「読む人の人生にも踏み込む、本気の恋愛小説を書いていきたい」――凪良ゆうが、今の私に書けるものはすべて書いた、と語る傑作小説『汝、星のごとく』《インタビュー》

文芸・カルチャー

更新日:2023/2/2

凪良ゆう

 2020年の本屋大賞を受賞し、実写映画化された『流浪の月』(東京創元社)、そして『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)で2年連続本屋大賞ノミネートとなった凪良ゆうさんの、約2年ぶりの長編となる最新作『汝、星のごとく』(講談社)。風光明媚な瀬戸内の島で出会った高校生の男女が、惹かれ合い、やがてすれ違い、成長していく、濃厚な恋愛小説だ。読者に「生きること」「幸せになること」を心の奥深くに問いかけてくる一作について、お話をうかがった。

(取材・文=立花もも 撮影=山口宏之)

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――〈月に一度、わたしの夫は恋人に会いに行く〉という一文から始まる本作。近所の噂話から〈わたし〉こと暁海(あきみ)は過去に“相当なこと”をしでかしており、浮気は夫〈北原先生〉の報復らしいことがうかがえます。いったい彼女は何をしたのか。物語は暁海の高校時代にさかのぼり、地元である瀬戸内の島に越してきた転校生・櫂(かい)との出会いが語られます。

凪良ゆう(以下、凪良) 血肉の通った男女のリアルな恋愛小説というものを、一度書いてみたかったんです。私が長年書いてきたBLというジャンルは、基本的に、ハッピーエンドであることが求められますが、現実には誰もがわかりやすいハッピーエンドにたどり着けるわけじゃない、という想いが頭の片隅にありました。今作は、あらすじだけ見るとかなりベタな話ですが、どれだけありふれていても、細部を丁寧に掘り下げていけばきっとおもしろいものになると信じ、書いてみることにしたんです。

――17歳の櫂と暁海は、とてもよく似た境遇の持ち主です。櫂の母親は恋に生き、男にふりまわされては捨てられて泣くことの繰り返し。暁海の母親は、愛人をつくって出ていった夫を執念深く待ち続けるばかり。どちらも子どもを唯一の味方として自分に縛りつけながら、いちばんの愛情は子どもに向けてくれない……。

凪良 櫂は東京に行き、物理的な距離をとることができたけど、それはマンガ家になるという夢を叶えて、金銭的な援助ができるという名目があったから。何もない暁海は、女性が自立する手段をもたない島で、自分に依存する母のそばに居続けることしかできなかった。そんな身勝手な親は捨てちゃえばいいじゃないか、と言う人も中にはいるでしょう。身一つでも、さっさと櫂のもとへ行って、2人だけで幸せになればよかった、と。それは確かに、そうなんです。でも、できない。どんな親でも愛しているから、その存在を一瞬でも足枷のように感じてしまう自分が許せないし、見捨てたらきっと一生の罪悪感を背負うはめになるとわかっている。

――どんな親でも“毒”とは思いきれない、それこそがジレンマの根源ですよね。

凪良 捨てればいいじゃん、と簡単に言ってしまえる人は、すっきりラクになれると思っているのかもしれませんね。でも、作中に書きましたけれど、はやくラクになりたいと願うことは、けっきょく、親の死を願うことと同義なんですよ。求めていた愛情とは違うけど、母親なりに愛してもくれている。迷惑ばかりかけられて、どうしようもない母親だけど、自分もやっぱり愛してもいる。だからこそそんなひどいことを願ってしまう自分が許せない。どこに行っても苦しみがふりかかってくる罠だらけの人生なんです。だったら、と、暁海は島から出ずに母親のそばにとどまり、背負い続けることを選んだ。櫂は物理的な距離をとったものの、けっきょく、どこまでも母親を見捨てることはできなかった。それが正しいとは私も思っていませんし、どんな親のもとに生まれてくるかによって子の一生がほとんど決まってしまう現実には、むしろ憤りしか感じませんが、だからこそ、捨てればどうにかなるわけじゃない、ということも描きたかったんです。

男と女、それぞれにふりかかる、社会的役割の呪い

――マンガ家として成功するため東京に出た櫂と、「いつ結婚するのか」と島の人間に聞かれ続けるだけの自分に絶望する暁海。交互の視点で描かれる2人のすれ違いは、どちらの事情も理解できるからこそ、読んでいて胸が痛くなります。

凪良 多忙な時間の合間を縫って暁海に会う時間をつくった櫂のことを、彼の立場に立てば“わかってやれよ”と思うでしょうし、彼女なら許してくれるはず、と甘えた行動をとることも決して責めることはできません。いちばん身近な人だからこそ、追い詰められているときは配慮を忘れてしまうというのは、誰にだってあることでしょう。でも暁海からしてみれば、約束もしていないのに、来るのが当たり前とばかりにいきなり呼び出されたあげく、仕事を言い訳に放置されたら、軽んじられていると感じてもおかしくないですよね。どちらも、間違っていない。だけど、正しくもない。どちらかに肩入れしそうになるけど、でも、もう一方の気持ちもよくわかる。そう思っていただけるギリギリのバランスを積み上げながら描くのは苦心しました。

――個人的に、凪良さんには、性欲を介在させてしまうことへのおそれ、みたいなものがあるのだろうか、と感じたんです。『神さまのビオトープ』で描かれていたのは、幽霊となって戻ってきた夫と暮らす妻の物語でした。『流浪の月』で、主人公の更紗が出会った文は、大人の女性を愛することができない。櫂と暁海の間に、そういう意味での問題はありませんでしたが、恋人同士になったことで、ただの人と人とではいられなくなってしまう、というジレンマも描かれていたような気がするんです。

凪良 ああ、それは……意識して書いたというよりも、日々生きているなかで「こんなふうに女は差別されてしまうのか、圧迫されてしまうのか」と感じる瞬間が、考えるまでもなくあるので、滲み出ることもあるのでしょう。また、BL小説を10年以上書き続けてきた経験も大きい気がします。BLというのは基本、愛し合う営みの描写を1冊のなかに何度か入れなくてはなりません。私自身は、行為そのものよりも、そこに至るまでに積み重ねられていく心情の描写を重視していますけれど、体と体を重ね合わせるためにはこんなにも心を重ね合わせる作業に筆を尽くさなくてはならないのか、ということにちょっとした疲れを感じることもあって。営みの根本に流れるのは深い愛であってほしい、という願いは男性同士だろうが男女だろうが変わりませんが、せっかくジャンルの制約がない場所で書くのだから、肉体的に結ばれることに必ずしも重きを置かないものにしたい、と、もしかしたら無意識で考えていたのかもしれませんね。

――島で同じ時を過ごしていた頃の2人は、ただの櫂と暁海として対等だったのに、いつしか“男と女”になってしまったことが、関係を変えたひとつである気がして、ちょっと切なくなった部分だったので……。

凪良 櫂の方が現実が見えていることは確かなんですよ。島では、女が自立して1人で生きるための手段があまりに少なすぎる。その少ない手段でどうにか自分の生き方を貫けたとしても、まわりからはいろいろ言われてしまうだろうこともわかっている。若い頃から長くつきあっていて、そのことが島中に知れ渡ってしまっている状況では、結婚してやらなきゃいけない、という責任感がどうしても芽生えてしまうでしょう。恋人に捨てられては泣く母親を見続けてきたからこそ、櫂は男としての責任感みたいなものにも縛られているので……。いくら平等でありたくても、社会的な立場によってどうしても意識に差異が生まれてしまうんです。そんな櫂のふるまいが暁海には不本意だったのかもしれませんが、おっしゃるとおり、切ないですよね。櫂は櫂で、多少想いがすれ違ってしまったとしても、一生をともにする相手は暁海しかいない、という気持ちに嘘はないのだから。

――暁海も、それは承知しているでしょうしね……。

凪良 〈誰かに幸せにしてもらおうなんて思うから駄目になる〉とあんなに母親に憤っていたはずなのに、自分は幸せにしてやらなきゃといつのまにか思ってしまっている。責任を負わなくてはならない、という男性特有の呪いも苦しいでしょうね。暁海は暁海で、櫂の付属物になることをいやだと思いながら、島から連れ出してもらうためのパスポートとして結婚というカードが頭にちらついてもいる。それもまぎれもない本音。ただ、彼女は矜持を捨ててまでその誘惑に乗ることはできなかった。その選択が、櫂とのすれ違いを大きくしてしまうだけだとわかっていても。暁海がもし、誰かに依存できる弱さをもっていたら、もうちょっとすんなり幸せになれていたかもしれないなと思います。

自分の生殺与奪権を、誰にも渡してはならない

――でも誰かに依存する弱さは、思いもよらぬ形で自分の人生を壊してしまうかもしれない、ということも本作では繰り返し描かれています。〈お金があるから自由でいられることもある。たとえば誰かに依存しなくていい〉と言ったのは、暁海の父親の愛人である瞳子さんですが、北原先生のセリフにも〈自分で自分を養える、それは人が生きていく上での唯一の武器です〉というものがあります。

凪良 独身だろうが結婚していようが、男だろうが女だろうが、仕事をもって自分を養う力があるというのがすべての起点だと私は思っているんです。自分の生殺与奪権を誰にも渡してはだめだ、誰かに頼って生きてもいいけど、梯子を外されたときに自分ひとりでどこにでも行ける準備だけはしておいた方がいい、と。

――暁海のお母さんは、結婚によって夫に生殺与奪権を譲り渡してしまったことで、追い詰められていきます。幸せにしてもらうために男を求める櫂のお母さんをはじめ、本作ではさまざまな形で、結婚のかたちについて描かれていますね。恋愛感情で関係性が歪んでいく人もいれば、恋愛感情がなくても支え合うことができる人もいる……その描かれ方に、救われる読者も多いのではないでしょうか。

凪良 もちろん恋愛による結婚で幸せになることができれば、それがいちばんいいですけれど、結婚する理由が恋愛感情だけというのは、いびつじゃないか? という気もするんですよね。今は恋愛結婚が主流ですけど、お見合い結婚の多かったかつては、お互いにメリットがあるから結婚する、という人たちも多かったでしょうし、彼らがみんな不幸になっているわけじゃない。夫婦はみんな愛し合っているものだ、という考え方からは脱却した方がいいんじゃないかという気がしています。それこそ暁海のお母さんのように、すべての基準が夫になってしまっている人とときどき出会います。「夫がこう言っていたから」「夫がだめだというから」と何かにつけて言われてしまうと、私は目の前のその人ではなく、その人の夫と話しているような錯覚に陥ってしまう。その人が幸せなら私がとやかく言うべきではない、とわかりながらも、夫がある日突然いなくなったらどうするのだろう、と余計な心配がよぎります。

――いなくなってしまったからにはしかたない、と奮起できればいいですが、暁海のお母さんのように現実を受け止めきれず、きちんと家のことをやっていれば帰ってきてくれるはず、と信じて待ち続ける女性もきっと少なくないですよね。

凪良 頼っていてもいい。愛しているなら、それがいちばん。でも、物事を判断する基準は常に自分のなかにしっかりともっていた方がいいし、わずかでも稼ぎがあるということは、絶望に叩き落されないための唯一の手段なのだから、絶対に手放しちゃだめだと思います。もちろんこれはただの理想論だし、きれいごと。雇用自体が少ない島で、暁海だけでなく女性たちが自立するのは簡単なことではないでしょう。島ほど閉鎖されていなくとも、どうしたって女性が低く置かれてしまう男性優位の社会はたくさん存在します。でも、そのきれいごとを忘れずに言い続けられる自分でありたい、とも思うんです。特別、何かを啓蒙しようという気持ちはないんですが、たぶん、日常に当たり前のように転がっている……声高に訴えるまでもない男女間の差別というものを、私は心の底から憎んでいるんでしょうね。声をあげれば、かわいげがないとか言われ、差別されている方が変わることを要求される、その状況に対する怒りも、暁海には映し出されたような気がします。

恋愛小説を書くということは、社会に踏み込むということ

――社会的な役割や立場から降りかかる、男女それぞれの呪いみたいなものも描きながら、本作では決してわかりやすい対立構造にしないところが、とてもよかったです。櫂と暁海、2人のすれ違いをとことん描くからこそ「どちらも正しくはないけど、間違ってもいない」ということが伝わってきて。

凪良 うれしいです。2人だけじゃなくてね、瞳子さんも、とてもいいことは言っているけど、やっていることはまったく褒められたことじゃないんですよ。櫂と暁海も含め、みんな自分勝手に好きに生きている。そんな小説を読者さんがどこまで受け入れてくれるだろうかと今も不安でたまりませんが、あえて正しさを排除したこの小説は、私にとってとても思い入れ深いものになりました。瞳子さんも大好きだし、登場人物全員に、私が少しずつ投影されている気がする、稀有な作品でもあります。

――今作では、これまで凪良さんが一つひとつ大切に描いてきたテーマが、すべて入っている気がします。血のつながらない人たちが、恋愛以外のかたちで、手を取り合いながら生きていくこと。自分のしたいことをするのに誰かの許しなんていらないのだということ……。それなのにこれまでの作品のどれとも違う読後感がある、というのがよかったです。

凪良 ありがとうございます。初めて書いたBL以外の小説『神さまのビオトープ』は、これが最初で最後だと思っていたから、自分のもっているいい球を全部出し尽くすつもりで書いたんですよ。それでいったん空っぽになっちゃったから、そのつど懸命に自分のなかにある物語を探って、心を削るようにしながら書いてきた。その結果生まれた『流浪の月』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』という濃厚な3冊を経たからこそ、今作にたどり着けたのだと思います。現時点で集大成なんていうのはおこがましいけれど、今の私に書けるものはすべて書いたという感じですね。

――〈わたしにとって、愛は優しい形をしていない。〉と暁海が思う場面、とても好きでした。誰かを心から愛するということは、自分の弱さと戦うことでもある。常に正しい道を選べるわけじゃない、むしろ間違いだらけの選択を重ねながらも、自分の足で歩き続けた暁海の姿は、読者の心を強く揺さぶるはずです。櫂は暁海に比べるとぐらぐらしていたけど、でも櫂の生きざまもやっぱり、唯一無二の光をもっているよなあ、と。

凪良 櫂は弱かったですね(笑)。でもみんな、自分にしかたどり着けない場所に、最後、立つことができたんじゃないのかなと思います。100パーセントのハッピーエンドではなく、その答えにしか行きつくことができなかった、という切羽詰まった感じではありますけれど……。こんなにキツい話になるとは正直思っていなかったので、大丈夫かなと今はただ不安ですが、恋愛小説を書くということは、人の人生を描くことと同じなのだと改めて思い知りました。なぜか恋愛モノって一段低く見られる傾向にありますが、他者とそれほど深く関わるということは、その人の背負っている社会とも向き合わざるを得なくなるということ。どうしたって社会性が生まれるものだと思うんです。登場人物だけでなく、読む人の人生にも踏み込むくらい本気の恋愛小説が増えてほしいですし、私自身、これからも書いていきたいと思います。

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