夏の甲子園に存在する“空白の4年間”――高校野球に殺された男による戦後の高校野球復活劇!

文芸・カルチャー

更新日:2018/8/21

 今年も始まった夏の甲子園(正式名称は全国高等学校野球選手権大会)。高校球児の熱き想いがほとばしる夏の風物詩、今年は第100回という記念すべき節目を迎える。だが、第1回大会が行われたのは1915年。実は高校野球ファンでも知らない人は多い、空白の4年間が存在する。その歴史の謎を解き明かす、男たちの熱き青春群像を描いたのが小説『夏空白花』(ポプラ社)だ。著者の須賀しのぶさんにお話をうかがった。

敗戦直後だからこそ、高校野球を復活させる意義があった

――1941年の甲子園は、太平洋戦争のために地方大会途中で中止。敗戦後の1946年に復活させたのが、朝日新聞の記者たちだったなんて、知らなかったので驚きました。

須賀しのぶ氏(以下、須賀) そうですよね。朝日新聞の、甲子園担当の記者さんでさえ知らない方もいらっしゃいますから。でも、戦後の混乱が続くなかで高校野球を復活させるって、よく考えたらすごいことだったと思うんです。作中にも書いていますけど、日々の食べるものにも困っているのに、そんなことしている場合か、って声のほうが大半だったでしょうし。

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――震災後、何かにつけ不謹慎と言われてしまう空気がありましたが、それと似たものだったんでしょうか。

須賀 だと思いますが、比にならない反発があったでしょうね。だけどそれでも、記者たちは高校野球を何としてでも復活させようとした。それは、彼らにとって、戦後を生き抜く国民にとって、スポーツとしての意義を超えた大きなものがあったからなんじゃないかと思ったんです。

――『雲は湧き、光あふれて』(集英社オレンジ文庫)でも戦時中の高校野球については描かれていらっしゃいますね。

須賀 はい。だからこそ100回大会を記念するこの作品では、いかに復活したかを描きたかった。これまで書いてきた高校球児たちの青春ではなく、今回は、復活に尽力した大人たちにスポットライトをあてよう、と。高校野球の青春と歴史大河という、私がこれまで書いてきた2つのラインを融合させることができれば、自分にとっても記念すべき作品になるんじゃないかなという想いもありました。

――手ごたえとしてはいかがですか。

須賀 うまく書けたんじゃないかなあ、と思いますけどどうなんでしょう(笑)。歴史小説だといつも時代背景を語りすぎるのが私の悪いクセなんですが、青春小説としての切り口も意識していたので、重くなりすぎずに済んだ。青春と歴史、どちらのラインが好きな読者さんにも楽しんでいただけると思います。

高校野球に殺された男が、高校野球復活とともに生き返る

――主人公は、かつて高校野球のヒーローになりそこねた神住 匡(かすみ ただし)。大阪朝日新聞の記者です。

須賀 先人たちの遺した意志みたいなものを受け継いで、新たに形としてつくりあげていくのは、こういう人だろうなあ、と。同じ大会で戦った、圧倒的なスター選手・沢村栄治に対する憧れ。怪我さえなければ、自分もそちら側に行けたかもしれない無念さ。沢村ほどの選手が、戦争で理不尽に殺されてしまった絶望……。野球を深く愛していたけれど、同時に野球に殺されもした人なんです。国やメディアの恐ろしさも、野球のもつ残酷な力も知っている彼だからこそ、戦後の今だからこそ、復活させなければならないというところに辿りつけるんじゃないかと。

――沢村栄治は実在した選手ですね。わりと冒頭で、彼がなぜ死んでしまったのかが語られるのを読んで涙が滲みました……。

須賀 本当にやるせないですよね。戦時中のこういう話ってたくさん残されているから、絶対に受け継がないといけないんですけど、悲惨さだけを前面に出すのは違うなと思っていて。だから、神住の回想にとどめておきました。それでもやっぱり、書いていてもつらいものがありました。

――神住が高校野球復活に動き出したきっかけは、最初は自分の立場を守るためでしたけど、この沢村の存在が大きく影響していたことがわかってきます。

須賀 同僚の安西さんが「お前は沢村の影を追いすぎてる」みたいなことを言いますが、私自身、書いていてこれほどの影響を神住に与えているとは思わなかった。でもたぶん、最初から、残された側として彼らの無念を晴らしたいと強く願っていたんですよ。ただ、神住の心は、野球と戦争によってずっと半分死んだままだったので、自覚できていなかったんでしょうね。

終戦日から1年間の新聞を読み続けて知ったもの

――高校野球のために動いているうち、野球に殺された彼が、野球によってまた生き返っていく。その過程も胸に響きました。ちなみに取材が相当大変だったのではと思うのですが……。

須賀 戦時中については資料がけっこう残っていて、朝日新聞が自社批判の本を出していたりもするんですよ。だからそれを読んだり、社史を調べたり……。でも連載中は調べるのが追いつかなくて、書き直すにあたって新聞記事をとりよせました。終戦日から1年分の、大阪朝日の紙面。

――えっ、1年分の新聞を読み込んだんですか!

須賀 そう。これがめちゃくちゃおもしろくって。如実に歴史の流れがわかるんですよ。国内の空気感がどんなふうに変化したか、とか。たとえば、終戦前日の記事では「大勝!」と士気を煽っているのに、翌日にはそれがなかったことになっている。おかしいですよね、どう考えても。

――作中でも神住が、これまで軍部の意向に沿って記事を書き、戦争が終われば軍部批判という、新聞社の信憑性と矜持について疑問を抱くところがあります。

須賀 敗戦直後はどちらかというと、軍批判よりもアメリカ軍がやってくることに対する警戒心のほうが強いんですよ。俺たちだって頑張ったんだから卑屈になることないよ、っていう感じで。ところがGHQの怒りに触れて出版停止を食らったとたん、いきなり手のひらを反して彼らに倣う。

――そのあたりも、作中にありましたね。

須賀 その過程も記事を見ていると、すごくわかりやすいです。あとは軍上層部の自決が続いて、全体的にどんよりしていて。混乱がおさまった10月くらいからは本格的に世相が暗くなってきて、不作だったこともあり食糧不足も深刻になっていった。でも一方で、娯楽が復活しはじめるのもこのあたり。暗くなればなるほど、なんとかしようという気概が見えはじめるんです。そんな中、年明けに「どうなるかわからないけど、高校野球を復活させる方向で動きます」って記事が出たときは、私と担当編集者さんも感動してしまいました。ようやく人々が混乱から立ち上がって現実を見るようになってきたんだ、というのが伝わってきて。

――メディアの伝えることは“国”の状況によって変わる。他人事じゃないな、と思いました。

須賀 現代と重なるところがないと、娯楽として書く意味がないんですよ。かといって警告を発する、みたいな部分が強くなると娯楽ではなくなってしまう。ただ、物語の中で過去と現代が繋がっているんだと伝えられたらいいなあと。

――特に印象に残っている記事はありますか。

須賀 1946年8月16日――「青春いまぞ我らに」という煽りとともに高校野球復活を知らせる記事ですね。ここに書かれた「地上にパッと咲いた花」というのが、本書のタイトルのもとになったものなんです。白い花とはなにかは、読んで確認していただければと思います。

ともに生きていくために必要なのは、完全な理解ではない

――復活最大の壁はアメリカ軍……GHQでした。球場をはじめ、大きな土地は接収されている。そもそも国として復興せねばならないときに、大会開催など許してくれるのか。神住はGHQとの交渉を始めます。

須賀 そもそも、GHQとの関わりをメインに書きたかったんですよ。戦勝国と敗戦国の文化の違いを、野球という共通文化を通じて描きたいなと。ただ、困ったことにGHQと高校野球関連の資料がほとんど残されていなくて。それで結果的に、物語の主軸が神住を中心とする人々の心の再生に寄ったんです。でも本当は、神住とエヴァンス(後半に出てくるGHQの中佐)、2人ともが主人公だったんです。物語の展開としても、2人が協力しあう形を考えていたんですが……まあ、史料を読めば読むほど、どう考えても無理だなと。この物語以後、高野連とGHQがぶつかりあったりもしますしね。

――スミス大佐に「朝日ではなく落日がぴったり」と揶揄され、「日本の野球は我々のベースボールは違う」とエヴァンス中佐に批判されるシーンもありました。

須賀 野球とベースボールの違い、というのが、本来いちばん書きたかったテーマなんです。私自身、高校野球が好きで見ていますが、エヴァンスが批判するようにおかしいと思うことは多々あるんですよ。でも、そこが高校野球なんだよって思いもある。アメリカ側から見たら奇妙でたまらない精神主義に日本人はどうしても感動してしまう。そのアンビバレンツな部分は、高校野球が好きな人は誰しも抱いているんじゃないでしょうか。無邪気に感動している人って、そんなにいないと思いますよ。

――野球はそんなに詳しくないのですが、ニュースでちらほら聞く限りでもその雰囲気は感じます。

須賀 今は運営側も、タイブレイク制度を取り入れたり規定をゆるめたり、学生に負担がかからないようにしているんですけど、それでもすべてが解決されているわけじゃないし、批判の声はごもっともだと思います。でも今回の作品で描いたとおり、復活の過程にそもそも日本人としての精神性が大きな役割を担っている。だからといって、それをそのまま野球道として残していくべきとは思わないけれど、高校野球のコアはベースボールと明確に違う。戦前から受け継いできた日本特有のものだから、なにかいい形で後世に引き継いでいけないものかと、初心に返る思いで書いていました。

――精神主義がすべて正しいわけじゃないけれど、すべてゼロにしてしまうのも違う。

須賀 そう。たとえば、敵であろうと相手に礼を尽くそうという義理が徹底しているのは、美点でもありますからね。まあ、日本軍の戦い方って、アメリカ軍からすると本当に意味がわからないことも多かったみたいなんで、理解できないのも当然だなと思いますけど。でも別に、完全に理解しあわなくてもいいと思うんです。国同士のことも、高校野球のことも、なんだって結局作るのは人と人の関わりあいがあって。そこに必要なのは、お互いの考えを否定しないこと。理解できなかったとしても、相手はそういうものなのだと尊重してすりあわせていくことなんじゃないかって、そういうことを言いたかったんだなあと書き終えた今は思います。

取材・文=立花もも 撮影=海山基明
協力=STADIUM CAFE(東京都新宿区霞ヶ丘町4-1 日本青年館 1F)