信長は我慢強くて信心深かった!? 史料から織田信長の「虚像」と「実像」を解き明かす
公開日:2020/4/4

歴史研究というのは、実験などを必要としないため誰でもアプローチが可能な反面、自説に導くために史料の解釈を歪めている例が少なくない。とはいえ、突拍子もない説は嫌いではないし、新たな説に触れるのもまた面白いと思う。例えば、NHK大河ドラマの『麒麟がくる』が明智光秀を新たな解釈で描いているように、主君だった織田信長の研究も進み、近年では一般的に広く知られているイメージとは異なる説が注目されるようになってきた。そのような中で、複数の執筆者が膨大な史料をもとに多角的に論考している、この『虚像の織田信長 覆された九つの定説』(渡邊大門/柏書房)は、歴史の一般書籍としても、歴史研究に興味を持つ人の入門書としても、価値ある一冊だろう。
「天下布武」の主語は信長ではない?
信長が「天下布武」の印章を使っていたことは、早くから天下一統を掲げて自身の権威を示すためと語られることが多い。しかし初出文書は、ようやく尾張と美濃の二国を平定した直後の永禄十年((1567))十一月で、信長が「天下」を「武」で統一する構想を持っていたとすれば、さすがに常識はずれというより誇大妄想というもの。本書では、「天下布武」の主語は信長ではなく室町幕府、つまり第15代将軍の足利義昭であるという説を紹介している。
義昭に副将軍や守護職などへの任官を示されても、それらを辞退して支配下に入ることを回避していた信長。朝廷から官位を受けたかと思うと数年で辞官してしまい、以後は任官を断っているため、やはり朝廷の臣下に組み入れられるのを嫌った、あるいは対立していたと考えられている。だが一方で、高齢の正親町天皇に代わって執政していた誠仁親王(さねひとしんのう)の生母にあたる万里小路 房子(までのこうじ ふさこ)が死去し、朝廷が沈滞ムードの渦中にあったおりには、「馬揃え」を行なった。これはいわば軍事パレードのため、朝廷への軍事的威圧と捉えられてきたが、信長自身も美々しく飾り立て、爆竹を鳴らして馬を駆けさせる娯楽的な要素があり、朝廷を活気づけようとしたと解釈できるそうだ。
信長は信心深かった?
信長は軍事面での評価が高く、「兵農分離」によって職業軍隊を創設し、長篠の戦いでは「鉄砲三千挺による三段撃ち」などの功績を挙げたのは知られるところだ。しかし、そもそも戦国大名の直臣が城下町に住むのは珍しいことではなく、それ以外の配下の武士は必ずしも城下に住んでいなかったため、多くの武士は村落において自身も農作業に従事していたらしい。三段撃ちにしても、三列に並んだ射手が交代したのではなく、三ヶ所に配置された鉄砲衆が輪番射撃を行なっていたようだ。むしろ信長の特徴とも言える兵法は、合戦に際して準備を周到に整え、決して少ない兵では戦わず、相手に書状を送って粘り強く交渉を重ねたのちに、いざ合戦となったら「迅速」かつ「徹底的」に殲滅するというものだった。
残酷なイメージがある信長。上記のように、最終的に殲滅するのが信長の残酷性を示すとすれば、比叡山焼き討ちをしておきながら本願寺を降伏後に破却しなかったのは、信長らしくないように思える。実は神や仏を信じなかったとされる信長の宗教観については、イエズス会の宣教師であるルイス・フロイスが書いた『日本史』の記述に引っ張られているようなのだ。というのも、フロイスはキリスト教の布教を目的にしているため、「信長が僧侶を憎らしげに罵った」とか「石仏の首に縄を掛けて引かせた」とあっても、裏付ける日本側の史料が乏しく、割り引いて考える必要があるという。実際、信長は安土城を築城した際に自らの菩提寺とするために臨済宗妙心寺派の寺院を移築しており、仏教を信仰していたことが分かるし、「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を用いていて、本能寺の変の舞台となる本能寺も法華宗の寺院である。
本書を読むと、かなり信長のイメージが変わってしまうように思えるが、これまでの信長像を裏切らないエピソードも紹介されている。安土城の築城後に、120人もの馬廻衆・弓衆が家族を尾張(愛知県)に家族を残してきている「単身赴任」であることが発覚すると、長男・信忠に命じて彼らの尾張の家を焼き払い、家族と一緒に城下町に住まざるを得ないようにしたのだとか。
私のような歴史研究のトレーニングを受けていない人間は、当時の一次史料を読めないし、研究史を読み込むことも難しいため、とかく面白そうな説ばかりが記憶に残りがちだ。けれど、それがひっくり返される快感というのもあるので、新説を取り入れた創作物が現れるのをこれからも愉しみにしている。
文=清水銀嶺
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