あの頃の日本は熱気にあふれていた─ 1964年東京オリンピックの壮大な準備譚

新刊著者インタビュー

2016/5/6

 2020年に東京オリンピックの開催が決まったものの、新国立競技場の整備計画、巨額費用の税金負担など、問題が山積している。本来オリンピックは老若男女に希望を与えるスポーツの祭典であり、経済効果も計り知れない。1964年の東京オリンピックを振り返ってみれば、上下水道の完備、東海道新幹線の開通、首都高速道路の敷設などさまざまな都市インフラがこの時期に整っている。五十余年前といまを単純に比較することはできないが、当時の東京オリンピックは、戦後の復興に弾みをつけるための輝かしい舞台であったことに疑いはない。


幸田真音

こうだ・まいん●1951年生まれ。米国系銀行や証券会社で債券ディーラーなどを務め、95年『小説ヘッジファンド』で作家に転身。2000年に発表した『日本国債』はベストセラーになり、国内外から注目を集めた。14年、『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』で第33回新田次郎文学賞受賞。他に『財務省の階段』『ランウェイ』『スケープゴート』など。
 

 幸田真音さんの『この日のために』は、そんなかつての東京オリンピックをめぐる物語だ。オリンピックのテーマ曲からタイトルを採り、一大行事をいかにして成功に導いたか、二人の男の人生を軸に描き出している。

「経済の視点から歴史を眺めてみると、まったく違う景色が見えてきます。その思いを小説として描きたいと考え、最初に形にしたのが、幕末の近江商人である絹屋半兵衛と藩主の井伊直弼を描いた『藍色のベンチャー』(のちに『あきんど 絹屋半兵衛』に改題)でした。2作目は高橋是清を主役に据えた『天佑なり』です。もともと私のなかで4部作の構想があり、次は日本が一番輝いていた60年代を書けたらと思いをめぐらせていました。そんな折、新聞小説のご依頼をいただき、担当の方から『64年の東京オリンピックを題材に、どなたかの生涯を描いてほしい』と言われたのです。そこで当時のことを調べていくと、興味深い人物が次々に浮かびあがってきました。あの時代はさまざまな技術革新が進み、あらゆる分野にヒーローがいたんです。オリンピック選手村の食事を任された帝国ホテルの村上信夫さんも大変な活躍をされていますし、東海道新幹線の敷設に力を尽くした元国鉄総裁の十河信二さんも魅力的。衛星中継での放送を実現させたのも、公衆トイレのマークなどのピクトグラムが生まれたのもこの頃です。とはいえ、私が書くなら経済にフォーカスしたものにもしたい。そこで東京オリンピック開催時の首相であり、経済の舵取りをした池田勇人を主人公にしました」

 そして、もうひとりの主役が田畑政治。水泳選手を目指しながらも病により挫折、その後は新聞記者として働くかたわら、競泳選手の育成に励んだ男だ。

「当時はプールもなく、海に小舟を浮かべて水泳の練習をしていた時代です。そんな中、プールを作り、選手を国際大会に派遣し、水泳競技の地位を高めたのが田畑さん。選手になることを諦めたにもかかわらず、そこで腐ることもなく、後進のために全力を尽くす生き方が素晴らしいですよね」

 首相とスポーツ指導者、二人はそれぞれ異なる立場で東京オリンピックの準備に奔走したが、共通点もあった。

「お二人とも、挫折や失敗を数多く経験しています。池田さんは受験に何度も失敗していますし、難病を患ったためせっかく入った大蔵省も退職。闘病中には、奥さんも亡くしています。数々の修羅場を乗り越えてきたからこそ強さがある。挫折したからこそ、優しくなれる。こうした人生の機微を大切に書いていくのが、小説だと思います」
 

敗戦国だった日本が国民の誇りを取り戻すまで

 作中では二人の男たちの生涯をたどるとともに、戦後のGHQ占領下を経て経済的自立を果たす日本の姿が描かれる。高度経済成長に沸く当時の熱がページから立ちのぼり、読み手の頬まで火照ってくるかのようだ。

「日本は戦争で焼け野原になり、国際社会からの信頼も失われました。池田勇人はそんな中で、国民それぞれの力を伸ばせるように国家を作り上げていったのです。『減税してお金が世の中に回るようにしよう』『先進国の仲間入りもしたい』と力を尽くし経済を牽引、国民の心をひとつにして“この日のために”と東京オリンピックを成功させようとしました。戦後の混乱と貧困から見事に復興を遂げた日本、その姿を世界にアピールし、国民が誇りと自信を取り戻す場が東京オリンピックだったのです」

 東京オリンピック開催当時、幸田さんは中学1年生。関西で暮らしていながらも、東京の熱気を肌で感じたと言う。

「オリンピックのためなら自分も協力したいという空気がありましたね。日本人に公共心が芽生えたのもこの頃です。戦後まもなくは生きるだけで精いっぱいでしたが、60年代に入り、ようやく時代が“衣食足りて礼節を知る”という公共のフェイズに進んだのでしょう。国際社会の一員として身を律すること、海外からのお客さまに対して恥ずかしくないよう振る舞うことの大切さを、学んだ時代です」