口裂け女や貞子はなぜ怖い? 都市伝説、怪談などで描かれる“怖い女”たち

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公開日:2018/3/29

『怖い女 怪談、ホラー、都市伝説の女の神話学』(沖田瑞穂/原書房)

 怪談、都市伝説、ホラー映画にホラー小説……わたしたちの生活には、怖い話にふれる機会があちこちにある。たとえば1970年代に出現した口裂け女は、噂話やテレビ、映画、文学作品などを通して、いまでもしっかりと生きている。ジャパニーズ・ホラーの代表格である貞子、伽椰子は、世代や国境を超えて人々に恐怖をもたらしつづけている。しかし、こう思ったことはないだろうか。「どうして怖い話には、怖い女性がたくさん出てくるのか?」と。

『怖い女 怪談、ホラー、都市伝説の女の神話学』(沖田瑞穂/原書房)は、神話の時代から現在に至る“怖い女”の系譜をたどる1冊だ。なぜ彼女たちは恐れられるのか、どのように恐怖とむすびつけられるのか。この問いを、各国の神話や映画、文学、都市伝説、さらには実在する女性犯罪者まで、幅広く見渡しながら解き明かしていく。とくに神話学の手法を用いる本書では、さまざまな“怖い女”を紹介するだけでなく、その比較から“怖い女”の原型にせまろうとする点が特色だ。

 神話の“怖い女”といえば、まずイザナミノミコトが思いだされるだろう。夫イザナギノミコトとともに、日本の国土や神々を産みだした女神である。イザナミは火の神カグツチを産んださいに、陰部を焼かれ死亡した。夫イザナギは黄泉の国まで迎えに行き、禁を破ってイザナミの姿を見てしまう。蛆や雷がたかった醜い姿にイザナギは驚き恐れ逃走する。怒ったイザナミは追いかけ、ふたりは黄泉の国とこの世の境界である黄泉比良坂で別れた。イザナミは「あなたの国の人間を1日に千人殺しましょう」と言い、イザナギは「わたしは1日に千五百人の産屋を建てよう」とこたえ、人間の死と増殖の運命が定められた。

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 醜い姿を見られて怒り、追いかける――日本神話のイザナミにみられる“追いかける恐ろしい女”は、現在に至るまで受け継がれる“怖い女”のひとつの型なのだという。

 たとえば、冒頭で述べた口裂け女。「わたし、きれい?」とたずね、「きれい」と答えると「これでもきれい?」とマスクを取り、耳まで裂けた口をみせる。きれいではないと答えると、追いかけ刃物で殺そうとする。美醜にこだわり、追いかけてくる“怖い女”口裂け女は、イザナミの系譜に連なるといえる。

“怖い女”の系譜をたどるうち、その恐怖の根源が、女性の両面性にあることが明らかになってくる。その両面性とは、優しさと恐ろしさ、美しさと醜さ、そして究極的には生と死である。イザナミははじめ、生を司る美しい女神だった。しかし夫に醜い姿をみられたことで、人々に死を運命づける恐ろしい女神へと化した。口裂け女は、耳まで裂けた口で犠牲者の生を呑み込んでゆく存在とみなすことができる。

 生を与える存在でありながら、その生を回収し死をもたらすという両面性が、“怖い女”を“怖い女”たらしめている性質であり、だからこそわたしたちは“怖い女”に惹かれてしまうのだという。この論理でみると「『リング」』シリーズの貞子が支配する生と死は、いっそうダイナミックだ。貞子は、身体的には子どもをつくれない。しかし呪いのビデオテープを、あたかも子どもを次々に産むかのように増殖させていく。ビデオテープを介した自己増殖という、いびつな形ではあるが、母になろうとするのである。一方でビデオテープの増殖は、犠牲者の死の増殖も意味する。生と死を司る、いびつな母としての貞子――貞子の怖さは、根源的には“母性”の怖さであると著者は指摘する。

 母と子、あるいは母性なるもの。これも“怖い女”の怖さのゆえんとして見逃してはならないという。本書の後半では、手記や映画、文学作品を読み解きながら“母なるもの”の怖さが明らかにされていく。母は子を産み、生をもたらす。しかし母が子を過剰に一体化しようとする、すなわち子を呑み込もうとすれば、子は自傷行為や死に向かう可能性がある。近年注目される“毒親”を思い浮かべれば、その危険な関係にピンとくるだろう。

 本書では、怪談やホラー作品、都市伝説などを入り口にして、女性の怖さの解読することができる。本書の面白さはそれだけではない。遠い昔のことだと思っていた世界各国の神話から、日頃キャーッと怖がって消費するだけだった怖い話から、人間の本質を浮き彫りにできる、そんなことを教えてくれる1冊なのだ。本書を手がかりにして、さまざまな説話、作品を読み解いてみるのも楽しいだろう。

文=市村しるこ