セックスレス夫婦“すれ違い”の原因は? 結婚5年でレス2年『あなたがしてくれなくても』のケース

マンガ

更新日:2018/10/27

『あなたがしてくれなくても』(ハルノ晴/双葉社)

 売上累計100万部突破、今話題の漫画『あなたがしてくれなくても』(ハルノ晴/双葉社)は、セックスレスに苦しむ二組の夫婦の物語。夫婦の問題を妻の立場からも夫の立場からも描くことで、そのつらさや切なさをより普遍的にあぶり出している……のだけれど、それにしたって、夫婦=“男女”がもう少しうまく噛み合っていれば、こんなに苦しむことはないんじゃないの!?

 ということで、数多の恋バナに耳を傾けてきた、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんにお話をうかがいました!

『あなたがしてくれなくても』(ハルノ晴/双葉社)

■セックスレスの問題は、水面下に隠れているものがある

──男性として、共感するキャラクターはいましたか?

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清田隆之さん(以下、清田) 全員に共感するポイントがあるっていうところがすごい漫画だと感じました。男性だと、主人公であるみちの夫・陽一と、みちの同僚の新名さんというキャラクターがいますが、陽一は旧来的なジェンダー観を持っている男性で、新名さんはリベラルでフラットな価値観を持つ男性です。そんな新名さんまでもがセックスレスに悩むというストーリーは、現代的な感じがします。

 陽一は、いわばマジョリティー男子ですよね。セックスはすべて男性の勃起にかかっている、男さえヤる気になればいつでもできると思っている人。その勃起とは、興奮や欲情など内側から湧いてくるものによって起こるので、自分の意思ではどうにもならない、勃起しないものはしょうがないという発想です。これは、挿入行為だけをセックスだと考えているということでもありますね。そうなると、その気になれないのにずっと「なんでしないの」と思われている状態は、陽一にとって責められ続けてるような、わりと苦しいものだと思うんですよ。

──とはいえ、みちとのセックスから逃げた陽一は、AVを見たり、妻以外の女性にムラっときたりしていますよね?

清田 夫側に性的な関心や欲求があっても、それが妻にだけ向かないという話はメディアでもよく耳にしますよね。「妻だけED」と呼ばれるもので、この漫画で描かれている状況もそれに当てはまると思います。

 みちの場合、おそらく、セックスという現象の水面下に、思いやりや気遣い、スキンシップの不足や、大切な存在だと思ってもらえているのだろうかという不安、ようするに夫の愛情や尊重が実感できないという問題が隠れていると思うんですよ。そうだとすれば、単に挿入だけしても、問題は解決しませんよね。

 とくにこの夫婦の場合、陽一の行動がちょっと幼稚じゃないですか。みちより先に帰宅していても家事をするわけでもなくゲームをしているし、決死の思いで話し合いを求めたみちに対して「性欲強くない?」みたいな心ないことを言ったり、見え透いた嘘をついたり。こういう態度が、みちにとっては不安や悲しみとなって蓄積している。表面上はセックスレスという形で問題化しているけれど、本当の問題は水面下に隠れているもののほうではないかと感じます。

■受け入れてもらいたい男、気持ちを向けてほしい女

──たしかに、陽一の態度はちょっと配慮に欠けていますよね。陽一は、結婚を「恋人たちのゴール」だと考えているのでしょうか。

清田 油断する人は多いですよね、結婚すると。家事をしないとか、相手の言うことを話半分に聞くとか、オナラをするとか……恋人時代であれば絶対に見せないだろうというところを見せてしまう。まるで実家にいるときのような態度です。

 恋愛って、基本的には危うい関係の上に成り立っていると思うんですよ。恋人関係というのは口約束でしかないし、どちらかが「やめたい」と言えば終わっちゃう。不安定な関係のときは、相手の気持ちをもっとこちらに向けたいといろいろ努力をしますよね。それを結婚という制度で安定させると、その努力をやめてしまうのかもしれない。

 陽一の「愛してるから結婚してる訳じゃん?」というセリフがその感覚を象徴していますが、結婚関係という状態が愛の証になっていると考える男性は多いと思います。事実、「結婚したら妻が女から家族になっちゃった」と語る男性も少なくありませんよね。妻が家族になる──簡単に言うと母親みたいになってしまったという感覚があり、それがセックスレスにつながっているのかもしれません。陽一のようなジェンダー観を持つ男性にとって、家というのは外で戦うためのエネルギーを蓄える場所、気を抜いていられる場所なんだと思います。

 セックスという行為に関して、「ヤる」「ヤられる」、「挿れる」「挿れられる」って、男女で能動/受動にわけて表現することがありますよね。必ずしもこれが正しいとは思いませんが、それに沿って言うならば、男性は自分を受け入れてもらうことが目的で、女性は欲情してもらう、気持ちの矢印を向けてもらうことがひとつの満足の形ということになる。

 陽一は、みちにゲームをしている姿を許され、受け入れられているだけで満足していたんですが、みちが陽一に対して心を閉ざした瞬間、自分を常に受け入れてくれていた環境が壊れ、不安状態に陥りますよね。一方、みちはずっとそれに似た混乱の中にいると思うんです。なぜなら恋人時代には強烈に向けられていたはずの矢印が、今は向けられていないように感じる状態が続いているわけで……不安になるのも当然だと思います。

「話し合い」の場で男が考えていることは、「嵐よ去れ」!?

──そうだとしても、このままでは話し合いもままならないですよね。みちが話し合おうとしても、陽一は「面倒臭い」って逃げちゃうし……。

清田 そうですよね……。これは桃山商事の恋愛相談でも、本当によく聞く話ですね。これについては、話し合いという行為の捉え方が、男女でまるで異なっているように感じます。

 みちもそうですが、我々が話を聞いてきた女性たちの多くは、ふたりのあいだにある問題をまず共有し、考えが一致している部分や異なっている部分を認識した上で、対話をしながら一緒に解決策を考えていきましょうという行為を「話し合い」と呼んでいる。それに対し、陽一を含む男性の多くは、話し合いといえば「嵐よ、去れ!」、これしか考えていないんじゃないか疑惑が……。

 嵐っていうのは、相手の表面上の怒りのことですね。なんだかよくわからないけれど相手が怒っている、その状態が続くのはイヤだから、とにかく怒りを鎮めることが「話し合い」の目的となる。だから、女性が抱いている「話し合い」のイメージで男性たちの発する言葉を聞くと、支離滅裂だったり、ご都合主義のように聞こえてしまうのではないか表面上の怒りが鎮まりさえすればいいわけで、相手の質問にちゃんと答えてなかったり、響きはいいけど中身のない言葉ばかり発していたり……。もっとも、陽一はそんな体裁すら取り繕わず、露骨に面倒臭がってしまうわけで、さすがにヤバいですよね。

 ただ、女性の言う「話し合い」って、実はけっこう高度な営みだと思うんですよ。相手が言っていることを正しく理解する読解力や想像力が必要ですし、自分の考えや感じていることを言葉にする言語化能力も必要ですよね。「相手と向き合う」という経験をたくさん積まなければ不可能なことなんですが、陽一は幸か不幸か、おそらくそういった経験をすることなく生きてこられてしまった。男性には、一般的にそういう傾向があると思います。女性は、小さいころから心情描写が豊かな少女漫画を読んだり、女子会でおしゃべりしたりして無意識の内に言語能力が鍛え上げられているように感じますが、男性はそこが圧倒的に劣っている……。感情や思考を言葉にする筋力に相当な差があるように感じています。

■予測できない興奮待ちから、より建設的な勃起のために

──話し合いも難しいとなると、いったいどうしたらこの問題を解決できるのでしょう?

清田 男性が勃起すれば解決するものでもないと思うのですが、そういう方向の解決策を探るとすると、みちと陽一の夫婦については、というかどんな夫婦も経験することだと思いますが、もはや恋人同士のころの新鮮さは戻ってこないと思うんですね。

 もちろん、努力を重ねている夫婦もいます。実際にこれまで、セックスの鮮度を保つために、ふたりでハプニングバーに通っているとか、SMっぽいことをやってみるとか、あえて別居婚を選択するとか、様々な工夫をしてる夫婦の話を聞きました。どれもマンネリ化を防ぐという意図は共通しています。

 陽一としては夫婦関係にマンネリを感じていたわけですが、偶然というか自業自得で、その状態が揺らぎますよね。みちに心を閉ざされて、結婚という形で安定していたはずの基盤が失われかけた状況に陥った。彼はみちへの態度に罪悪感も抱えていて、しかも浮気までしてしまった。それでもかろうじてまだみちは目の前にいてくれている……そういう中で、少しでも元の居心地のいい状態を回復させようとします。その感情の上下動がエネルギーとなって、久しぶりに妻に欲情する……僕はこれを“ジェットコースター勃起”と呼びたいのですが(笑)、あんまりいい欲情じゃないですよね。

 こんな刺激を意図的に作り続けていくのは、かなりハードな道のりです。例えばふたりでハプニングバーに通っている夫婦は、他の人とセックスする様子を見て嫉妬を意図的に発生させ、家に帰って情熱的なセックスをするのだそうです。これはこれでひとつの参考事例ですが……やはり家庭生活という安定した基盤があって、刺激が少なくなっていく中でもセックスを続けるにはどうすればいいか。それを考えることが、多くの人にとって具体的な解決策になると思います。

 そこで提案したいのが、“リスペクト勃起”“感謝濡れ”です。

 いきなり何だって話ですが……これはつまり、「刺激や興奮まかせのセックスだけでなく、相手への感謝や敬意がエンジンとなるセックスもあるのでは?」という提案です。例えば「愛していれば求め合える」と言われても、愛という言葉が指し示すものって、ちょっと大きすぎるじゃないですか。それをもう少し細分化して、相手のいろいろな面に目を向けてみようと。パートナーの素敵なところ、すごいなと思うところ、尊敬できるところを見つけて、ちゃんと把握していくということがまず大切だと思うんです。そうしていると、「この人と一緒に暮らせて幸せだな、ラッキーだな」という気持ちになり、じんわりした愛情の高まりが、血液の流れになり、角度を持つ……ということが実体験としてもあるんです(笑)。よく「ドキドキは数年でなくなる」と言いますが、刺激や興奮といったものはそうかもしれませんが、愛情の蓄積はむしろ上がっていく可能性すらあるわけで。

 興奮や快楽のメカニズムに「予測誤差」という用語があります。人間の脳は、常にちょっと先のことを予測しているらしいんですが、そのシミュレーションが少しずれたとき、「おもしろい」とか「気持ちいい」という感じが生まれるらしいんです。自分のことをくすぐってもくすぐったくないのは、手の動きが完璧にシミュレーションできてしまうからなんだそうです。でも、他人からのくすぐりは動きが予測から少しずつずれるから、くすぐったいという感じが生まれる。社会学者の上野千鶴子さんは『快楽上等!』(湯山玲子さんとの共著/幻冬舎)という本の中で「予測誤差のあるところのほうが、刺激はより強くなる」と語っています。夫婦って時間が経つほど、この予測誤差を起こしづらい関係になっていくんでしょうね。

 そうであっても、たとえば、自分たちにとって新しいテーマの映画を見て感想を語り合うような機会があれば、「この人にはそんな考え方があったんだ、すごいな」といった一面が見えてくるかもしれません。また「この人と一緒にいられてよかったな」という気持ちもわいてくるかもしれない。それが、相手へのリスペクトや感謝につながると思うんですよ。

 ふたりでいろいろなことをやってみて、いろんなリスペクトや感謝の種を見つけていく。そうすれば、ジェットコースター的な興奮ではなく、建設的な欲情──“リスペクト勃起”や “感謝濡れ”(逆でももちろんいいのですが)ができるんじゃないかと思っています。

取材・文=三田ゆき 撮影=内海裕之