センター試験出題がTwitterで話題に あの「クソリプ」ってどんな本なの?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

今年のセンター試験をきっかけにベストセラーとなった書籍をご存知だろうか。それは国語の試験問題として用いられた佐々木敦氏の『未知への遭遇 無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房)。Twitterにおけるつまらない返信「クソリプ」について扱われた文章が「まさかこんな内容が出題されるとはwww」と話題を呼んだのだ。とはいえ、どのような文脈で「クソリプ」について論じられているのだろうか?

「僕としては、ネット以後、SNS以後、ゼロ年代以後、オタクサブカル以後の自己啓発本のつもりで書きました」。センター試験後、佐々木氏はTwitterでこのようにつぶやいているが、この本は、インターネットによって人々が感じる弊害を指摘し、その解決策を提示したものである。

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たとえば、ネット上には、「●●について教えてください」などと書き込む「教えて君」がいて、必ず、「教えてあげる君」がそれに答えている。Twitterでも「教えてあげる君」は、誰かのささやかなつぶやきに、わざわざ「君が考えたようなことは君よりもモノを知っている人が昔に考えていたのだよ!」という事実を伝えてくる(≒クソリプ)。佐々木氏は自分で調べればわかるようなことを質問する「教えて君」も問題だが、「教えてあげる君」の方に問題意識を持っている。「教えてあげる君」は自分自身が満足するために「教えて君」にものを教えているにすぎないのではないだろうか。

さらに佐々木氏は「教えてあげる君」の「君が考えたようなことはとっくに誰かが考えた」という言葉をとらえて、盗作するつもりがないのに過去と似た作品が生まれる問題や意図的なパクリ(≒パクツイ)の問題に言及する。なぜ似た作品が生まれるのかというと、人類が長い歴史を持っているから。新しい発見のストックがある程度までたまってしまったためである。すべて、世の中の「多様性」が限界値を超えてしまったことから生じると佐々木氏は言うのだ。無意識的に何かに似てしまうのは、どうしようもないが、意識的な盗作を見極めるためにも、一定のリテラシーが必要だ。しかし、人は、過去にあるものを知ろうとすればする程、目の前に溢れる情報にげんなりしてしまう。情報に溢れた世界を生きる現代人は、「どうせ世の中のすべては理解しきれない」という諦めに似た絶望感を抱えているのだという。

人間はこのようなセカイの無限に向きあったときに、自分の有限性を感じてしまう。選択肢の多さに立ちすくむ思いがする。だが、 結局、人間はこの世界に向きあうことでしか成長しえない。どれだけ体系的に情報を得ようとしても、未来にあり得る複数の可能性に備えておいたとしても、想定していた複数の可能性以外の可能性が、現実として現れることはある。そこで、佐々木が提唱するのが「最強の運命論」である。「起こることは決まっているのだけれども、しかし、起こるまではわからない。だが、起こってしまったことは起こるべくして起こったのだ」と全てを受けていれることで、逆に世界に対してポジティブになれるというのだ。自分のやりたいことがあったときはその時は自分の気持ちに正直になるし、それで失敗しても、「最強の運命論」で決まっていたので「しょうがない」と考える。想定外の出来事が起きた時も、全て受け入れれば、「未来」へと向かっていくことができる。

ハーバート・A・サイモン、東浩紀、クリストファー・チャーニアク、新世紀エヴァンゲリオン、岡田斗司夫、ヒミズ、バリー・シュワルツ、西尾維新、涼宮ハルヒの憂鬱、森見登美彦…。経済理論からサブカルチャーまであらゆるものを引用しながら、オタク論を交えつつ、佐々木氏は自身の人生論を語る。この本は「クソリプ」「パクツイ」本ではない。佐々木氏はセンター試験後、「やっぱりというかなんというか、知らん内に使われてて知らんとこでディスられてる模様www」と自身の作品が意図しないところで話題となっていることに複雑な心境を抱えているようだが、こんなにも話題を呼んだのは、現代の問題を、若者が感じている問題を、あまりにも的確に言い当てた文章であるためだろう。受験生にとって、評論文の内容を身近に感じるという経験自体が稀有だったのではないか。せっかく興味を持ったならば、ぜひ他の部分も含めて、すべて読んでほしい1冊だ。

文=アサトーミナミ