妻を「家事をしてくれる人」「育児をしてくれる人」に位置付けしていない? 『妻が口をきいてくれません』野原広子さんに聞く妻の感情

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更新日:2020/12/7

妻が口をきいてくれません
『妻が口をきいてくれません』(野原広子/集英社)

 妻が口をきいてくれないのはなぜだろう。大きな謎を抱えたまま、5年間、夫はさまざまな想いとともに生きてきた。そして、いま、明かされる妻の想いとは——。

 Webサイト「よみタイ」の連載で累計3000万PVを超えたコミック『妻が口をきいてくれません』(野原広子/集英社)。問題を抱える夫と妻の気持ちを赤裸々に描き、賛否両論を呼んだ本作が、一部描き下ろしを加えて刊行された。

 著者の野原広子さんは、『離婚してもいいですか? 翔子の場合』『消えたママ友』(ともにKADOKAWA)など数々のヒット作を生んできた人気作家。このインタビューを読んでもらえれば、夫・誠、妻・美咲の気持ちがより一層リアルに感じられるはずだ。

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——衝撃のラストでした。この作品は、知人男性の「妻が口をきいてくれません」という一言をきっかけに描き始めたそうですが、このラストの展開は最初から決まっていたのでしょうか?

野原広子さん(以下、野原):知人から話を聞いたときは、相手の女性の気持ちで理解できないところがあり、その謎解きをするつもりで本作を描き始めました。もちろんラストも決まっていなくて、描きながら心を読み解いていく感じでした。ラストまで描き終えて、ようやく謎解きができたような気がします。夫に対しては応援の気持ちですね。夫、頑張ってくれ~(笑)。

——「よみタイ」連載時は反響に次ぐ反響で、賛否両論あったとか。それらの意見のなかでも印象に残ったものは?

野原:夫目線で描いた話から連載が始まったので、男性から「うちと同じです」「うちの家庭、覗きました?」などの言葉をいただき、正直「えっ?」って思いました。だって、その声をいただいた男性たちの家庭はとても円満に見えていたから。「SNSでは家族の幸せな笑顔があふれているのに」「この間、夫婦で手をつないで歩いていたじゃないの」と、ただ驚き、誠や美咲のような夫婦は意外と多いのかもしれないと思いました。

 後半は妻の目線に移るのですが…、妻のみなさんからは、夫への煮えたぎるような怒りの反響が押し寄せました。妻のみなさん、そ、そんなに怒っていらしたのですね、と…。夫側は「妻が口をきいてくれなくて~」って、あははと困りながらも笑いつつ話すのに(明るく振る舞っているものと思われますが)、妻側は「本当に腹が立ってしょうがない」と深い怒りがあふれ出している。

 印象に残ったのは、夫と妻の温度差ですね。同じ空間で暮らしているのに、まるで別の場所で生きているような感じでした。

——夫と妻の温度差が、会話のなさにつながっていると。

野原:そうですね。まさに子育てで大変な方は誠に腹が立ってしようがないかもしれないし、美咲を見て「ひどい妻だ」と思う夫もいるかもしれない。「この話はコメディか? ドキュメンタリーか? それともミステリーか??」と、読む方によってまったく違う印象をもっていただいていることもおもしろいと感じました。

——なるほど。夫側は“妻の謎=ミステリー”と感じる人が多いかもしれませんね…(笑)。そもそも、離婚・ママ友・妻の独立などについて描いてきた野原さんが、今作で描きたいと思ったテーマは何だったのでしょう。

野原:『離婚してもいいですか? 翔子の場合』や『消えたママ友』は女性に読んでいただく前提で描き始めましたが、今回は「よみタイ」の連載として男性読者も視野に入れた、というのがひとつあります。

 じつは私、『消えたママ友』を描いている途中で離婚をしたのですが、なぜか離婚をしたら、男性側の気持ちを聞く機会が増えまして。けっこう深い悩みまで話してもらえることが多く、今回の知人男性の話も、そんな中での告白でした。そこで気づいたのが、「男の人も傷つくんだ」っていうことです。当たり前なのに忘れていたなと…。

 妻としての気持ちを考えるのに一生懸命だった以前とは違い、妻ではなくなったからこそ見えてきた別の視点で描いてみよう、というのが本作のスタートでした。

——ご自身の経験が作品に変化をもたらしたのですね。“夫の章”“妻の章”“夫妻の章”と3つの章で見せていく巧みな構成にも引きつけられました。

野原:物語の流れはだいたい決まっていたのですが、どういう構成にするのかはずいぶん悩みました。夫側と妻側、それぞれにある悲しみ・怒り・愛情をどのように描こうかと。

 命がけで子育てをする妻の熱意とは違い、夫側の意見には「あなたはどこにいるの?」という印象を受けてしまうことが多くて。近くにいるのに心は遠い、その気持ちをどう描くべきか。悩んでいるとき、文豪みたいですが、たまたま温泉に行きまして(笑)。

 男湯と女湯が分かれているのを見て「そうそう、こんな感じだ!」と思ったんです。温泉って、同じお湯でも男と女が分かれていますよね。だから、夫と妻をすっぱり分けて描こうと決めました。結果的に、どちらの感情にも集中できたし、深く理解しながら描けたように思います。

——そうでしたか。同じ出来事を同じように過ごしているのに、誠と美咲で正反対ともいえる受け止め方をしているのが印象に残りました。

野原:妻との問題で悩む夫たちを取材しているとき、はじめは悩んでもがくのに、ある時点から「もういいや」と気持ちを切り替えてしまう方が多いように感じて。たぶんこれは、夫婦にとって「よくある話」なんでしょうね。そういう、自分が妻だったときはやり過ごしていたようなことを、あらためて丁寧に観察するような感覚で描き進めました。妻と夫、どちらの感情もリアルに受け止めてもらえたら、と願っています。

——本当にリアルだと思います。男性たちの「うちの家庭、覗きましたか?」というコメントが、そのリアルさを物語っていますから。誠を描くときにこだわったことはありますか?

野原:誠は悩んでいるんだけど、「おーい、君は今どこにいるんだ~?」というすっとぼけ感があって。それがいいところでもあるのですが、妻にしたらイラッとしてしまうのかな~と。

 それから、連載している頃、「妻が口をきいてくれない」とネット検索をしたら驚くほど夫の嘆きが出てきまして! 想像以上につらそうな嘆きもあって驚きました。そのつらさも、誠の姿に重ねています。

——まさに世の夫たちの気持ちが集約されているのですね! では、最初はわからなかったという妻・美咲の気持ちは、どのように理解していったのでしょう。

野原:美咲は、口をきかなくなってから6年目に、ある言葉を誠に伝えるのですが、その気持ちが本当に理解できなくて。でも、妻と夫逆転して考えたら一気に美咲の人物像が見えてきました。こういう方、いるな~って。妻に散々冷たくしていたのに、いざとなったら「えっ?」となる夫…。美咲のもとに起きている出来事を一つひとつ追っていくうちに美咲の気持ちが見えてきて、「じつはかわいい人なんだ」と思えました。

 なお私自身の気持ちは、誠が夫婦の問題について相談する会社の先輩・丸山さんにいちばん近いかなと思います。なので、丸山さんの気持ちで悩むことはありませんでした。

——美咲の気持ちが“見える化”されていることで、今まで気づかなかった自分の気持ちに気づいた読者も多いのでは、と感じます。特にハッとさせられるのは、「誠との関係をどうやって元に戻したらいいのかわからない」「誠のことは好きじゃないけど不幸にはなってほしくない」という言葉。とても複雑で、男性には理解しにくい感情かもしれません。

野原:取材を進めていくうちに気づいたのですが、結婚する前の夫は妻にとても優しいですよね。でも結婚すると、妻を「家事をしてくれる人」「育児をしてくれる人」「自分を愛してくれる人」と当然のように位置付けする人が多くなってしまう。それに対して妻は「あんなに好きだって言ってくれたし、あんなに大事にしてくれたのに」と感じることがあるのではないかと思いました。

 女はいつだっていつまでだってチヤホヤされたい、大事にされたいという人も多いような気がします。でも、多くの妻はお母さんスイッチが入っているので、そんな「乙女な気持ち」を決して口に出すわけにはいかない。そういった気持ちが夫には伝わっていないのかなと感じます。もし妻が気持ちを伝えたところで、理解してくれる夫はなかなかいないかもしれませんが(笑)。

——むずかしいですね…。

野原:1話に出てくるカレーのシーンでは、誠が機嫌の悪い美咲との間に流れる空気を和らげようとして冗談を言うのですが、もしこれが子どもの言葉なら「も~! なに言ってんの(笑)」となるのに、夫が言うと許せない。

 夫のみなさんには、冗談を冗談として受け止め切れないほど全力投球して、余裕がなくなっている妻の心情をわかっていただけるといいのですが。そして妻には、余裕がなくなっている自分に気がついていただきたい。

——まさに、本書がそのきっかけになるような気がします。そして物語は衝撃のラストへ。本作をどんな人に読んでほしいと思いますか?

野原:妻の気持ちがわからない。夫のことがわからない。そんな方に読んでいただくといいかもしれません。自分の怒りや悲しみだけで心がいっぱいで、相手の気持ちを想像する余裕がなくなっている…そんな時期ってありますよね。せっかく夫婦になって同じ空間にいるのですから、できることならお互いの気持ちに寄り添うきっかけになったらうれしいです。

——どうしても生じてしまう夫婦のズレ、どう向き合っていったらいいのでしょうね。“夫婦のあり方”について、どう思われますか?

野原:その答え、私のほうが聞きたいです(笑)。ひどい夫でも好きっていう人もいれば、パーフェクトな夫だからこそ苦しいという人も…ホント、夫婦ってわからない。謎です。夫婦のズレは、どんな夫婦にもあるかもしれませんね。ただ1点だけズレていない、重なり合っている部分があるとしたら、子どもに対する愛情だと思います。

 夫妻それぞれの気持ちをラストまで描いてみて思い出したのは、自分が娘の“真奈”だったときのことでした。私の両親は比較的仲良しでしたが、たまにしていた夫婦喧嘩を、そのときの年齢とともに覚えています。ラストについては、また賛否両論あるかと思いますが、みなさん、どんな立場で読んでいただけるのでしょうか…?

取材・文=麻布たぬ