アニソンシンガー・影山ヒロノブがどん底生活で手に入れたもの【インタビュー】

エンタメ

2018/5/3

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『ゴールをぶっ壊せ 夢の向こう側までたどり着く技術(中公新書ラクレ)』(影山ヒロノブ/中央公論新社)

 日本のアニメを語るうえで欠かせないアニメソング、通称アニソン。アニメの世界観を約90秒の映像と音楽で表現するアニソンは、時に気持ちを盛り上げ、時に作品の余韻を感じさせてくれる。

 そんなアニソンを長年歌い続けてきたアニソンシンガー・影山ヒロノブ氏が『ゴールをぶっ壊せ 夢の向こう側までたどり着く技術(中公新書ラクレ)』(影山ヒロノブ/中央公論新社)を出版。ロックバンド「LAZY」でデビューしてから、どん底の生活の中、アニソンと出会い、現在どのようにアニソンと向き合っているのか、綴られている。

 本インタビューでは、アーティストとしての年収が7万円だったどん底生活や困難を乗り越えるために必要なもの、アニソンシンガーならではの喜びなどについて語ってくれた。

■建設現場で汗を流した15年で得たものは?

――ご自身の半生を綴った『ゴールをぶっ壊せ 夢の向こう側までたどり着く技術』。出版された率直な感想はいかがでしょう。

影山 このように、まとめて自分の想いを語るのは初めての経験。これまで自分の中でバラバラだったエピソードが、今の自分を形成しているんだなって、実感することができました。

――どのような出来事が心に残っていますか?

影山 22歳から37歳まで15年続けた建設現場のアルバイトですね。そのときは、同時にライブも年に100本以上やっていたので、まず身体がキツい。それに、いつも建設現場の監督が怒り狂ってて、めちゃくちゃ怖かった(笑)。

――僕だったら耐えられないかもしれません……。

影山 本当にツラくて逃げ出したかったです。でも、ツラいことをひとつずつ乗り越えると、自然と何とかなりましたね。そして、我慢して続けていれば、必ず次の展開に移れる、というのを身体で覚えることができました。

――その経験が今も活きているんですか?

影山 活きてますね。例えば、レコーディングでにっちもさっちもいかなくなる状況があっても、逃げ出すのではなく、何とかベストの形に持っていこうと考えられるようになりました。これは明日が見えない絶望感の中で、汗にまみれて心が鍛えられたからだと思います。建築現場にいなかったら、もっとやわで根性無しだったかもしれません。

■試練を乗り越えるために必要なものは敗北感と絶望感

――なるほど。そういう厳しい世界に揉まれていない若い世代のメンタルは弱い?

影山 それはない。建設現場の仕事でも、アニソンシンガーでも、一般企業でも試練は全ての人にやってくる。それを乗り切った人だけが、生き延びることができて、最後に天職に出会うことができると思います。

――試練を乗り越えるために何が必要でしょうか。

影山 初めて困難にぶつかって、打ちのめされたときの敗北感と絶望感ですね。最初から完璧にできるやつはいない。たまに何でもできる天才がいますけど、ほとんどの人は天才ではないから、失敗して落ち込む。そのとき同時に芽生える「悔しい」「惨め」だという気持ちが原動力になります。

――失敗から全ては始まる、と。

影山 理想だけでは、なかなか人間は火が着きません。自分が一番頑張っているところで、一番恥ずかしい想いをする。すると、誰よりも自分が一番情けない。情けなすぎて、絶対火が着きます。

――火傷しないように、ケガしないようにではなく、思い切って飛び込んでみて大火傷することが大事ということですか?

影山 絶対そうだと思います。

――なるほど。影山さんの火が着いた瞬間はいつでしょうか。

影山 最初にデビューしたLAZYというバンドが解散したとき、自分は詞も曲も書けず、何をやるべきかわからない状況。解散してすぐのライブはホールいっぱいのお客さんが来たのですが、次第に、200、300人ほどのライブハウスでも半分埋まらなくなりました。そして、レコード会社から契約を切られ、プロダクションからもクビに。さらに、所属していた会社の社長が「影山が売れる可能性はゼロ」と言っていたのを人づてに聞いた瞬間は、さすがに「やめた方がいいのかな」「向いてないのかな」って考えました。でもそこで、初めて「音楽をやめたくない」って思ったんです。とことん打ちのめされたからこそ、オレは成り行きで音楽をやってるんじゃない。本当に音楽が好きなんだって火が着いた瞬間でした。

■アニソンシンガーは作品の歯車のひとつ

――特撮の主題歌やアニソンを歌うことに抵抗はありましたか?

影山 全然なかったです。自分の歌唱力を必要としてくれて、声をかけてくれている仕事ですから。「プロのシンガーとしての力の見せ所だぞ」と思ってやっていました。気づけば、すごい数の特撮・アニメソングを歌っていて、1100曲とか1200曲くらい。多いときは、1日6曲収録する日もありましたね。しかも、バイトをしながらやっていた。今では絶対できません(笑)。

――アニソンを歌うときに意識していること、大切にしていることはありますか?

影山 作品のコンセプトが一番カッコよく見える歌を残したい。そして、自分がアーティストだから、と一番前に出ず、作画・アニメーター・声優と同じように作品を生み出す歯車のひとつ。何がベストのアニソンなのか、みんなで一緒に考えながら作っています。そんな裏方魂が一番カッコいいですよね。

■アニソンシンガーに求められる“個性”

――書籍の中で、アニソンシンガーは「自分たちにしかできないこと」がないと生きていけない、とありますが、影山さんが考える自分だけの個性は何でしょう。

影山 ヒーローを動かすときに、パッションを感じさせる歌を歌わせたら一番でいたいですね。具体的には、リズムに命を与えるような、弾けるように細かくリズムを刻めるところは強みかな、と思います。

――それを実感したきっかけはありますか?

影山 TVアニメ『ドラゴンボールZ』の主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA」をリリースした後に、お話をいただく曲がパッションを感じさせる曲が多かったこと。さらに、当時取材で「影山さんの曲を聴くと、子どもがおもちゃ箱をひっくり返す」と言われまして(笑)。感覚的に子どもたちがワクワクするような躍動感がある、そういうタイプのアニソンシンガーだなって思いました。

――少し前まで、アニソンは「マンガの歌」と言われていましたが、最近では「アニソンシンガーになりたい」という人が多いと思います。その方々に向けてアドバイスをいただけませんか?

影山 漠然と歌が上手いだけでは、今の時代は売れない。個性を重視する時代だからこそ、こういうアニソンを歌わせたら絶対一番、って言えるようなアピールポイントを持って入ってきてほしいですね。例えば、Linked HorizonやALI PROJECTは独自の世界観があって、ライブ会場の空気が一変する。今もそうですけど、これからのアニソン界にはそれが必要。

――自分にしかできない個性は、どうやって見つけたらいいでしょうか。

影山 自分の心と相談して、自分をよく知るしかない。それから、これだったら人に負けないかもしれない、というものを見つけて伸ばしていけばいいと思います。

■完成したアニメーションを見る瞬間はいつも感動!

――アニソンがテレビで放送されるのはおよそ90秒。90秒に収めるのは大変ではないですか?

影山 厳密には曲作りの段階では編曲(アレンジ)されていないので、約90秒で作っています。でも不思議なことに90秒で作るのが体内時計になっているようで、テンポが違う曲でも普通に作っていて85秒とか。

――ボクサーの1ラウンド3分みたいですね(笑)。

影山 そうですね(笑)。たまに40秒で曲を作るときもあって、そうすると、削って削って出して、すごく大変なんですよ。もうCMソングとかキャッチコピーとかと同じ感覚かもしれないですね。

――絵が入った完成版を見るのは放送のときですか?

影山 基本的にはそうです。サイズだけ決まっていて、それに合わせてアニメーションを作ってもらいます。

――実際に放送を見て、アニメと曲がぴったり合った、というものはありますか?

影山 自分が作った曲の中では、最初の牙狼の主題歌をテレビで見たときは感動して泣きそうになりました。もう寒気を通り越して、震えて感動。これがあるから、アニソンシンガーは辞められない。あと、自分が作ったものではないですが「CHA-LA HEAD-CHA-LA」も初めて見たときはたまげました! だから、映像と音楽が一緒になると、いつも感動します。「報われたなぁ」って、毎回思いますよ(笑)。

――最後に読者に向けて一言お願いします。

影山 デビューして40年、がむしゃらにやってきたことをひとつのストーリーのように読んでもらえるのは、とても光栄なこと。自分はこうやってアニソンシンガーとしての一生を全うしているけれど、全ての若者たちにも、やりたいことをやる一生を送ってもらいたいと心から思っています。少しでも刺激になってくれたら、嬉しく思います。すぐ読めるサイズなので、是非読んでみてください。

 本書では、デビューから40年の軌跡が事細かに記されている。全力で走り続ける影山さんの姿に、きっと勇気づけられるはずだ。

文=冴島友貴

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“アニソン界のプリンス”ことアニソンシンガー・影山ヒロノブさん