冤罪は他人事ではない―今なお続く「袴田事件」の裁判を検証する【インタビュー】

社会

2018/10/5

『袴田事件 これでも死刑なのか』(小石勝朗/現代人文社)

 あなたの上司とその家族が殺され、「アリバイがない」という理由であなたが逮捕されてしまう。無罪を訴えても聞き入れてもらえず、その後50年にわたり収監され続けたら、あなたはどうするだろうか?

 1966年6月に発生し、2018年になってもまだ審理が続いている「袴田事件」の袴田巖さんは、48年もの歳月を獄中で過ごしている。無罪を主張し続けてきたものの死刑判決が下り、2014年に再審(裁判のやり直し)の開始が一度は決まったが、検察は即時抗告。そして2018年6月11日、東京高裁は再審請求を棄却した。つまり袴田巖さんは釈放された今もなお、死刑囚のままだ。

 元朝日新聞記者でフリーライターの小石勝朗さんによる『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社)は、袴田事件について検証した1冊になっている。果たして袴田さんは本当に死刑が妥当なのか。捜査に違法な点はなかったか。そもそも袴田事件とはどんな事件なのか。小石さんに教えていただいた。

有罪である、確たる証拠はない

 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社の専務宅から出火し、焼け跡から専務と妻、長男と二女の4人の死体が発見された。いずれの身体にも多数の刺し傷があったことから殺人事件と断定した警察は、住み込み従業員の袴田巖さん(当時30歳)を逮捕。検察は強盗殺人罪などで起訴した。

 袴田さんは一貫して無実を主張していたものの厳しい取り調べに遭い、ついに嘘の自白調書にサインしてしまう。また事件から1年2か月が過ぎた1967年8月、工場の味噌タンクから血の付いた衣類が発見され、それを検察が犯行着衣だと主張。裁判所も受け入れ、1980年に死刑判決が確定した。その後、再審(裁判のやり直し)を求めるものの認められなかったが、2014年3月に静岡地裁は姉の秀子さんによる第二次再審請求を認め、死刑執行と拘置の停止を決定。これにより袴田さんは東京拘置所から釈放されたが、この決定を東京高裁がひっくり返し、現在も最高裁で審理が続いている―。これが袴田事件のあらましだ。

 50年以上も前に起きた事件なので、「名前すら聞いたことがない」という人もいることだろう。現在55歳の小石さんも、朝日新聞静岡総局に赴任する2006年頃までは、事件のことをあまり知らなかったそうだ。

「2011年まで朝日新聞の記者をしていましたが、2006年に静岡総局に赴任した2か月後、輪島功一さんらプロボクサーが、次々と袴田さん支援に名乗りをあげたことを知ったんです。そこで最初は『記事になるかな』ぐらいの気持ちで取材を始めたというのが、率直なところです。私も学生時代まで袴田事件についてほとんど聞いたことがなくて、記者になって知り合いから事件について聞く機会はあったものの、それまで自分で取材することはありませんでした」

 不可解な点が多い事件だとはおぼろげに感じていたが、支援者などから話を聞く中で死刑判決の根拠自体に疑問があることが明確になり、取材を進めていくことにしたそうだ。

「たとえば取り調べ中にトイレに行かせず取調室内で用を足させたり、取り調べの録音テープを聞くと警察が自白を誘導していたり、味噌タンクから出てきたズボンが袴田さんには小さすぎて履けなかったのに、検察が『1年2か月も味噌に漬かったものが乾燥したから縮んだ』と主張したりと、捜査はおかしな点だらけなのに死刑判決が下ってしまった。警察や検察はとにかく、誰かを犯人にしなくてはならないと思っていたのでしょう。しかし私は、袴田さんは無罪だと確信しています」

「ボクサーくずれ」への社会の強い偏見

 袴田さんが逮捕されてしまったのは事件当夜のアリバイがないこと、左手中指にけがをしていたことなどが理由だが(指のけがは消火活動で負傷したものと後に判明)、何より元プロボクサーだったことも影響したのではないかと、小石さんは言う。

「袴田さんに対しては、『ボクサーくずれ』という偏見もあったと思います。今でこそ格闘家は拳で成りあがるカッコいいイメージがありますが、事件が起きた当時は現役はともかく、元ボクサーに対する蔑視が社会にはありました。袴田さんもボクシングを辞めた後はバーを経営したりしていましたが、味噌製造会社は人を介して専務と知り合い就職した先だったので、そんな恩義のある相手を執拗に刺すようなことをするのか。甚だ疑問です」

 同書は小石さんが、2011年から2018年にかけて執筆してきた記事をもとに構成されている。取り調べ時のことや検察が証拠として提示してきた衣類の矛盾点、DNA鑑定をめぐる審理の様子などを詳しく紹介しているが、袴田事件については既に何冊もの本が出ている。書き分けの苦労はなかったのだろうか?

「実は先行本の刊行は、2014年あたりで一度落ち着いているんです。再審開始決定以降に非公開の裁判官、検察官、弁護人による三者協議が1~2か月に1回程度の頻度で進んでいたのですが、それをずっとウォッチするのは大変ですよね。でも私は一度取材を始めたなら継続して見ていかないとと思っていたので、とにかく記事を出し続けようと。

 取材を始めた当初はまだ袴田さんは拘置所にいて、支援者ですら決まった人しか面会できない状況でした。ご本人は長期間の拘置で精神を病んでいたのですが、精神に障害がある人に適切な治療もせず、死刑執行を前提にずっと拘束しておくこと自体、おかしな話ですよね。初めてお会いしたのは、釈放直後の2014年4月の日弁連による報告集会の場でしたが、その時の袴田さんは足元もおぼつかなくて顔色も青白くて。ずっとVサインをしていてマイクを握ったら話が止まらなかったけれど、内容に脈絡がなくて。だからあの時は『出てきて本当に良かったけれど、これからが大変だ』って空気でしたね」

冤罪は決して、他人事ではない

 これまで足利事件や布川事件など、一度は犯人にされた人の無罪が証明された事件はいくつかある。それらと袴田事件の違いは、どこにあるのだろうか?

「4歳の女児を殺したとして無期懲役が確定し、17年6か月を獄中で過ごしたものの2010年に再審で無罪になった『足利事件』の菅家利和さんは、DNAの再鑑定で無実が証明されました。袴田さんもDNA鑑定で、犯行時に着ていたとされる衣類から被害者の血液も袴田さんの血液も確認されなかった。にもかかわらず検察は『DNA鑑定の手法に信用性がない』とし、これが再審請求の棄却決定に大きく影響しました。

 私が思うに、検察も裁判所も自分たちの先輩が下した判決をひっくり返すことに、非常に慎重なのでしょう。本来なら『疑わしきは罰せず』なのに『疑わしいから罰する』になっていること自体がおかしいけれど、仮に嘘であっても自白があれば裁判官はその自白を信じるんです。『やってない奴がやったと言うはずがない』という思い込みがとても強いのではないかと思います」

 袴田さんに限らず、警察や検察はこれまで強引な取り調べや自白の強要をしてきたことから、冤罪を防止すべく、裁判員裁判になる事件を対象に取り調べの可視化(録画)が進んでいる。一方で自白の強要があり冤罪が証明された男性が、その後に殺人を犯し無期懲役が確定する、という事件もあった。このことから小石さんは、『あいつが犯人だ』『冤罪だ』とすぐに決めつけるのではなく、どんな事件も1つ1つ丁寧に見ていく必要があると語る。

「裁判で確定するまでは有罪ではないのだから、報道だけを見て安易に決めつけないことです。1つ大きな事件の容疑者が逮捕されると『あの事件の犯人もあいつかもしれない』とか、逆に1つ大きな冤罪事件があると『あの事件も冤罪のはずだ』とか言い出す人もいますが、1つ1つをきちんと見ていかないとならないと思います。

 袴田さんに関して言えば、ご家族も二次被害を受け続けてきました。姉の秀子さんは袴田さんの逮捕後しばらく、テレビも見られず外も歩けない時期があったそうです。また可視化されたとはいえすべてではないので、今もどこかで袴田さんがされたように、無罪を主張しているのに自白を強要されている人がいるかもしれない。あるいは、警察署で弁護士との会話を盗聴されているかもしれません。冤罪事件に巻き込まれるのは、決して他人事ではありません。私だって無実の罪で捕まって何日も閉じ込められて取り調べをされて、心が弱っている中で『罪を認めたら子供に会わせてやる』と言われたら、心が折れないとも限りませんから」

 82歳になった袴田さんは現在、秀子さんとともに静岡県浜松市内で暮らしている。釈放はされたものの、無罪を勝ち取ってはいない。最高裁の決定次第では再収監もあり得るし、法務大臣がサインすれば死刑が執行されるおそれもある。手に入れた自由はあくまで、仮のものなのだ。

「2014年の再審開始決定で世の中の多くの人が『袴田さん無罪になったんだ。よかったね』と思ってしまっているふしがあるので、時々『まだ取材してるの?』と言われることがあります。しかしまだ終わっていないし、名誉の回復もされていません。だから事件発生から50年以上経っていますが、こんなにおかしな事件の裁判が今もなお続いているということへの関心を少しでも持ってほしくて、本にまとめました。

 袴田さんはお子さんが2歳になる少し前に逮捕されていて、48年間も離れ離れになっていました。そういうことからも『これがもし自分だったら』という想像力をもって、袴田事件と冤罪について考えてもらえたらと思います」

著者の小石勝朗さん

取材・文=今井順梨