朝ドラ「スカーレット」で話題、注目の陶芸家! 男中心の世界で道を切り開いた神山清子のただならぬ才能とは?

文芸・カルチャー

2019/9/30

【前編】朝ドラ「スカーレット」で話題! 女性陶芸家・神山清子の半生を描いた『緋色のマドンナ』作家・那須田淳インタビュー

 9月30日より放送開始するNHK連続テレビ小説『スカーレット』。戸田恵梨香さんが演じる主人公・川原喜美子のモデルは、実在する信楽焼の陶芸家・神山清子さんだといわれている。那須田淳さんが彼女の生涯をずっと書きたいと願い、満を持して世に出ることになった伝記的小説『緋色のマドンナ』(ポプラ社)。

 インタビュー後編では、清子と夫・雅也の実力、男女の価値観の違いから生じた夫婦間の歪みも明らかになる。

■自分のなかで折り合いをつけていく生き方が、未来の希望へと繋がっていく

――差別でいうと、炭鉱で働く朝鮮人に対して、清子が自分の差別意識に気づかされるところも印象的でした。朝鮮人に間違われていじめられるたび「自分は違う」と言い張ろうとしていた彼女を、当の朝鮮人の女の子が助けてくれる。それをきっかけに、自分を恥じることができる彼女というのも素敵だな、と。

那須田 これもまた連綿と続く問題のひとつですよね。最近はとくに過剰になっている気がしますが、問題の起点をどことするのかでも話は変わってきてしまう。それから、自発的に出稼ぎに来たという意識の人と、強制的に連れてこられたという意識の人では、同じ酷い目にあったとしても感じ方はずいぶん変わるでしょう。日本人でも同じ目にあった人はいるだろうけど、同胞にやられるのとそうでないのとでも、また違う。

 差別の問題の難しさは、している側とされている側に認識のずれがあることなんです。そのずれは、決してなくなりません。だから、されている側は何かを諦めることによってどうにか自分を納得させていくしかないし、している側は恥じることによって「こういうことをしてはいけない」と認識していくしかない。互いにうまく歩み寄らない限りは、そのずれは埋まらないし、対立も消えない。

――神山さんは、助けてくれた少女の面影を抱きながら、陶芸家として韓国に指導に訪れますね。

那須田 信楽焼だけでなく、日本の焼き物は朝鮮の技術が入ってきて発達しているんですよ。須恵器の時代から、背景には必ず朝鮮の陶工たちが技術を教えてくれた歴史がある。だから神山さんは、朝鮮の人たちに対して恩人のような気持ちを抱いているんだと思います。今度は自分が技術を伝えることによって、大きな流れのなかで還元していきたいという。互いの技術を交換し、ともに育っていく。そういう新たな流れを生み出すことで、焼き物の世界だけでなく広い世界での改善に繋がっていくのじゃないかな、と僕も思います。

――それもまた、根源にはお父さんの教えがありますよね。

那須田 うん。だからやっぱり、神山さんはお父さんの悪口を言いながら受け入れている。この、いろんなことを受け入れていく、自分のなかで折り合いをつけていく生き方ってすごくいいな、と僕は思います。社会に革命を起こそうとするのではない、個人がよりよく生きていくために今の状況を改善していこうという意識と努力で道を拓いていく。だから神山さんは、それひとつで勝負できる作品をつくるための研究を惜しまない。本当に魅力的な生き方だと思います。

――魅力的だからこそ、夫の雅也(仮名)はつらかっただろうなあ、と少し思います。最初から清子の才能は彼も認めていたわけですが、自分の隣でぐんぐん開花していく姿を見るのは、同じ仕事をしているだけにしんどいよなあ、と。

那須田 彼のほうが中学の先輩なんだけどね。美術のコンクールで彼は万年2位で、ずっと打倒清子を掲げて意識していたのに、清子さんはまるで眼中になく、存在も知らなかった。そこから全部始まっている気もします。自分の好きなことだけにひたすら打ち込む清子さんと、他人を気にし続けている雅也。形から入りたがるのは男性にありがちなんですが、ようするに見栄っ張りだし、ポーズをつくっていないと自信が保てないんですよ。後半、夫婦に亀裂が入っていく過程には、彼の焦りもあっただろうなと思います。

――天才と秀才の分かれ目、というのをまざまざ見せつけられた気がして、雅也の言動には腹が立つものの、身につまされるものがありました。

那須田 陶芸世界の慣習も影響したかなと思います。窯元は男でなくてはいけないとか、女性は窯場に入ってはいけないとか、雅也は他の人に比べてそれほど男尊女卑の意識は強くないほうだったけれど、それでも、自分のほうが上でなきゃいけないんだ、一家の主でなくてはいけないんだ、というプレッシャーも大きかったのではないかと。これもまた現代に通じるところがありますよね。女性はやりたいことがやれない、男性はやりたくもないことを背負わされる。男女の役割にとらわれず、お互いが納得できることができるようになれば、関係もずいぶん改善されるはずなんですが。

 雅也と対照的なのが息子の賢一さんで、自然釉にこだわるお母さんに対して、彼は釉薬を使う天目茶碗を制作し続けたんです。たぶん、お母さんのやり方を踏襲してはぶつかってしまうし、超えられないから。違う世界に足を踏み入れることによって自分なりの焼き物をつくろうという意地だったんじゃないかと思います。

――父親(雅也)の姿を見ていたから、というのもあるかもしれませんね。

那須田 かもしれません。賢一さんは陶芸家としてこれからというときに亡くなってしまったけど、素晴らしい天目茶碗が今も残されている。書き終えた今は、この作品はいろんな面で、今に繋がっていく物語だったのかな、という気がしています。

 後半、神山さんはお父さんから、アトリエをつくるための土地を譲り受けますが、あのとき書いた満月は僕の創作で。なんとなく、月を照らすことによって、お父さんの存在もまた神山さんの人生を照らし続ける――見守り続ける光になるのだろう、という予感を描きたかったんです。

「陶芸の作品はすべて『動』でなくてはならない。天をめざしていけ」という清子が以前から惹かれていた東京の美大の教授・沢登先生の言葉にも重なって、先人たちから大切なものを引き継ぎ、自分も未来へと託していく。その循環を書くことができたのではないか、と。

 小説は書き終わりましたが、神山さんはまだまだ作陶を続けていくおつもりなので、この先どんな新しい作品が生まれるのか、私も楽しみにしています。

取材・文=立花もも 撮影=岡村大輔