東大女子の人生はハードモード? “究極の高学歴女子”の現実
公開日:2018/5/12

東大は、いわずと知れた日本最高レベルの大学だ。東大卒といえば、どこへ行っても引っ張りだこの人気者というイメージもあるかもしれない。しかし、必ずしもそうではない現実がある部分で存在している。そのある部分とは、女子である。東大へ行った女子が、その「究極の高学歴」と反比例するかのような現実に直面している場合があるのだ。そうしたケースを紹介したのが『ルポ東大女子』(おおたとしまさ/幻冬舎)である。
東大女子を取り巻く問題の多くは、学歴コンプレックスの問題とジェンダー問題が複雑に絡み合って生まれている。つまり、東大卒という高学歴に対するイメージと、女性に対して社会・男性が抱き求めるイメージの奇妙な融合がそのまま東大女子の生きづらさを作ってしまっているのだ。たとえば、労働市場と結婚市場における価値の上下だ。男性の場合、労働市場における成果と結婚市場における成果はかなりの確率で比例する。少なくとも「仕事ができる男となんて絶対結婚したくない」といわれることはあまりないのではないだろうか。ところが、このセリフを「男」から「女」に変えた場合、どういうわけかこのセリフが成立してしまう。「仕事ができる男なんてごめん」という女性は少なくても、「仕事ができる女なんてごめん」という男性は意外にいる。もちろん男性全員がこのような価値観であるわけではない。これはパーセンテージの問題である。
先程のセリフの頭に「自分より」を付けるとよりイメージしやすいだろう。「自分より」バリバリ仕事をこなし、「自分より」多くの給料を稼ぎ、「自分より」社会的地位も評価も高い。そんな女性を前に堂々と自己主張できる男性のパーセンテージは果たしてどれくらいだろうか。何しろ、多くの男性にとってプライドは時に命よりも大事なものだ。そして「自分より」できる女性が隣にいることで不快感や居心地の悪さを覚えるのであれば、それはその男性の中に「男性は女性よりも上にいるべきだ」という価値観がある何よりの証拠だ。その価値観は転じて「女性は男性よりも下にいるべきだ」という形にもなる。また、このような価値観の問題は何も男性だけではない。女性にだってある。以下は本書で紹介されているとある某女子大卒女性の言葉だ。
「東大女子の友達はいました。でも頭の回転が速すぎて、何を言っているのかわかりませんでした(笑)。ときどき数合わせのために合コンにも誘いましたが、彼女たちはモテない。(中略)東大女子が合コンで役立つのは、『この子東大なんだよ、すごいよね』って話を振っていじるくらい。あえてそこを選ぶ男子はいませんよね」
高学歴は、どういうわけかこと女性に限ってはマイナス面に働いてしまう場合が多いようである。
また、東大女子が人生で厳しい選択を迫られるタイミングが、結婚後にもある。高学歴なのだから、東大女子は会社の中でも出世しやすい。重要な仕事を任され、やりがいを感じている場合もあるだろう。しかし、結婚後に出産するとなると、そういったキャリアも危うくなる。何しろ産むのは絶対に女性であるのだし、何より社会にはまだ「子どもを育てるのは女性」という価値観が根強い。結果、東大女子はそれまで築いてきたキャリアを途切れさせて家庭に入る場合も少なくない。それもひとつの道だといえばその通りなのだが、もし東大女子が専業主婦として完全に家庭に入った場合、その世帯の生涯収入はおよそ3億円下がるというデータがある。ここにも高学歴女子のジレンマが存在するのだ。
ところで、先述の子育てと収入のジレンマに対して、自分が家庭に入ることを選んだ東大女子ならぬ東大男子が存在している。彼は「子どもが小さいうちは両親のどちらかが傍にいてあげたい」と考え、会社を辞めて自宅で翻訳の仕事をし、主夫をやっているのだ。彼が会社で働き続けていれば、生涯収入は4億円近くに届いた可能性もあるという。しかし、彼は主夫の方を選んだ。いわば生涯収入すべてで家族との時間を買ったのだ。男女問題・働き方の問題・女性の社会進出問題など、東大女子を取り巻く問題はどれも深刻かつ根深いものだが、その中でも互いに最善を探り合える相手と出会えたなら、それはとても幸運なことではないだろうか。
文=柚兎