岸政彦「東京“だから”語られる話ではなく、東京“で”生きる人たちの物語」

社会

更新日:2021/12/13

岸 政彦さん

「目に映るものをそのまま残したい、っていう欲望が昔からすごく強いんですよ。わざとらしく、つくりたくない。普通でええやん、っていうのが僕の口癖なんですけど、普通っていうのは一般的に見てどうかとか平均的であるかとかではなく、あるがまま、そのまんまってこと。だから『東京の生活史』も、まずは人の話を聞いてみようよってスタンスを貫いているんです」

(取材・文=立花もも 撮影=迫田真実)

 東京で一生懸命暮らしてるひとの人生を聞きたい、と岸さんがツイートしたところから始まった『東京の生活史』プロジェクト。150人の語り手と、150人の聞き手による、およそ150万字のインタビュー集。岸さんは編纂という立場で関わっている。

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「僕はふだん、社会学者として沖縄で聞き取り調査をしているんですが、昔から学会で報告するたび“それは沖縄に限った話じゃないんじゃない?”“それは沖縄だから起きる特殊事例じゃない?”という矛盾した二つの指摘を同時に受けてしまう。若い頃は“意見を統一してから質問して”って偉い先生に言ったこともあるくらい(笑)。でもたぶん、大阪でも札幌でもパリでもロンドンでも、ある程度の人が住んでいる都市を調査すれば同じ現象が起きるんじゃないかと思うんですよ。地域の独自性、みたいなものはありつつ、彼らは人間なんだとしか言いようのない普遍性が浮かび上がってくるというか……。ある人に“岸さんは沖縄だから起きていることではなく、沖縄で起きていることを書いているんですよね”と言われたとき、その通りだなと思いましたが、『東京の生活史』でやりたかったことも同じ。聞き手のみなさんにも、絶対に“あなたにとって東京とは?”という質問はしないよう、お願いしていました。結果としてあがってきた150人の原稿は、東京らしくもあるんだけれど、読んでいくうちにどんどん外からイメージされている“東京”が薄れていくものでもあった。東京に暮らしたことのない人も、読めばきっと一つは自分に重なる人生が見つかるだろうと思います」

ドラマティックな出来事が“おもしろい”わけじゃない

 150人の話を通じて浮かび上がるのは、誰もが自分なりの試行錯誤を重ねながら“今”にたどりついているということ。けれどその選択と経験の一つひとつに、意味があるから価値がある、わけではない。みんなただ、懸命に生きているだけなのだ、ということがしみじみ伝わってくる。

「戦争経験者や、同性愛者の方、犯罪に手を染めてしまった方……凹凸の激しい道を歩んできた方もいますけど、“だから”必死なわけじゃないんですよね。大きな事件に遭遇することなく、穏やかに日常を営んでいる方も、みんな必死で生きている。でもそのことを、ことさらに主張したいわけじゃないんです。“それぞれにかけがえのない人生があるんだ”みたいな美しい物語に回収されてしまうのもいやだったから、どうすれば“そのまま”の状態で読者に差し出せるかというのはすごく考えました。読んでいただくとわかるとおり、どの話もわりと唐突に終わり、わかりやすいオチもついていない。そこに意図的な意味づけみたいなものは読み取れないはずです」

 語り手の年齢や職業、性別が記載されていないのも同じだ。イメージで、その人の人生が固定されることを避けるため。

「そんな情報がなくても、話がおもしろいことには変わりないですからね。あ、funnyという意味のおもしろさではないですよ。interestingというほど積極性があるわけでもない。なんていえばいいのかなあ、“ああ、おもろいなあ”ってしみじみするような感覚……。もちろんドラマティックなエピソードを聞けることもありますが、そういうのはたいてい、原稿を見せたときに“削ってください”って言われます。聞き手に、語り手を傷つける権利なんてないから、言われたらすぐ削ってください、ってことも聞き手の皆さんにはお伝えしていました。削ったところでおもしろさは何も変わらないし、削りながら文章を重ねていくことでむしろ深まっていくディテールもあるから、って。……ときどきね、語りをおさめるなら映像のほうがいいんじゃないか、って言われるんですよ。文字にすることでそぎ落とされていくものがある、と思われているんだろうけれど、それは違うと断言できる。ディテールというのは、身振り手振りや表情といった細かい情報ではなくて、くりかえし読むことで匂いたってくる可視化できない何かのことだと思っています。眠らない町とか言われがちな東京で、多くの人は夜になるとちゃんと寝ていて、渋谷とか原宿とか記号化されがちな街にも、路地裏に行けばあたりまえの住宅が並んでいて、生活を送っている。でもそこには一つとして同じ人生はないんだってことを実感するのは、脚色できない語りと語りの隙間にあるものなんじゃないか、と思うから。たぶん僕はそれを、小説でも生活史でも一つずつ表現していこうとしているし、文章にしかできないことなんだっていうのは強い信念として抱いています」

息を止めて海に潜るように、誰かの話を必死で聞く

〈インタビューと、息を止めて海に潜ることは、とてもよく似ている。ひとの生活史を聞くときはいつも、冷たくて暗い海のなかに、ひとりで裸で潜っていくような感覚がある。〉と『断片的なものの社会学』で岸さんは綴っていた。装飾を一切施さず、語り手の言葉に耳を傾けた本書を読むこともまた、息を止めて海に潜ることとと似ている、気がする。

「インタビューをする際には、積極的に受動的になってください、って言うんですよ。矛盾しているようだけど、根掘り葉掘り質問するのともまた違う、つくりこまない相手の話に、そのままの状態で耳を傾け続けることは、けっこう、必死にならないとできない。だからこの本を読むのも、それなりに覚悟がいるだろうけど、読んでいるうちに語り手のことだけじゃなくて、聞き手との関係性が浮かび上がってきたり、自分のなかにある何かと交感しているような気分を味わえるのも、おもしろいところだなと思います。そもそも、どこの誰かもわからない人の話が、テーマも目的もなく無作為に並んでいるだけの本って、あんまり見たことないから、それだけでもおもしろいでしょう。上野千鶴子さんはパブリックアートだと言ってくれたけど、150人の話が一冊の本になっている、というだけで一つの表現になっている。150人もいるんだから、当然、なかには面と向かって対話したら絶対に気が合わないなって人もいるだろうけど、その人の人生に深く潜り、耳を傾けていると、決して嫌いにはなれない、むしろ好きになってしまうのも不思議なところ。聞く、だけでなく、読むことの積極性みたいなものも、この本を通じて考えさせられました」

 どこか親しみを覚えてしまうその人たちが、東京の街のどこかで、今も必死で生きているのだと知るだけで、なぜか“大丈夫だ”と思うことができる。それもまた、本書の不思議な味わいである。

「ま、明日もとりあえず生きるか。って気持ちになりますよね。それは、150人の人生が今この瞬間も続いているということが、伝わっているからかなと思います。ぶ厚いし、重いし、何かの役に立つわけでもない。だけど予想以上に多くの人がこの本を大事に読んでくれているのは本当にうれしい。いい本がつくれたな、って心の底から思っています」

 

岸政彦
きし・まさひこ●1967年生まれ。社会学者・作家。立命館大学教授。著作に『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『マンゴーと手榴弾──生活史の理論』、『大阪』(柴崎友香との共著)など。小説家としての著書に『ビニール傘』(第156回芥川賞候補、第30回三島賞候補)、『リリアン』(第34回三島賞候補)など。

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