだ。
本作の主人公は祭実理科(まつり・みりか)。「環境料理家」である母・八重子のもとで暮らしている、ひとりの女性だ。しかし、ある日突然、八重子が死んでしまう。残された実理科は八重子のアシスタントである詩織とともに通夜の夜伽をしようとするのだが、そこに八重子の恋人を自称する男たちが現れ、静かな夜が騒がしく崩れていく。
やがて明らかになるのは、死の直前、八重子が謎の青年と会っていたこと。そして、その青年は、実理科が思いを寄せていた恋人・啓太だったことだ。八重子の死には、啓太が関係しているのかもしれない。しかし、それを確認することは叶わない。なぜならば、啓太は行方不明になっていたから。そうして実理科は母の死の真相を探るため、啓太の行方を追うことを決意するのだが――。
舞台は東京からはじまり、大阪、福岡、沖縄、そして台湾へと移り変わっていく。職を転々としていた啓太の足取りを追いかけていくにつれて実理科の世界が広がっていくさまは、さながらロードムービーのようだ。新しい場所で啓太の意外な一面を知り、それによって彼のことがわからなくなっていく。真実に近づけているようで、遠ざかっているような気もする。その筆致から実理科の焦りや戸惑いが伝わってくるため、読者自身の心のなかもざわざわと波立っていくだろう。
少しずつ見えてくるのは、啓太の周辺には生と死のにおいが漂っている、ということ。啓太が過ごしていた土地では、必ず不可解な出来事が起こっている。そこから推測するに、やはり八重子を殺したのは啓太なのだろうか……。読者の疑念が募ったところで、本作は思いも寄らない方向へと舵を切る。啓太が抱えていた真実に触れたとき、きっと誰もが切なさと悲しみに包まれるに違いない。ただひとりの青年に対して、どうして運命はこうも過酷なのか、と。
同時に、実理科自身が封印していた過去も明らかになる。そこからの展開は圧巻だ。運命に翻弄されながらも自らの意志と足で立ち上がり、未来を諦めない啓太や実理科の生き様が、心を震わすような感動を呼ぶ。
最初に「良い意味で裏切られる」と書いた。これまでのノワール小説とは異なる雰囲気を持つ本作に、そう感じさせられるのは事実だ。しかしながら、共通しているものもある。それは「どんな状況に追い込まれても、立ち上がる人々の姿」だ。振り返ってみれば、西尾さんの作品にはそういったキャラクターが多い。これまでの作品で描かれてきた、裏社会の闇に飲まれてもそれでも生きることを諦めない人たちと、本作で描かれる、理不尽な運命に立ち向かう人たち。彼らの姿からは、西尾さんが強く訴えかけたいメッセージが感じられ、それが静かに胸を打つだろう。
文=イガラシダイ