余命1年、折り合いの悪かった母との別れを描くコミックエッセイ【瀧波ユカリさんインタビュー】

アニメ・マンガ

2018/3/9

 いつの日か必ずやって来る、親との別れ。いったいどんな気持ちになって、どんな日々になるのか――毒舌家で生命力に満ちあふれ、死神すら尻尾を巻いて逃げるような母親が余命1年のガンとなり、最期を看取るまでを描いた瀧波ユカリさんの『ありがとうって言えたなら』(文藝春秋)。すでに親を見送った人も、今まさに渦中の人、そしてこれからという人にも読んでもらいたいコミックエッセイです。

■母の病気がわかったときから、いつか何かに書くかもしれないと思っていた

「母の病気がわかったときから、私はこういう仕事をしているので、『はるまき日記』で出産のことも書いたし、いつか何かに書くかもしれないと思っていました。そのときはマンガにするのか、それとも文章にするのかまでは考えていなかったんですけど、親が病気になってワタワタしているときって文字よりもコミックエッセイの方が読みやすいだろうなと思って、最終的にこういう形になりました」

 2014年春、大阪に住む看護師の姉から瀧波さんに連絡があり、釧路の実家にいる母親が膵臓がんで余命1年ということを聞かされるシーンから始まる本書。姉が母親を大阪へ呼び寄せて面倒を見ることになるが、瀧波さんは電話で話すだけでケンカになってしまう母親と距離を置こうと考えていたため、戸惑ったという。

「母がガンになる前から“毒親ブーム”があって、それで私も気づいたことがあったんです。なのでちょっと距離を置いてケンカしないようにして、改善できることがあったら3年とか5年とか長い時間をかけて解決できればいいな、と付き合い方を変えてみようとスタートラインに立ったところだったので、『え、1年で死ぬの? どうすんの?』と」

 10年ほど前に父親が倒れ、3年半も意識がないまま他界した際、自分の生活を年単位でガラッと変えなくてはならない事態となった経験から、母親の病気を知って「この1年は想像通りにいかない1年になる」と思ったという瀧波さん。しかも今回は父親のときとは状況が違い、兄にも姉にも自分にも仕事があり、子どもがいる。それにしてもこれほど早いと思わなかった、いったいどうなるのか、そして余命がわかったことで母親は何か変わるのか、と思いきや……。

「ドラマとかのイメージだと、余命を知らされたことで主人公が何かを決断したりとか、優しくなったりして物語が転がっていくことがありますけど、『そんなことないな』と思いました。自分が想像していた、大人しく穏やかに亡くなっていくのではなく、とても心が閉じていて、不機嫌で、怒ったり頑張ったりするいつも通りの、そのまんまの母なんですよ。入院の前には『あんたたちは私の望むことだけをしてくれればいいから!』と言ったり、実家を引き払うときには家にあった物をほぼ全部持っていくとか、執着もそのまま! すごい要求してるな~、と思いましたね(笑)」

■未来の自分より、今の自分にフォーカスすること

 母親の言動や当たりのキツさがありながらも、瀧波さんは自分の気持ちを整え、溜まるストレスを解消しながら現実と対峙、そして母親はどこまでもいつも通りの母親でありながら、食が細り、徐々に痩せ衰え、最期の日へと向かっていく――こうしたとき、世話をする家族は無理をしがちだが、瀧波さんは「我慢しすぎるといいことない、ということを知識として持っておいてほしい」と言う。

「つい、家族だから我慢しなきゃとか、最後だから全部聞いてあげなきゃ後悔する、みたいになっちゃいますけど、それやっていいことはないよ、というのは知っておいてもらいたいんです。『後悔しないように』って、すごい先の自分のことを考えているんですよ。でも本当にそうなるかわからない、先の自分のためにあれこれやるのってダメじゃないかと思うんです。それよりも『今、疲れてる? どうなの?』と、ちゃんと今の自分にフォーカスすることが大事だなって」

 本書には気持ちをぶつけてくる母親に対して、瀧波さんが「死にそうな人は機嫌よくする余裕なし」と思わず標語を作って読んでしまうシーンがある。またなんとか自分の思いを母親へ伝えようと、あれこれやってみる場面もある。そして親との折り合いがあまり良くないからこそ生まれてしまう生(なま)の感情は、親と距離を置いている人に「ああ、別にそう思ってもいいんだ」という安心も与えてくれる。

「電話でケンカになると『あー、腹立つ! 昔からアレもコレも腹立つ!』ってブワーッと思い出すから、嫌なことを忘れない、むしろどんどん強くなっていくんです。でも亡くなると、当たり前ですけどケンカすることもないので、思い出すことも少なくなっていくんですよね。だからって許したわけじゃないんですよ。『もうあのことはいいよ……』なんて全然思ってない(笑)。ただ許すとか許さないとかではなくて、思い出すきっかけが少なくなって、『どうだったっけな?』と思い出しにくくなっていってる。なので死の実感がわいてくる前に、過去の嫌だったことを少しずつ忘れていく感じですね。忘れていったら、今さら実感とかいらないのかもしれない。どんどん終わったことになっていく、遠くなっていくんです」

 しかし「良かったこととか、ごくごくたまにあった優しかったこととかは、なんとなく思い出したりすることはあるんです。だから本当に思い出ってキレイになっていくな、と……でも別にキレイにしたいわけじゃないのに」と笑う瀧波さん。

「“許す”ってやっぱり自発的な行動だと思うんですけど、“忘れる”っていうのは脳の機能的なものなので、自分でそうしようとしているわけではないんですよ。でもそれは、解決する必要がなくなったからなんでしょうね。だから母の死から1年とか2年くらい間をあけて描いてたら、うっかりすごいキレイな話を描いただろうなって思いますね。モヤモヤしたことを忘れちゃって、『母の死を知った時、私は涙した――』みたいな事実と違うことを描いちゃったかもしれない。ただ私は母のことに関してはあまり後悔はないんです。頑張ってやり切った感じもないんだけど、旅行にも一緒に行ったし、孫の顔も見せた。あんまり優しくはできなかったけど、それはしょうがないし(笑)」

■表立って言えない思いを共有できる「場」ができるといい

 この本を描こうと思ったのは、親の病気がわかって動揺する気持ちや、心の内面が書かれたものを読みたいと思った瀧波さんの気持ちにフィットする作品がなかなかなかったこともきっかけのひとつだという。

「私は『親の死に対する参考書的なものとして役に立つかな』と思って描いた部分が大きいんです。でも『自分が瀧波さんになったみたいに読んで、泣いた』と言う方もいて、そういう読み方もあるんだなって逆に驚きました。たしかにそういうシーンもあって、回によって描きづらいなってところはあったんですけど、特に頑張って泣けるような作品にしよう、というのはなかったですね。私は学校で先生が怒り出して教室がシーンとするときでも、面白いところを見つけて心の中で楽しんじゃうタイプなので、自分自身が深刻な状態でもシリアスになりきらないんです(笑)」

「CREA WEB」での連載中から大きな反響があった本作。読んだ人から「実は私も……」という感想が送られてくることがあったという。

「この話を描いてみると、『私も親が今病気で』とか『もう亡くしているんですが』と、読者さんがツイッターのリプライで自分の経験を伝えてくれたり、私のサイトに長い打ち明け話を送ってくれたりしたんです。私はこの連載を始めるまで母が亡くなったこと、病気だったことはひと言もツイッターに書いてなかったんです。誰かと思いを共有したいなとは思っていたんですけど、そういう場もなかったし、しかもどんなテンションで、誰に向かって言っていいかわからなかった。でもいざ描いてみると、そういう人がいっぱいいたんだなって。親が病気だってこともそうだし、折り合いが良くないってこともそうだし。いっぱいいるんだけど、みんな表立っては言えないんですよね」

 今後は「親の病気や介護、看取りなどの思いを共有できる場ができるといい」という瀧波さん。

「ガン、心臓病、脳卒中とかタイプ別に体験談が分かれていて、それぞれの声が聞けたり、マンガが読めたりして、正しい情報も拾えて、愚痴もこぼせるようなクオリティの高い『親が病気.com』みたいなのがあるといいですよね。だからこの本がきっかけになって、ネットに感想を書いて、その感想を見た人が『この人となら話ができるかな』ってつながってくれたらいいなって思いますね」

取材・文=成田全(ナリタタモツ) 写真=内海裕之

[プロフィール]
瀧波ユカリ 漫画家。1980年北海道生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。2004年『臨死!! 江古田ちゃん』が月刊アフタヌーン四季賞で大賞を受賞しデビュー。主な著書に『あさはかな夢みし』『はるまき日記 偏愛的育児エッセイ』『女もたけなわ』『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』『女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態』(犬山紙子との共著)など。近著に『30と40のあいだ』『モトカレマニア』。