新垣結衣×瑛太W主演映画『ミックス。』を小説化! 卓球の男女混合ミックスダブルスを通じて小さな“奇跡”を起こす!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

「最終的に同じ着地点をめざしていけるなら、どんなアレンジをしてもいいですよと許可をいただいたので、僕の小説をいつもどおりに書こうと思いました」

『エイプリルフールズ』に続き、古沢良太脚本の映画『ミックス。』を小説化した山本幸久さん。設定の細部は異なるものの、笑いあり、ロマンスありの成長物語として、爽やかな読後感は映画と同じだ。

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著者・山本幸久さん

山本幸久
やまもと・ゆきひさ●1966年、東京都生まれ。2003年、『笑う招き猫』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作は17年にドラマ&映画化。ほかの著書に『ある日、アヒルバス』(15年ドラマ化)、『幸福ロケット』『ヤングアダルトパパ』『店長がいっぱい』『誰がために鐘を鳴らす』など多数。

 

主人公の多満子は、卓球界に名を馳せた天才少女。スパルタ英才教育を課した母の死後、大嫌いだった卓球から解放され、ガングロギャルを経て普通のOLとして普通の幸せを探していた。ところが彼氏にフラれ、故郷に出戻り。さびれた家業の卓球クラブを復興するため、わずか5人の生徒をコーチすることになる。

「まず、15年ぶりにラケットを手にするという、多満子のブランクが興味深かった。並々ならぬ決意で卓球界に戻ってきたならともかく、なりゆきで、しかも、いやでたまらなかったものに向き合わなきゃいけなくなる。彼女に限らず、誰だって15年も経てば、とりまく状況は変わります。捨てたはずの過去にどう向き合っていくのか、同時に現在の自分をどう直視するのか。その点に焦点をあてることで物語が生まれるんじゃないかと。しかも、卓球のルール自体が10年以上前に変更されて、ラケットの握り方ひとつとっても今と昔では主流が違う。多満子が再び強くなるためには、競技スタイルを修正していかなくてはいけない。その点でも、15年という月日は象徴的でしたね」

生徒たちの要望で、多満子は全日本卓球選手権の出場をめざすことになるのだが、母の元教え子で、元ヤン・現セレブ妻の弥生に提案されたのはミックス(男女混合ダブルス)での出場。だが、多満子の元カレは卓球界の王子・江島。会社を辞めた理由は、会社卓球部に所属していた江島を、彼のミックスペアである新入社員・愛莉に奪われてしまったこと。つまり、予選で二人に遭遇する可能性が高いのだ。

「映画では、江島&愛莉を見返してやろうという気持ちがより強く描かれていますけど、実を言うと僕はそもそも、何が何でも勝ち進もうという気持ちにあまりピンとこない人間で。これまで、コンクールをめざすとか、出世競争とか、勝負事のある小説は書いたことがないんですよ。だから勝負の行方より、卓球自体を楽しむことが大事なんだってところに落とし込みたかった。もちろん勝つことも楽しさにはつながるけど、それだけじゃないということをこの作品では書いてみたかったんです」

今の自分を形成する人生に無駄なんて一瞬もない

母の死とともに封印してしまった卓球。だが、母のためではなく自分と生徒たちのために練習することで、多満子は過去に感じることのなかった楽しさを知っていく。

「前々から、卓球家族って大変そうだなあと思っていたんです。自宅に卓球台があるのが普通という環境で、子供は卓球漬けにされる。そうして勝ち抜いてきた人がトップ選手になるんだけれど、なれない子たちのほうが圧倒的に多いはずだし、それはつらいことだろうなあと。だから、多満子をかつていた場所に逆戻りさせたんじゃ意味がないし、母とは違う答えを見つけていかなきゃいけないだろうなと考えながら書いていました。それはたぶん、15年のブランクがある多満子だから導き出せるもので。あのとき卓球をやめていなければもっと強くなれたかもしれないと自分の弱さに悔しくなることもあるけれど、ガングロだった頃も会社員だった頃も、失恋したことも含めてすべてがいまの多満子を形成していて、一瞬たりとも無駄ではなかったんだ、というところに辿りつかせたかった。ただ『楽しきゃいいじゃん』というのではなく、経験をふまえた新しい楽しさを見つけていくことで、彼女自身、心に折り合いをつけながら、自分でブランクを埋めていけるはずだから。それは実際に県予選大会を取材したことでより強く感じました」

取材に行ったのは初稿が書きあがったあと。その場で得たものは作品にもフィードバックされたという。

「おもしろいんですよね。体育館に20くらい置かれた卓球台で、入れ代わり立ち代わり試合が行われていて、進行に秩序がないんですよ。試合しているうしろを当たり前のように人がとおるし、試合している横で空いた台を使って練習している人はいるし。そんななかで、最初はわりとしんとしているんだけど、試合が始まって一時間くらいすると、場があたたまってくるのか、あちこちから掛け声が聞こえはじめる。『チョレイ』なんて叫ぶ人、実際にはそんなにいないだろうと思っていたら、わりといたし。僕が書いたみたいに『イェッス!』って叫んでる人はさすがにいなかったけど(笑)。そんな選手たちを、家族や友達も一体になって応援している。三位決定戦のとき、隣に座っていたのが選手のお父さんで、少しお話しさせてもらったんですが、多満子の父親と同じように試合のたびに足を運んで動画を撮って、詳細を記録しているんだとわかった。誰かとのつながりが人を強くし、周囲に後押しされることで進んでいける、というのは映画でも描かれていることですが、その熱気を体感したことは作品にも投影されたと思います」

やさぐれながらも諦めきれない何かを手に入れるために

映画では、別れた妻と娘をとりもどすために卓球を始める元ボクサー・萩原との恋模様も見どころだが、本作では多満子をはじめ、卓球クラブの全員が、人生を新たに踏み出していく成長物語の色が強い。

「卓球クラブの面々は全員で予選大会に臨むんだけど、実は誰が勝っても負けても個人の試合に影響はないんですよ。団体戦ではないですからね。だからいっそう、なぜ卓球をするのかという個々の物語が強くなった。そのなかで、落合夫妻のようにどうしても勝ちに貪欲になれない人がいてもいいし、最前線で戦うことだけをよしとしなくてもいいんじゃないかなというのは感じました。普通の人たちが、普通に卓球をする、そのなかでどう自分たちなりに前へ進んでいけるかが大事なんだと」

セレブ妻の社交界で肩身の狭い思いをしている弥生。ひきこもり高校生の優馬。多満子も萩原も、本作で描かれているのはどこか、自分の居場所を見つけきれずにいる人々だ。

「僕は女性を主人公に小説を書くことも多いですが、それはたぶん、女性が社会においてマイノリティであることが多いから。男女平等といくらいっても、いまだに、男ならいいけど女はだめ、という暗黙の規則がたくさんある。自分を理解してくれない世の中に対する文句を内面に抱いている人たちに僕は共感するし、彼らのやさぐれ感は書いていても楽しい。本作を書いているときに、映画にも出演している卓球の水谷隼選手がテレビで話しているのを見たんですが、女子卓球に比べて冷遇される自分たちに対する彼のやさぐれ感はかなり参考になりました(笑)」

やさぐれは諦念に似ている。どうせうまくいくわけない、人生なんてこんなものだという想い。だが、それでも諦めきれない何かを掴もうとする必死さが本作では描かれている。

「冷めた態度をとるのがかっこいい、と思っていた時代が僕にもあるけど、鼻で笑って済まされるのは学生時代だけ。社会に出て何年もすれば、がむしゃらにならなきゃどうにもならないことがあると気づいてくる。だからといって、僕が熱血漢になれるかというと、さすがに無理だけど(笑)、少なくとも頑張っている人を笑うことはできないし、その姿に心を動かされることだってある。この作品もまたその一つなんだろうと思います」

取材・文:立花もも 写真:山口宏之

 


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