奇跡の作曲家の“壮絶すぎる半生”が話題

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/25

 今月9日にNHKで放送された『情報LIVEただイマ!』で、「奇跡の作曲家」として紹介された全聾の音楽家・佐村河内守(さむらごうち・まもる)。この番組終了後から、2007年に出版された自伝『交響曲第一番』(佐村河内 守/講談社)に注目が集まり、いま、品切れの書店が相次いでいる。番組でも語られた彼の壮絶な半生が、大きな反響を呼んでいるようだ。

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 佐村河内は、被爆二世として1963年に広島県で生まれた。『交響曲第一番』によれば、4歳のころより母にピアノを習い、小学校の入学祝いは何がいいかを尋ねられたときも、ベートーヴェンの『悲愴』を教えてほしいと頼み込むほどピアノに傾倒。いつしかピアノよりも管弦楽に惹かれている自分に気付き、10歳にして「交響曲を書こう。それを自分の遠い将来の目標にしよう」と決意したという。まさしく、隠れた“神童”であったようだ。

 さらに、高校卒業時には、「すでに膨大な量の専門書で独学を重ねてきて、いまさら音大で学ばなくても作曲の道を進んでいける自信があった」という彼は、母が薦める海外の音大に進む道を拒絶。音大の作曲科で学びの基本となる現代音楽ではなく、「壮大でロマンティックな曲を書くこと」を夢見て、まずは上京して映画やドラマの音楽をつくる劇伴作曲家になることを目指すことに。高校時代から続くすさまじい偏頭痛の発作に悩まされながらも、アルバイトと音楽の研究・制作に励んだ。しかし、ついには謎の耳鳴りにも襲われ、聴力はどんどんと奪われていったそう。

 そんななか、ゲームソフト『鬼武者』のテーマ音楽と劇中音楽の仕事が舞い込み、かつ、制作発表会では約200人の巨大オーケストラによってメインテーマが演奏されることに。かつてない大きなチャンス……しかし、彼はこの作曲の途中で全聾になってしまう。絶対音感によって音は聞こえずとも作曲はできたものの、発表会当日、オーケストラの演奏風景を前に、耳に聞こえるのは「不快な耳鳴りの音だけ」。「自分の創った音楽を自分で聴くことすらできない」という絶望に打ちのめされ、彼はその後、作曲家として“隠者生活”を送るようになる。

 絶望と恐怖、そして怒り。そんな苦しみの最中に出会ったのは、ボランティアで出向いた盲児が集う施設にいた女の子。人になかなか心を開かない女の子に、必要とされたことの喜び。両親のいない彼女に対し、父兄のような気持ちになったという佐村河内は、「長く忘れていた“生きていること”の実感を、彼女が思い出させてくれた」と綴る。そして、この出会いが、長く中断していた『交響曲第一番』の創作に向かわせることになるのだ。

 その後、2度にわたって自殺未遂をはかるなど、精神的にも穏やかとはいえない日々を過ごしながら、作曲を続ける彼。今年には、雑誌『レコード芸術』(音楽之友社)で行われた2011年のベストディスクのランキングに、ベートーヴェンやブラームスといった大作曲家の名が並ぶなかで15位に選ばれるなど、その評価は年々高まっている。彼を音楽に掻き立てる力と孤高の闘いとはどのようなものなのか……。本書とともにCD『佐村河内守 交響曲第1番 HIROSHIMA』(大友直人、東京交響楽団/日本コロムビア)で、彼の音楽の世界に身を浸してみてほしい。