「自分の内側を削りながら書いていった」――死と生を見つめる『さよならの向う側』清水晴木インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2021/8/12

「あなたが、最後に会いたい人は誰ですか?」

 死んでしまった者に与えられる〈最後の再会〉。それは24時間だけ現世へ戻って、会いたい人に会うことができるという措置だった。ただし、そこには冷徹なルールがある。会うことができるのは「自分が死んだことをまだ知らない人」だけなのだ――。

清水晴木

 発売から2週間で重版が決定し、書店を中心に静かな反響を呼んでいる話題の小説『さよならの向う側』(マイクロマガジン社)。作者の清水晴木さんは、これまで出身地の千葉を舞台に数々の青春小説やミステリー小説を発表してきた。「自分の中を削りだして書いたような作品」と語る本書の執筆への初期衝動から舞台裏、そこに込めた思いなどを伺った。

(取材・文=皆川ちか 撮影・奥西淳二)

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――作品を読んで、死者に課されたルールの「自分が死んだことをまだ知らない人にしか会えない」というのは本当にきついと思いました。家族や友人などの大切な人たちほど、自分の死をきっと知っているはずです。同時に、この縛りがあるために物語が面白くなってもいます。このアイディアは以前から温めていたのでしょうか?

清水晴木氏(以下:清水):直接的なきっかけは、2年前に祖母が亡くなったことでした。親族の誰からも愛されたとても優しいおばあちゃんで、亡くなっても会いにきてくれるような気がしたんです。だけど、実際に死んだ方が生者に会いにきたという話は聞いたことがないので、もしかしたらそこにはルールがあるのではないだろうか。例えば、自分が死んでいることを知っている人には会えないという“設定”が、この世界にはあるんじゃないだろうか……というふうに構想がふくらんでいきました。

清水晴木

――実際の経験がもとになっているのですね。物語には4人の死者が登場します。事故死した30歳の教師・彩子。お酒の飲みすぎで命を縮めた55歳の浩一。家出したところを車にはねられた19歳の幸太郎。心臓の持病の発作で急死した21歳のミュージシャン、美咲。各話を担う主人公である彼ら、それぞれの視点で物語は展開します。

清水:読んだ方にとって4話のうち、どれかひとつは“自分の物語”として感じられるようにしたいと考えました。だから死者たちは性別も、年齢も職業や境遇もばらばらです。

第一話(『Heroes』)はまず、作品のテーマに沿ったオーソドックスな内容がいいだろうと考え、子どもに会いたい母親の話にしました。ここに出てくる彩子の幼い息子は「だいじょうぶ」というのが口癖ですが、これは僕自身が子どもだった頃の口癖なんです。あるとき自分が母親から「あなたの“大丈夫”は否定の意味で使っているんだね。私の世代とは使い方が違うのね」と言われたのが印象に残っていて、取り入れてみました。他にも各エピソードの中に、自分自身の体験や家族にまつわる出来事が形を変えて、少しずつ入っています。

――第二話の主人公の浩一は、その死因からして生前の暮らしぶりが窺えます。章題も「放蕩息子」ですね。

清水:第一話とは対照的な主人公にしようと思いました。最後に会いたい人は誰かと問われたら、たぶんほとんどの人は「家族」と答えるのではないでしょうか。それを踏まえて、逆に「会いたくない家族」に会いにいく話はどうだろう……と。そうして父と息子の物語になりました。

――浩一は、厳格だった父親に反発して長年音信不通のままでした。だけど、少年時代に父と一緒に怪獣映画を観た思い出を、心の中でずっと大切にしています。

清水:これは僕と、僕の父親がゴジラ映画好きであることから生まれたエピソードなんです。僕は平成ゴジラが好きなのですが、父親は昭和ゴジラのファンで、兄と一緒に、よくゴジラ映画を観に映画館へ連れていってもらってたんです。それが自分の中で大切な思い出になっていて。何十年にも亘って作られているシリーズ映画は、それが好きな人たちを、世代や年代を超えてつなぐものなんだなあという思いが、この話のベースになっています。

清水晴木

――そして第三話(『わがままなあなた』)ですが、読者の反響が最も大きかったと聞いています。叙述トリックを駆使したミステリー小説でもありますね。

清水:いただいた感想の中で、一番人気のあった話でした。「泣ける」という声もたくさんいただきました。過去にミステリー小説を書いてきた経験が活かせたかな、という話ですね。ここの主人公は他の3名の死者たちと異なり、まったく迷うことなく会いたい人に会いにいこうとしています。そのまっすぐさと、幸太郎と紗也加(会いたい相手)の関係の深さを描きたかったんです。ミステリー的な趣向を凝らしてあるので詳しくは話せないのですが、書いた本人としては、とても気に入っている内容です。

――トリを飾る第四話『サヨナラの向う側』は、まさにグランドフィナーレという感じのお話です。美咲はバンドの相棒・大倉に会いにいき、大舞台でライブをするという夢を叶えるために奔走します。

清水:この物語全体の根幹となる話として、第四話を書きました。美咲は病気を抱えていて、いつ死ぬか分からない状態のなか、夢を叶えたいという思いで懸命に生きていました。僕自身、10年前に白血病になって骨髄移植をしたのですが、その当時、生きるとか死ぬとか幸せについて色々と考えました。美咲というキャラクターには、かなり自分を投影させています。

――志半ばで死んでしまった彼女の姿は、ひたむきであるだけに痛切でもありました。

清水:亡くなってしまう人たちの話ではありますが、最後は切ない気持ちになるというよりも、前を向いて明るく終わらせたかったんです。美咲は強くまっすぐで、自分のやりたいことに向かって突き進んでいくキャラクターです。自分自身の投影でありながら、憧れに近い人物像でもあります。

――第一話から三話までの登場人物たちが、意外なかたちでつながってゆく展開には驚きました。夏目漱石の『吾輩は猫である』の中の一節(「……呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」)を中学時代の美咲に教えたのが、第一話の主人公・彩子であったことなど。その教えが、美咲に深い影響を及ぼしているんですね。

清水:人とのつながりや関係性って、なにげない日常の中にこそあって、それが巡り巡って誰かに影響を与えているんじゃないかと思うんです。漱石の引用に関しては、この一節は僕も大好きなんです。これを受けて美咲が、こう言ってます。「自分自身に悩みがあるからって他の人の悩みをないがしろにしていい訳なんてない」。実際その通りで、病気になったことで他人の悩みや苦しみを、そんなの自分に比べたら大したことない、と思っていた心を見透かされたようでした。

清水晴木

――漱石から受けた影響、ご病気になったこと、子ども時代の様々な記憶……おばあさまが亡くなったことから着想を得たという点も含めて、清水さんご自身のことがたくさん注ぎ込まれているんですね。

清水:そうですね。今までの作品は自分の外側で出会ったことを書いていたのですが、今回は自分の内側を削りながら書いていった感があります。この作品に取り組んでいる間、どうしても死について考えました。なぜ自分が死ぬことを考えると悲しいんだろう、と。それは、自分の命が失われることそのものよりも、もう他の人と話せない、他の人とのつながりが消えてしまう。そのことが悲しいんだと気づいたんです。

――死ぬことは、人と人との関係性がなくなること。たしかにそうですね。

清水:逆にいえば、生きることは誰かとの関係性があるということなんです。美咲が最後に案内人に向ける言葉には、僕自身の死生観が込められています。誰かの心の中に生き続けるということは、とりたてて目新しい言葉ではありません。安易に使ったら安っぽくなってしまいかねない。だけど、この作品の、この人物が言うことで、自分にとって本当の意味で「生きる」ということが伝えられた気がします。

――最後に、ダ・ヴィンチニュース読者に向けてのメッセージをお願いします。

清水:清水晴木の小説を今回初めて読んだ、という方も多いと思います。これまでいくつかの作品を書いてきましたが、今作ほど読んでほしい、と強く願っているものはありません。紛れもなく自分の最高傑作といえる作品になったと思いますのでぜひ多くの方に読んでもらえると嬉しいです。

清水晴木

 

清水晴木
しみず・はるき●千葉県出身。2011年、函館イルミナシオン映画祭第15回シナリオ大賞で最終選考に残る。’15年、『海の見える花屋フルールの事件記~秋山瑠璃は恋をしない~』(TO文庫)で長編小説デビュー。以来、千葉が舞台の小説を上梓し続ける。著書に『体育会系探偵部タイタン! 』シリーズ(講談社タイガ)などがある。

 

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