「やられたら倍返ししろ」父の教育通り暴力ばかり振るっていたらとんでもないことに…/実家が全焼したらインフルエンサーになりました⑤
公開日:2020/6/20
実家は全焼、母親は蒸発、父親は自殺…。新橋で働くサラリーマン“実家が全焼したサノ”がインフルエンサーになるまでの軌跡を描いた、笑いあり・涙ありのエッセイ集。

地上最強の子に育てられた話
僕の父は、いわゆるヤンキーでした。
学歴は中卒、髪の色は金髪、道端でケンカを売られれば必ず買う、やさぐれてると道端の不良にケンカを売る、ただし100%負ける。それが僕の父でした。
そんな父の教育方針は「やられたら倍返ししろ」、これだけでした。
そして父が僕を育てるために参考にした本は、『たまごクラブ』でも、『ひよこクラブ』でも、『こっこクラブ』でもなく、『グラップラー刃牙』(秋田書店)でした。
『グラップラー刃牙』とは、主人公の範馬刃牙という少年が、地上最強の父である範馬勇次郎の背中を追って、あらゆる格闘家と死闘を繰り広げるという漫画です。
父はこの漫画の影響を受けすぎて、なぜか僕を地上最強の息子に育てようとしていました。
ただし漫画と違うのは、僕の父は地上最弱だということでした。
ケンカに勝ったことがないため、息子を地上最強に育てるためのスキルはありません。
そこで父が思いついたのが、主人公のグラップラー刃牙のように、僕に手当たり次第ケンカさせるという方法でした。
刃牙は先述の通り、あらゆる格闘家と死闘を繰り広げて強くなっています。だから僕も、死闘を繰り広げたら強くなると考えたのでしょう。
対戦相手の見つけ方は簡単です。地元のヤンチャそうな子供に、父が、「うちの息子とケンカしてくれ」と声をかけるのです。
普通ならば、間違いなく不審者が現れたと通報される事案です。
しかし当時の僕はやせ細っていて、見た目もおとなしそうだったため、ヤンチャそうな子供はたいてい「こいつだったら勝てそうだ」と、二つ返事で了承していました。
ただ、いざケンカが始まると、意外にも、そこそこの割合で僕が勝ちました。
なぜなら、彼らには、僕と闘う動機がないからです。
ケンカというのは、通常何かしらの衝突から生まれるものです。
したがって、何も衝突していない見ず知らずの2人が闘おうとすると、なんとなく暴力を振るうのを遠慮してしまいます。それが人間の本来持つ優しさであり、愛です。
しかし僕は父の指導の下、グラップラー刃牙のようにケンカを繰り返していたため、動機なんてなくても人に暴力を振るえるようになっていました。
その結果、自分よりはるかに体格の大きな人にも、ケンカで勝つことがあったのです。
初めは「やられたら倍返し」という教育方針だったはずなのに、気づけば「先手必勝」になっていました。
そしてさらにケンカを繰り返すうちに、日常生活にも影響が出るようになりました。
もともと僕に暴力性が備わっていて、それがケンカによって増長されたのか、ケンカによって暴力性が備わったのか、どちらが先なのかわかりませんが、一時期、僕は友人と意見が分かれると、すぐ暴力で解決しようとするようになってしまったのです。
そのことでよく担任の先生にも呼び出されていました。
しかし僕はいくら指導されても、暴力で解決することの何が悪いのか、わかっていませんでした。
漫画の世界と同じように、話し合ってもわかり合えないなら、暴力で白黒つけた方が手っ取り早いと思っていたのです。
そんなふうに過ごしていると、ある日「なぜ暴力で解決してはいけないか」を実感する事件が起こりました。
いつも通り学校が終わって友人と遊んで家に帰っている途中、以前ケンカした相手の子が僕の家の前で待ち伏せしていたのです。
家の前にはたまたま父もいたので、その子に向かって「どないしたん」と声をかけたのですが、その子は返事をしません。しかし明らかに僕を睨んでいます。
彼がただ、黙ったままなので、父は再び「言いたいことがあるなら、ちゃんと言いや」と声をかけました。
すると、その子は突然泣きながら、僕に襲いかかってきました。
僕はあっけにとられ、気づいたらボコボコに殴られていました。
さらに相手の子は、手に何か尖った硬いものを持っていて、それが僕の目に当たり、僕はケガをしました。
そこで父はケンカを仲裁し、僕はすぐに病院へ連れていかれました。
幸いにも目に後遺症は残りませんでしたが、僕はそのときに初めて、「暴力で無理やり解決したことは、解決したように見えて何も解決していない」ということに気がつきました。
僕を恨んでいた相手は、ケンカで僕に殴られたことをずっと納得できなかったのでしょう。そのときの怒りが膨れ上がり、結果僕は大ケガをすることになったのです。
何か問題が起きたとき、解決するために必要なのは「双方の納得感」であると僕は思います。
お互いに問題解決の手段として「ケンカ」を選んでいたのなら、それも1つの解決策だったのかもしれません。しかしどちらかが一方的に暴力で問題を解決しようとした場合、問題はさらに大きく膨れ上がります。
僕はそれ以来、このことを肝に銘じ、なるべく暴力で問題を解決しないように考えるようになりました。
後日、その子と、その子の母親が謝りに来ました。
父は「全然気にしないでください! いつでも遊びにおいでや」と言いながら、祖母が作ったたこ焼きをプレゼントしていました。
僕とその子は、それからたまに一緒に遊ぶようになりました。