誰かのぬくもりとともに思い出す。小さな積み重ねの記憶で生きていく『おかえり、めだか荘』北原里英インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/8

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年9月号からの転載になります。

北原里英さん

 タイトルに「おかえり」とつけたのは、北原さんがかつてルームメイトからもらって救われた言葉だから。

取材・文=立花もも 写真=山口宏之

「『テラスハウス』に出演したとき、見ず知らずの人たちと生活をともにするなかで何気なく言われた『おかえり』という言葉に、なぜだか心を打たれたんですよね。上京したてのころはAKB48の地方出身者たちと1カ月半、そのうちの一人だった大家志津香ちゃんと1年半ルームシェアしていたのですが、その後の一人暮らしで失っていた、誰かと暮らすあたたかさを取り戻せたような気がして、今でも折に触れて思い出す、忘れられない瞬間だったんです。もちろんすべてのルームシェアが美しく成立するわけじゃないだろうし、他人と暮らすのは気苦労も多い。だけど、家族でも恋人でもない、友達と言うのともまた違う血の繋がらない他人が、ふと与えてくれる優しさに救われることもあるのだということを、小説を通じて描いてみたいと思いました」

 舞台となるめだか荘に暮らすのは、大家の娘である柚子と、柚子のバイト先の常連客だった遥香。遥香が受付係をしているビルで働く楓に、ネットの募集につられてやってきた女優の那智。物語の冒頭で「めだか荘がなくなるかもしれない」という危機が柚子から伝えられ、春夏秋冬、それぞれの名前に重なる季節のめぐりとともに、4人の変化が描かれる。

「1章の遥香は、実は矢沢あいさんのマンガ『NANA』の主人公・ハチがモデル。那智のように特別やりたいことがあるわけでも、楓のようにバリバリ働きたいわけでもない。柚子のように、暮らすところを保証してくれる父親がいるわけでもない。ある意味、いちばんぼんやりとした感じの女の子ですが、それは彼女にとっていちばんの目的が“東京で暮らすこと”だったから。東京に行けば何かが変わるんじゃないか、という漠然とした憧れは私も抱いていたし、共感できるんですが、上京しただけで何かが華やかに激変するわけじゃないんですよね。そうこうしているうちに20代も終わりに近づいてきて、何もない自分に焦ってしまう……。そんな彼女が、自分が特別になれたような気持ちになれる恋愛のきらめきを、刹那的なところも含めて描いてみたかったんです」

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「解像度が高すぎてエグい」という最高の誉め言葉

 何かが特別できるわけでも、できないわけでもない。モテないわけじゃないし、友達もいる。そこそこ楽しく、地に足をつけて生きてはいる。だからこそ〈その気になればなんでもできたかもしれなかった自分の人生〉を振り返るが、この先も遥香が〈その気〉になることはたぶん、ない。そのリアリティが読みながら、ぐさぐさ刺さる。何もないぶん、恋愛で帳尻をあわせようと彼氏との関係にのめりこんでいく姿もあわせて。

「もっと何かできたんじゃないか、と過去をふりかえり、自分に欠けているものをどうにか穴埋めしようとする焦りは、私にも覚えがあります。年を重ねるにつれて、自分はだいたいこんなものだろうと見えてくる一方、20代の今ならまだ間に合うんじゃないか、何かを成す最後のチャンスなんじゃないか、と思ってしまう。30代は楽しいよ、と言われても信じられないのは、自分自身を疑ってもいるからで、結婚や出産をどうするかも含めて、何歳からでもなんだってできるとはどうしても思えないんですよね。そういう女性たちの不安も、今作を通じて描きたいことではありました。そもそも、最初に書いたエッセイが、そういう気持ちを吐露したものだったから。でも、私のこととしてではなく、四者四様の岐路として描いたことで、より広い視点で描けたんじゃないかなと思います。読んでくれたさっしー(指原莉乃さん)が『アラサーの解像度が高すぎてエグい』と言ってくれたのが最高の誉め言葉です」

 遥香と同じくらい、読者の共感を誘うのが3章・楓の葛藤ではないだろうか。プロポーズしてくれた恋人は、仕事をやめてくれと言っているわけじゃない。結婚しても何も変わらないとも言う。だが楓は思う。

〈それは違う。違うのだ。結婚したら周りの目は変わる。独身の女性だから貰えてた案件だって、絶対にある。別に“女”を武器にのしあがってきたわけじゃない。だけど、絶対に何かが変わるのだ〉と。

「よくも悪くも女性だからと配慮されてしまうことってたくさんあるじゃないですか。とくに仕事で成果を出したいと思っている女性にとって、結婚は障害になりうる。相手のことは大好きで、結婚したい気持ちがあるからこそ生まれるその葛藤を描きたかったんです。ただ、執筆中に私自身が結婚したことで、一人で抱え込むだけでなく、いかに相手と向き合っていくかの過程も描けたのはよかったなと思います」

大事なのは結果よりも自分で選びとる覚悟

 2章の那智は、明確に仕事を選ぶと決めているが、だからといって葛藤がないわけではない。舞い込んできた大役のオーディションに、これが最後のチャンスかもしれないと挑む気持ちはあるものの、受かったら脱がなくてはいけない。30代になったらそのチャンスすら来なくなるかもしれない。であれば、売れるために脱ぐべきなのか。

「一視聴者として、脱がないから女優魂がない、なんてことは思わないし、意味もなく脱がせようとするのはおかしい、という柚子の言葉は私自身が考えていることでもありますが、那智の先輩が言う、どんな形でも売れたいなら迷わず飛び込め、という意見にも一理あるなと思うんですよね。ただ、脱いで根性を見せたら必ず売れるわけじゃないというのもこの世界の厳しさで……。いろんなパターンを考えたんですよ。脱いで売れる、脱いだけど売れない、脱がなかったけど売れる、脱がずに売れない。どれがリアルに突き刺さるか、女優の友達にも相談しました。でも大事なのは、選択するときの自分に覚悟があるか、なんですよね」

 それは決して“脱ぐ覚悟”ではない。どんな結果になろうと、自分で決断して選ぶ覚悟だ。本作は、そのために必要な強さを、シェアハウスでの暮らしに支えながら、4人がそれぞれ身に付けていく物語でもある。

「いちばん変わったのは柚子だな、と思います。家族に問題を抱える彼女は、他の3人に比べて自分の人生にあまり興味がなく、他人とあまり関わることがなく生きてきた。だけどめだか荘での暮らしを通じて、はじめて人に執着することができた。柚子が出会ったとあるおばあさんが〈結果には興味がないの〉って言う場面があるんですけれど、本筋とは関係のないそのセリフが、実はこの作品において何より必要なものだったのかもしれないなと、書き終えてみて思います」

 恋愛がうまくいかなくても、仕事で思うような結果が出せなくても、それだけで人生がだめになったりはしない。人との関係も、同じなのだ。大事なのは結果的にどうなるかではなく、何を積み重ねてきたのか。その記憶が、仮に二度と会わなくなってしまったとしても、その後の人生を歩む支えとなっていく。

「たとえば、遥香と那智だけに通じる仲直りのハヤシライスとか、私がもらった『おかえり』という言葉とか。それ自体は些細なことでも、一緒に思い出せる誰かのぬくもりがあれば、それだけで強くなれる気がしますよね。私自身、そういう小さな記憶に包まれて、これまで生きてこられたような気がしています。その想いを、ちょっと理想的すぎるくらい優しい物語にこめました。今の自分にできる全力を尽くせたから、それこそ、不安でも覚悟をもって書く決断ができたことを嬉しく思います」

北原里英
きたはら・りえ●1991年、愛知県生まれ。2008年よりAKB48のメンバーとして活動(SKE48と兼任)したのち、NGT48のキャプテンとして移籍。18年に卒業。俳優としての出演作にドラマ『ろくでなしBLUES』や映画『ジョーカーゲーム』など。映画『女子大小路の名探偵』『神さま待って!お花が咲くから』に出演予定。

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