“惚れた男”は追いかける――二児の父・寺島進が、長い下積みを経て役者として突き進む“原動力”とは?

エンタメ

2020/1/31

父親と寺島少年。深川の実家の屋上で(書籍より)

 幼少期から現在までを赤裸々に語りおろした初の自伝『てっぺんとるまで! 役者・寺島進自伝』(ポプラ社)を出版された俳優の寺島進さん。男が憧れるカッコいい生き方は、どのように形作られたのか? そして人生の転機での出会いとは? じっくりとお話を伺いました。

本のタイトル、署名は自筆。帯の写真は20歳のときの初めての宣材写真と、40代のときのもの

■役者を目指すきっかけは、近所の人の何気ないひと言

――『てっぺんとるまで! 役者・寺島進自伝』は、フリーペーパー『FILT』に連載された「俺の足跡」に加筆したものだそうですが、自伝をまとめようと思ったきっかけを教えてださい。

寺島進氏(以下、寺島) インタビュアーが昔から知ってる方で、この人が自然に聞き出すんですよ。だからマジックがかかったみたいに思い出して、自然な感じで話をして、あんまり構えることもなく、気負わずにできましたね。あとは昔に書いていた日記を見返したりね。今は書いてないですよ、10年前くらいまでは書いてたんですけど。

――これまでの人生を振り返ってみて、いかがでした?

寺島 改めて、今まで出会った方に本当に支えられているなって。自分の中で心の糧ができてましたね。出会った方に感謝です。

――近所の方の「進は目立ちたがり屋だから、表に出るような仕事、芸能界とか向いているんじゃない?」という何気ないひと言が今の仕事につながったそうですね。

寺島 高校卒業して、就職先どうするか考えて……勉強はあまりできる方ではなかったんで、体育とか図工、美術は得意分野だったんで、そこを伸ばせればいいなと思って。実家は畳屋だったんですけど、当時はマンションには和室がない時代だったんで、斜陽の時期だったんです。それでウチの親父が「好きな道に進んだらいい」と言ってくれて、好きな道って何かなと考えた時 に、きっかけのひと言があったんです。

やんちゃだった高校時代(書籍より)

――それで見つけてきたのが、役者やスタッフを育成する「三船芸術学院」だったんですね。

寺島 パンフレットを見つけて、「芸術か……図工とか美術につながるのかな?」と思って。それで親に話したら大反対ですよ! 好きな道に進め、って言ったにもかかわらずね(笑)。好きな道に進むんで、自分で学費稼いでやろうと決めたんです。高校時代にバイトして学費を払っていた後輩がいたんですよ。それを見て偉いなと思ったし、じゃあ自分もやれることはやろうと。でも初めて三船芸術学院がある成城へ来て街を歩いたら、俺が住んでる下町と同じ東京とは思えなくて。豪邸があったりね、なんか異国に来たような気分でしたね。

■純粋な気持ちと、「静より動」を大事に

――三船芸術学院では殺陣師の宇仁貫三さんに出会ったことが、大きな出会いになったんですよね。

寺島 学校では新劇や踊りなどのカリキュラムがあったんですけど、俺は身体を動かすのが得意だったので、殺陣が好きになったんですよ。芸能界って未知の世界じゃないですか。宇仁先生は、その未知の世界を切り開いてくれた方で、昔気質というか、職人さんの匂いがしたんですよね。しかも殺陣のグループの先輩方も見本で華麗なアクションをされていて、体育会系でカッコよかったんですよ。それを見て、宇仁先生や先輩の中へ入りたいなぁ、と思ったんですね。

――その後も松田優作さんや北野武監督と出会っていくわけですが、すごいタイミングで出会ってらっしゃって、驚きました。

寺島 80年代の後半にね、ウチの父親と松田優作さんを亡くした時に、自分の中でいろいろと後悔があって。次に「男が男に惚れた人」に出会ったら、後悔しないように生きようと心で感じた時に北野武監督と出会いがあって。北野監督に初めて会った時に、魅力的な人だなと思ったんですよ。で、俺あんまり頭良くないから、「魅力」の意味を辞書で調べたんです。そうしたら「人を引きつける不思議な力」って書いてあって、ああなるほどなと思って。目に見えない、不思議な力だったんですね。それこそ本当に男が男に惚れて、背中を追い始めましたね。今思うと……たちの悪い追っかけみたいなもんで(笑)。

――北野監督を追いかけて、日本はおろかアメリカやフランスまでいらしたエピソードはスゴかったです。

寺島 それも後悔したくなかったからです。行ってみないとわからないですしね。成田空港からニューヨーク行きの飛行機に乗った時にある種の覚悟みたいなものが決まったというか、「もしかしたら、異国の地で俺死ぬのかもしれないな?」なんてことも考えましたもんね。でもちょっとやってみようという、いい意味での覚悟がありましたよ。ホント、ボストンバッグひとつだけでしたからね。約1ヶ月の旅だったんですけど、今考えるとよくそれで行ったなって(笑)。

北野監督を追って、初めてのニューヨーク(書籍より)

――タイトルにつながる言葉は、映画『あの夏、いちばん静かな海。』の撮影をしている時、北野監督からかけられた言葉なのだそうですね。

寺島 そうなんです。その言葉で、やっぱり続けていくことって大事なんだな、この仕事を続けていいんだ、という覚悟も決まりましたね。好きな道を進むということと、粘り強く続けることって同じなのかなと思いますしね。

――寺島さんの人生には様々な出会いがありますが、運や縁を呼び込むには、どうしたらいいと寺島さんはお考えですか?

寺島 やっぱり無垢なまんまでいいのかなって。純粋な気持ちが大事なんじゃないかな。真っ白の状態の方がいいですよね。あとは、歩き回った方がいいんじゃないですか。動くことですよね。なんだって「静より動」、動かないと何も始まらないと思うんですよ。俺の時代はまだパソコンとか携帯とかなかったですからね、足運ばないと、どんな世界があるのか全然わからなかった。でもそれは今も変わらなくて、やる奴はやりますよ。やらない奴がやらないだけであってね。あとは出会いとか、ご縁に感謝するとか、義理事だったりとかね。人間って誰しも可能性があって、出会いを大事にしていけば、道がひらけていくんじゃないかなって思うんですよ。だから何事も諦めないことが大事なんじゃないですかね。家にじっとしていても何も始まらないんで。

■読むとエネルギーが湧いてくる

――先日、主演する『駐在刑事 Season2』の記者会見で、共演されている田中美里さんが、寺島さんが「傘を持ってきてあげて」「座ったらどう?」と気を使ってくださった、とおっしゃってましたね。

寺島 あんなの大げさに言ってるんですよ(笑)。俺は大して気使ってないですよ、気づいた時にね、ちょっと言うくらいで……でもさ、なんか気づいたら言葉に発することって大事ですよね。最近は黙っちゃいがちで、言う人が少なくなっている気がするんです。ただ俺はそういう性分なんで、誰かが物を落としたりすると「落としたよ」とかすぐ言っちゃう。あとはエレベーターに乗ってゴミが落ちてたら、それを拾ったりもしますね。まあ誰かが拾うんでしょうけど……そういう何気ないことって大事だなって。ちょっとしたことを自然にできる自分でありたいですね。

――2009年にご結婚された夫人とのデートの待ち合わせエピソード、いいですね……

寺島 何を言ってるの……(笑)。

――詳しくは本書を読んでいただくとして……今も愚痴を聞いてもらったりなど、いいご関係なんですね。

寺島 そんなことないよ! まあでもね、そう感じていただけたなら……。

娘さんからのプレゼントの手帳に気づくと、照れながらタバコで隠してしまった寺島さん

――息子さんが映画『交渉人 真下正義』で寺島さんが演じた刑事・木島丈一郎のセリフ「メリークリスマスだ、バカヤロー」を気に入ってよく言っている、というところもおかしかったです。

寺島 一昨年のクリスマスかな……クリスマスに合う映画ないかなと思って見せたら、子供なりに印象に残ったんでしょうね。何かと「メリークリスマスだ、バカヤロー」って言ってますね。でもそれを言ってる時は元気な証拠なんで(笑)。『交渉人 真下正義』はスピンオフでドラマ『逃亡者 木島丈一郎』も作られることになってね、あれはありがたかったですねぇ。

――2人のお子さんたちのために「あと20年はバキバキの現役じゃないと困る」と本書にありました。今後の野望があればぜひ教えてください。

寺島 今後……そうですね、いいおじいちゃんになって、日本一悪い吉良上野介(きらこうずけのすけ)やりたいですね。

――公式ツイッターには本書について「読んで明日もがんばろうという気持ちになってもらえたら嬉しいです!」とありましたが、最後に読者へメッセージをお願いします!

寺島 誰でも道は開ける、誰にでも可能性はあります。だから地道に、前向きになっていただけたらありがたいですね。なんかこう、この本って、読むとエネルギー湧いてくると思うんですよ。だから俺を知っている奴も知らない奴も、誰でもいいからさ、もう、読んでもらいたいですね!

取材・文=成田全(ナリタタモツ) 撮影=内海裕之

[プロフィール]
寺島進(てらじま・すすむ) 俳優。1963年、東京・深川生まれ。三船芸術学院卒業後、殺陣師の宇仁貫三に師事。松田優作監督作品の映画『ア・ホーマンス』でデビューし、『その男、凶暴につき』以降、北野武監督作品に数多く出演。主演するドラマ『駐在刑事 Season2』が現在放送中。