自分のために時間を使えなくなった大人へ…韓国の人気エッセイストが贈る「言葉のお薬」
公開日:2021/1/17

フリーランスになってから時間の使い方が年々、下手になっている。特に去年は不安が多く、1日の大半を仕事に費やし、残った時間で食事や入浴、掃除などをこなす毎日…。ふとした時に自分の時間がないことが苦しくなり、こんな日々が日常になっていていいのだろうかと考えていた。
仕事、家事、育児…。私たちはやらねばならないことが多すぎて、つい自分をおざなりにしてしまうが、新年は少しでも心の負担を減らしたいもの。そう思った時、そばに置いてみてほしいのが『私は私に時間をあげることにした』(レディーダック:著、趙蘭水:訳/SBクリエイティブ)。
本書はSNSで15万人ものフォロワーを持つ人気エッセイストが手掛けた、4年ぶりの新作。日常の小さな出来事に温かい眼差しを向け、かわいらしいイラストとエッセイで頑張りすぎない人生の歩み方を伝えている。
器用に生きられない自分がイヤになったら…
色々なことが器用にできない自分が嫌だ。去年は、そう感じて焦ることが多かった。本当は立ちはだかる障害物を器用によけつつ、スイスイと生きていきたい。それなのに、いつも結局まわり道をしてしまう不器用な自分が情けなかった。
だが、本書を開き、今の生き方も認めてあげたいと強く思うように。擦り切れた心を包み込んでくれたのは、混んでいる道をひょいひょいとすり抜けていくバイクを見た著者と友人のなにげないやりとり。
「ああ、私の人生もあんなふうにささっと進めたらいいのにな」すると友人はこう言った。「危ないよ」確かに。物事にはすべて裏表がある。
人によって、物事の捉え方は異なる。自分ではまわり道だと嫌っている生き方も、もしかしたら他の人から見たら魅力的に映るかもしれないし、最短ルートでは掴めなかった未来に繋がっているかもしれない。そう思え、初めて去年の自分に「お疲れ様」と言えた。
この瞬間がよければ、それでいいと言えるほど今の世の中は甘くはないし、生きづらい。けれど、それでも生きていかなくてはならないのだから、今年も自分らしいペースで走っていこう。
生きて、また生きて、たまに泣くこともあるけれど、すぐまたいいことがあるはず。梅雨の時期が来ても何日か経てば雨雲がなくなり、濡れてしまった服もふわふわに乾かしてくれる日の光が差してくる。
落ち込んだ日は、この言葉に寄り添ってもらい生きていきたい。
今こそ考えたい「誰かと共に生きる意味」
本書には家族や友人に対する著者の想いが詰め込まれているからこそ、誰かと共に生きることの意味も考えたくなる。
コロナ禍で人との関わりが絶たれて、意外と自分は寂しがり屋な大人だと気づいた人はきっと多いはず。去年は、人はひとりでは生きていけないことを痛感させられた1年だった。今年も引き続き、ソーシャルディスタンスが求められているため、他者と関わる中で歯がゆさや苛立ちを感じることがあるだろう。
だが、こんな時代だからこそ、心は近づけられるように努めていきたい。「人」にスポットを当てた著者の言葉に触れ、そう強く思った。
みんなどんな気もちで生きているんだろう。ドミノが倒れていくように押されながら生きているのだろうか。私たちはどんな気もちで生きていくのだろうか。
人に出会うということは、本を1冊読むということ。(中略)一生読み終わりそうもない本を1ページ1ページめくって相手を理解していく。
誰もが生きづらさや不安を抱えている今こそ、目の前の人を短絡的に判断したり、非難したりせず、相手の目線に立って物事を考えられる人でありたい。
波に押し寄せられるシーグラスは、ほとんどすべての角が丸みを帯びてなめらかだ。(中略)人の心も同じだ。たくさんの荒波を経験しながら、私たちも丸くなっていく。
自分に押し寄せる荒波だけでなく、他者に迫る荒波にも思いを馳せ、SOSを受け止められる人が増えていけば、社会的な距離があっても人間同士の心の断絶は進まない。一緒に泣き笑いできる大切な人と同じように、あまり知らない身近な人の心も慮っていきたいと思った。
ネガティブな感情とプラスな思考が混在している本書には、これまでの言動を振り返りつつ自分をアップデートしていきたくなる力がある。ぜひ、「私のための時間」を作り、今年の指針を定めてみてほしい。
文=古川諭香