「誰もが、納得しやすい物語を求めてしまう」女子大生殺害犯に仕立てられてしまった男の逃走劇を描く『俺ではない炎上』浅倉秋成さんインタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2022/5/19

『六人の噓つきな大学生』が山田風太郎賞と吉川英治文学新人賞候補、本屋大賞にもノミネートされて話題を呼んだ浅倉秋成さん。最新作『俺ではない炎上』(双葉社)は、SNSのなりすましアカウントによって、ある日突然、女子大生殺害犯に仕立てられてしまった男の逃走劇。緊迫感の続く展開に、ラストで明かされる驚くべき真相に、引き込まれることまちがいなし! 刊行を記念して、お話をうかがった。

(取材・文=立花もも 撮影=川口宗道)


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俺ではない炎上
俺ではない炎上』(浅倉秋成/双葉社)

――自分でも自分としか思えない、巧妙な、なりすましアカウントが10年前から存在していて、しかも殺人の犯行現場写真を投稿。あっという間に素性を特定され、殺人犯として追われることになった山縣泰介。自分も同じ状況になったら、逃げるしかないなと思わされる緊迫感のある小説でした。

浅倉秋成(以下、浅倉) 現代における最大のいやがらせはなんだろうと考えたとき、陥れたい相手になりすましたSNS上で悪さするのが一番じゃないかと思ったんですよね。僕の本名をネットで検索すると、いくつか同姓同名のTwitterアカウントがヒットするんですが、一人は卑猥なリツイートばかりしていて、もう一人は“仕事がない”って投稿を2つ3つして更新を止めている。そのどちらも僕だという確証がないかわりに、僕じゃないという確証もないんですよ。誰かがそのどちらかを見て、あるいはどちらとも僕だと思う可能性は十二分にある。だとすれば、用意周到に長い時間をかけて、その人らしいアカウントを偽造された場合、太刀打ちできないんじゃないか? と。

――作中、異常な速度で情報が拡散されて、野次馬だけでなく警察がやってくるのも恐怖ですが、誰にも信じてもらえないというのも怖かったです。そうやって集まった人たちやネット民が、正義感で泰介を追い詰めていく。作中にはさまざまな第三者のTwitter投稿が挿入されていましたが、どの立場で声を上げている人もリアルで、おもしろかったです。

浅倉 僕はふだんあんまりつぶやかないんですけど、日常的に眺めてはしまうんですよね。実際に炎上した案件に、どんな人がどういうことを言っていたのかも、意地悪な気持ち半分、純粋な好奇心半分で見ていたんですが……共通しているのはみんな、自分が一番賢いと思っているということ。

――自分だけはわかっている、と。

浅倉 そうなんです。「俺が一番冷静で、一番俯瞰して物事を見ている」と思っているから「なんでわかんないかなぁ」と上から目線でつぶやいている。それを上から観察しているつもりの僕もまた、誰かに上から見られてるんだろうなと思います。こういうことを言う奴いるだろうな、とカテゴライズしながら書いている時点で、僕も同じ穴の狢ですし。人はけっきょく、見たいものしか見られないし、自分だけは冷静な顔をして「ほら見ろ」って言いたいんだろうなあと思います。そういえば、『六人の噓つきな大学生』を多くの人に読んでいただけるようになってから、「浅倉秋成」の第二検索ワードに「出身大学」って出るようになったんですよ。

――大学生の就活について書いた小説だから?

浅倉 おそらくは……。個人的には、小説と関係ないんだしどこでもよくない? と思うのですが、「なるほど、○○大学出身だから、こういう小説を書いたんだね」みたいな気持ちのいい理由を欲しがっている人たちが、わりと存在しているということなんじゃないかと思います。でもそれって、たぶん、人間の習性なんですよね。僕は野球を見るのが好きなんですが、あるとき、有望視されているのになかなか二軍から一軍にあがれない野球選手に“あいつはお山の大将だから”とコメントがついたことがあって。誰もそういう場面を見たことはないし、お山の大将でも実力があれば一軍にあがれるはずなのに、それ以降、「ああ、だからか」とみんなその文脈で彼を語るようになった。そんなふうに誰もが、納得しやすい物語を求めてしまうんだろうな、と。

――そしてそれをすぐネットで検索してしまう……。

浅倉 いつからかネットは答えを探す場所になってしまって、小説やゲームのおもしろさもお菓子のおいしさも全部、不特定多数の評価で決められるようになってしまった。僕自身、このあいだふるさと納税のメロンが届いたとき、冷蔵庫にしまったあとにネットで調べたら熟すまでは常温で、と書いてあったから慌てて従いました。昔は、誰かに聞くか、失敗して体験で学ぶかして、なんとかしていたはず。それなのに今は、すぐに正解が出てこないとイライラするようになってしまった。今日も、ノーカラーのシャツにジャケットをあわせていいのか不安で、つい調べちゃいましたもんね(笑)。でも「そんなのどっちでもいいよ」「人の好みによるだろ」みたいなことも「検証してみました!」みたいな記事タイトルであたかも正解であるかのように、ネットには情報として流れていて……。結果、答えを出すのがえらいという風潮や、みんなが一枚岩になろうとしている流れみたいなものも、生まれているような気がします。

――炎上が、まさにそれですよね。「山縣泰介は殺人犯だ。だから逮捕しなきゃいけない。さらなる被害を食い止めるためにも、情報は拡散しなきゃいけない」という……。

浅倉 でも、物事って複雑な要因が絡まって成り立っているもので。こうして「執筆動機はなんですか?」と聞かれて答えていることも、たぶん言葉にはなっていない場所にさまざまな理由が潜んでいるはずなんですよ。物事に意味を与えずにはいられない、けれど、意味なんて見出せるものではない、という矛盾を、書くときにはいろいろと考えていたような気がします。

――そんななかで、泰介を信じてくれる人が意外なところから現れますね。好悪の感情ではなく、事実の積み重ねで信じてもらえるというところに、けっこうグッときました。

浅倉 ああ、でもあれもまたあやういところでもあって。けっきょく、その人も「自分だけはわかっている」「正しい場所にいる」と信じたいだけ。そういう意味では、炎上させている人たちと同じだと思います。悪は、正義の反対側にあるわけじゃない。正しいと信じて突き進んだ結果、知らないうちに“向こう側”に渡ってしまっているというのが実際なんじゃないのかな、と。だから僕は、感情は一番最後にもってきたいなあ、と常日頃から思っているんです。たとえばマスクをしたくない人たちは、マスクをしなくてもいいという自分たちの主張を裏付ける根拠ばかりを選んで集めてきますよね。それよりも、マスクをしたくてたまらない人がデータをかき集めた結果、マスクをしなくてもいいという結論が出ました、だから本当はマスクをしたままがいいけど、しないことにします、と主張したときのほうが、僕は信頼できると思うんです。

――それが「感情が一番最後」ということですね。

浅倉 それが一番、クレバーで理想的な人間のありかたじゃないかと思います。誰かを守るため、というポジティブな理由だったとしても、人は自分の感情を……たとえば怒りを正当化するために、理屈を無視してしまうところがある。推しの選手がボールをぶつけられたら「ふざけるな!」といきり立つのに、推しの選手が誰かにボールを当ててしまったら「そんなところに立ってるのが悪い」と庇うみたいに。だから僕は、理不尽な目に遭ったような気がする、と感じた瞬間に湧いた怒りをそのままぶつけるのではなく、まずは冷静に状況を吟味したいんです。小説を書くときも、感情の波が押し寄せるのを遅らせるようにしておきたい。

――でも、だからこそ、浅倉さんの小説は、最後の最後にこぼれおちた感情が光るのだと思います。極限まで追い詰められて、希望と絶望を同時に見た泰介が、ラストに見せた決断や、事件の真相にまつわる人たちの気持ちが、「そうならざるを得なかった」という説得力をもって描かれるから。

浅倉 僕は、キャラクターを溺愛することもないし、よく言う“勝手に動き出す”ということもないんですよ。泰介の設定も、キャラクターづくりの上手な作家さんなら、ふだんから立場が悪くなると逃げがちな人、みたいに性格を考えてから状況を引き寄せられるのかもしれませんが、僕は、どういう状況に追い込めば逃げざるを得ないだろうか、という説得力のある選択肢を考える。“そうならざるを得なかった”と読者が思えるシチュエーションを重ねていくことで、「ほら見ろ」とは簡単に言えない、因果の曖昧さを描きたいというのはあるかもしれません。

――そのシチュエーションと選択のすべてが伏線となり、必ず最後に「えっ!」と毎回、驚かされてしまうのがおもしろいところですよね……。今回も、すっかり騙されました……。

浅倉 そう言ってもらえたら、幸いです。書き終えたあとはいつも「なんてひどいものを書いてしまったんだ」と自信なく落ち込むばかりなので(笑)。ただ、どんなにオチがおもしろい芸人さんのエピソードトークも、話の導入がつまらなければ誰も聞いてくれないように、小説も、序盤がおもしろくなければ、読み進めてもらえない。どうしたらより多くの人が作品に夢中になってくれるか、それだけを考えて書きましたので、最初から最後まで楽しんでもらえると嬉しいです。

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