特集番外編2 2010年11月号

特集番外編2

2010/10/5

迷ったときは内田樹を読みなさいスペシャル対談

撮影協力=神戸メリケンパークオリエンタルホテル(www.kobe-orientalhotel.co.jp

内田先生のお悩み相談室

特集:迷ったときは内田樹を読みなさいスペシャル対談

※本誌からの続き

名越 マンガは堂々たるサブカルチャーって話がさっき出ましたけど、そうなるとサブカルチャーとメインカルチャーとを結んでいくラインを見たくなってきませんか? どこまでがサブカルチャーでどこまでがカルチャーっていうのをなんかひとことで言った人って、今までいるんですかね。あんまりいないですよね。

内田 いろんな定義がきっとあるんでしょうけどもね。基本的にサブカルチャーっていうのは自分で名乗るもんなんじゃないかなあ。

名越 おお。

内田 なんかその、ビジネス的にどれぐらい大きいセールスがあるとか、どれぐらい有名だとかまったく無関係に。サブなんですっていうのって、見てると「どうせ日陰者ですけど」っていう感じがあるでしょう。あれがとっても大事な気がするんだよねー。世間の表通り歩けないけれども裏通り歩かせてもらうかわりに、なんでも自由なことしていいですか? 好きにやらせてもらう代償は市民として扱われないっていうことでよろしいんですけれど……っていうね。

橋口 わかる! サブカルチャーですって言ってる人たちにもいろいろいて、すごくディープな、時には気持ち悪いようなことすらやっている人たちもいて、かと思えば、ちょっとかっこつけてるサブカルチャーの人もいるでしょう? あとは「サブカルチャーにいたほうがおいしくない?」って思っている人もいるような気がする。本当はメインカルチャーに憧れていることを隠して。

内田 あはははは! サブカルチャーって広いからねぇ。本当にどうしようもないサブカルチャーもいっぱいいる。メインカルチャーの世界の下にいるより、サブカルチャーの上のほうにいて、いばっているほうがいいわっていう。

名越 そうやって戦略的にやろうとする人も一部いますよね。たいがいは自分の中の血で、どうしようもなくサブカルチャー的になってしまうんだけれど。例えば、内田先生や僕が、こうして何かを評論する時、やっぱりどうしたってサブカルチャー寄りになってきてしまいますよね。先生がクラッシックを評論したとしても、あるいは、それこそレオナルド・ダ・ヴィンチを評論したとしても、非常にサブカル的な、ある切り口になると僕は思うんですね。これは、ぶっとんだへんな話だけど、当時からするとレオナルド・ダ・ヴィンチはものすごいサブカルチャーだったかもしれない……っていうような考え方も出てくる可能性がある。

内田 レオナルド・ダ・ヴィンチがサブかどうかねぇ……う〜ん、カウンターであるのは間違いない。主流文化に対するカウンター、強烈なカウンター。一気に主流になっちゃったっていうぐらいに強かったってことでしょうか。基本、サブカルチャーってね、どっかでそういう要素も含まれていて、うっかりすると、伝統芸能になって、主流になって、メインストリームのメインカルチャーのほうにちゃんといったりするんだよね。

サブカルチャーが 伝統芸能、伝統文化として 定位置を与えられる時

橋口 生きている間はサブカルチャー扱いでも、死んだら急にってことも……。

内田 あるよね。だから石原裕次郎とか美空ひばりとかは、亡くなってからちょっと居場所がしばらくないんだけども。

名越 さまよってるんですね!

内田 30年くらいしたら、伝統芸能、伝統文化として定位置が与えられて。もしかしたら、三橋美智也論とか書く人出たりしてね。

名越 ふふふ。三橋美智也論は出てきてほしいなあ。

橋口 他には音楽以外のもののサブカルチャーから芸術へのラインって……例えば……。

名越 映画! 映画って集団で作ってるじゃないですか。個人でやってるんじゃなく。ところがそれがだんだんと、黒澤明の映画とか、小津安二郎の映画ってことが前面に出てくると、サブカルチャーから芸術に近づいていくってそういう傾向はありますよね。

内田 うん、そうですね。

名越 個人というものが顔になっていくと。

内田 小津とか黒澤ってもう完全にコントロールしてるから。あと、やっぱりその全部のスタッフが、もうすべて手足のようです。

名越 そうですよね。キューブリックもそうですよね。

内田 ああ、そう。

名越 もう、完璧主義です。全部をコントロールする。

内田 そうやって黒澤組とか小津組とかいう感じになってきて、完全に黒澤明の天才性、小津安二郎の天才性を信じきってる人たちが全部スタッフとして囲ってる。ああいうところになると、もうほんとの意味での個人的なことができるくらいになる。そうなってくると、少しもつけいる隙がない。完璧な映画。

名越 だいたいそういう人って、リハーサルを何十回としますよね。キューブリックもそうだし、たぶん小津もそうだし、黒澤もそうじゃないすか。ああいう中で、そこに関わる人間個人の「我」のようなものを抜いていく作業みたいなことするんですかね。もう器そのものを否定していくような作業というか。

内田 『赤ひげ』の小石川診療所のあの薬部屋で、薬草をごりごりごりごりやるシーンがあるでしょう。うしろに薬草が入っているっていう薬箱があって。

名越 はいはいはいはい。

内田 あれ、薬箱の中身映んないですよ、全然。だけど、そこにとにかく全部本当に薬草詰めて、こうやって本当に薬草ごりごりやっていないと、そこで医者が会話をしてるような画面にならないっていう。

名越 そういうとこ、あるだろうなあ。ショーケンが言ってたんだったかなあ。黒澤の『影武者』に、ショーケンが出てたじゃないですか。あの時も、監督がばーってカメラ止めてね、「あそこに電信柱が見える」って言うんですって。でも、それ2キロ以上向こうにあるらしくって、どうしたって見きれてるんですよ。でもそこまで走らせて、その電信柱に枝つけてきたっていう話を確かショーケンが言っていたと思うんだけど。そういうニュアンスですよね。そうなると芸術の方向に……。

内田 場を完全に作っていってね。俳優の自我がなくなっちゃって、もうその……。

名越 もう器そのものに。

内田 キャラクターになりきっちゃう。で、そこまでいくとアートになってくるんですよね。

名越 そうですよね。そう考えるとチャップリンの映画なんていうのはやっぱり芸術に近いんでしょうね。かなりコントロールしてる感じがありますよね。

内田 あれなんて音楽までやってるんだもんね。

名越 そうそう。湯水のようにフィルムを使ったりとかね。『街の灯』なんて出会いのシーンを作るのに何カ月もかかったっていう話ですよね。非常に庶民的なコメディだけども、作り方というものが芸術的であるから、やっぱり芸術だと僕らはどっかで感じますよね。これ、なんかヒントな感じがするなぁ。

内田 逆にそれがなくて、いろんな人の個人的な欲望とか、なんかそういう目立ってやろうとかそういう気持ちとかがこう出てきたりすると、非常にへんなものができてきたりして。僕、両方好きなんだけどね。アートも好きなんだけども。

名越 僕も両方好きですね。

内田 いろんな人が入り混じっていて、コントロールできなくなっている映画っていうのも好きなんですよ。やっぱり、サブカルチャーは「サブ」ってだけあってとにかくやっぱり、自分の意識でもコントロールできないものが無意識の領域からわき出すっていうところが、非常に大きくあるんじゃないのかなあ。

カウンセリングモードの時は 非整数次倍音を出しているはず

内田 これ、ぜんぜん関係ない話なんだけどね。こないだ、中村明一さんっていう尺八吹く人が『倍音』って本を出すことになって、まだ出てないんですけども(春秋社より10月下旬発売予定)、その中で日本の歌手の発声と整数次倍音と非整数次倍音の聞き比べをしているんです。それがすごく面白くって。

名越 面白そう!!

内田 やっぱりすっごい歌手っていうのは、もうわずか楽譜の3音の中で、ここで整数次倍音、ここで非整数次倍音って倍音を切り替えてる。だから響く位置がかわるっていう。ものすごい高度な楽器を備えている。

名越 でもそれ無意識でしょう? そのほうが気持ちいいし。

内田 2種類の倍音と裏声と3つ使い分けて、それをこぶしのとこでぐっとやると、もう皆ぞーーーっとしてくる。響きがぜんぜん違う。身体が響いてくるの。すごく短い時間の中でその発声を使い分けしているんだよね。

名越 それはもう絶対読みたい。実は僕、何人かの方から、この声が倍音かもしれないって言われたことがあるんですよ。特に僕がカウンセリングモードになって話しているときはなんかちょっと倍音がかってるって。

内田 そりゃもちろん非整数次倍音出してます。でなかったらできませんよ、カウンセリングなんて。この人には気持ち赦しても大丈夫って思わなかったらできませんもん。

名越 だから、自分でもものすごく興味あるんですよ。

内田 わりとガラガラ声の人のがいいんですよ。田中角栄みたいな声。あれは理想的な声で親しみを感じるっていう。

名越 そうですよねぇ。ヒトラーの声だってガラガラですもんね、考えたら。あの声初め聞いたときになんでこんな悪声だって思ったけど、何べんか聞いてるうちに気持ちよくなるんですよね、あの声がね。やばいんですよ。そういう意味で。

内田 大体漫才コンビってのは整数次倍音です。つっこみが整数次倍音で、ボケの方は非整数次倍音。

橋口 そういう人って元々そういう声なんですか?

内田 訓練である程度。

名越 声をつぶすって、もしかしたらそういう意味かもしれない。浪曲の人なんかが海辺で発声練習して声つぶすっていう。あのね、僕がジャズスクールに通ってたときに……。

橋口 えっ!? 名越先生がジャズスクール? 今スルーしそうになったけど、どうしよう。これさらっと流すべきかな?

名越 流さなあかんよ。

内田 なんか楽器?

名越 ええ。でも、楽器は色々全部練習したけど全部ダメで。それで結局ボーカル。

橋口 いつ? いつですか!? それ最近ですか!?

名越 最近じゃないよ!!

内田 いや、そんなおっきな声で(笑)。

名越 ふふふ。すみません。いや、18から19、20歳にかけてひたすら音楽やりたかったんです。その時にね、レイ・チャールズとスティービー・ワンダーが好きだったからレイ・チャールズとスティービー・ワンダーを一生懸命練習したんだけど、これはやっぱり日本人ではムリなんじゃないかって思ったんです。でも、ちょうどその頃、初めてスティービー・ワンダーのコンサートに行ったんですね。そうしたらスティービー・ワンダーが幕間の戯れに、ビリー・ジョエルの『Just The Way You Are』をピアノ弾きながら歌ったんです。皆おーって拍手して、「じゃあ歌おうか」って『Just The Way You Are』をコーラスの女の子に耳打ちされて歌詞を聞きながら歌ったんですよ。それがめちゃくちゃかっこよくて、僕はそれからひたすらビリー・ジョエルの『Just The Way You Are』をコピー。

内田 スティービー・ワンダー風に?

名越 そう。僕もなんとかスティービー・ワンダーのあのハイトーンが出ないかと思って、彼の楽曲を歌うんだけど高いところは鶏が締められるような声になっちゃうんですね。でもビリー・ジョエルの声域ならなんとか声だけは出るわけです。

橋口 でもその頃そうやって歌ってたことが、今の声を作ってるかもしれない。

名越 多分そうなんですよ(笑)。必死になって歌っていた頃に風邪引いたことがあったんです。その時、うちのおじさんが僕の喉を診てくれて「あれ……康文君、謡人結節ができてるよ」って言われたんですよ。謡う人にできる結節が声帯にできてたんです。「ちょっとあんまり声出しすぎてないか?」って言うから「実はボーカルやってて」って話をして「じゃあしょうがないな」とかって言われて。あの時、謡人結節ができてなかったらもっと僕の声ってきれいな声だったんですよ? でも、何かにいざなわれてたっていうかね。自分の限界を突破するところにある何かに。

日本の男性ポップシンガーの 先達は、ポール・アンカ!?

内田 日本の男性ポップシンガーの歌唱法ってのは、実は古典的なんですよ。ポール・アンカって知ってる?

名越 はいはいはい。

内田 平尾昌晃がポール・アンカの歌唱法を日本的に加工したっていう話があります。

橋口 平尾昌晃って、歌とかの学校やっているんだっけ?

名越 もう大スターだったんですよ。『カナダからの手紙』とか、知らない?

橋口 ああ!

内田 そう、あの平尾昌晃からあとの人ってのはポール・アンカの平尾昌晃的解釈の歌唱法なの。

名越 すごいな、すごい影響力。

内田 まず西城秀樹がその直接の後継者なんだ。で、西城秀樹のあとはあの歌唱法がすごく多いんだよね。GLAYとかもね。

橋口 わ、西城秀樹とGLAYがつながった!

内田 皆同じでしょ。実は西城秀樹なの、原点は。そのもっと前はポール・アンカっていう。さらにこの先達があって、先達があってって、たどっていくとおもしろいんだよね。進化はしていくんですけども、基本は同じで。

名越 ポール・アンカって黒人ほど声量なかったですもんね。あの『マイウェイ』も作曲作詞してるんですけども、やっぱり本人が歌う『マイウェイ』よりフランク・シナトラが歌う『マイウェイ』のほうがよりうまいっていうか。

内田 イタリア系なんで。あれはだから黒人音楽のイタリア版。ベルカント的な。

名越 きれいな発声ですもんね。

内田 黒人音楽っていうのはその頃、1000万枚とか3000万枚なんですけども、間に何か一個入ると、つまりポール・アンカがそれを歌うとさらに……。

名越 もう100倍ぐらいに。

内田 そう。1個入るとすごいの。そうやって少し1個あいだに入れると、急になんていうか……。

名越 急にね! それすごいわかる! それってアカデミズムもそうかも。そうやってものすごく専門的なものをそのまま伝えてないじゃないですか。先生にしてもそうだけど……。

内田 必ず日本のものを一個コンって入れる。

名越 入れますよねぇ!

内田 だってつなぎがないと。そば粉十割じゃなくって、つなぎがないとツルツル食べられないからさ。

名越 それってすごくクリエイティブじゃないですか。そのままではその中にいる人以外には全然通用しないものに、何をどう入れるかってのはその人のクリエイティビティでしょう。

内田 「日本には類例見ないものです。類似がききません」ってなっちゃうとわかんないってなっちゃう。でも「例えば日本でいったらこれでしょう」っていうのがあると、世の中の人って「そんなに違うわけじゃないんだ」って意欲がわいてくる。理解する。探していけば、元は同じ人間だからね。なんとかつなげちゃうと「じゃあ理解しようかな」って意欲が向上する。

名越 おもしろいな〜。どこで爆発的に流布するかっていうひとつのヒントですよね。これってね。

内田 そうですね。

橋口 わ。なんだろ。なんていうか上手く言えないけど……すごいことがわかりかけている感じのところに今いる気がします。

名越 あはは。ね! これ結構きてますよね。

内田 あとはポール・アンカがね、日本でヒットした理由っていうので大瀧詠一先生が「あんか」が入ってるっていうのがあるって述べられていて。それは日本の伝統的な親和が関与していたっていう。

橋口 おおっ。

名越 それはほんとにいえると思います。

内田 ニール・セダカとかね。「セダカ」ってなんとなく漢字で書ける気がするでしょう。「背」が「高」いって書いたりとか。そういうところが一個でもなんかあるといいよね。ポールなんとかスキーとかいう名前の人より、絶対にアンカのほうがいい。

橋口 それ!「ベストセラータイトルの音韻について」、内田先生の『街場のマンガ論』にありましたよね。『ムーミン』の登場人物スナフキンの話とか。
「フィンランド語の原音はまったく似ても似つかぬ音の名をもつこの登場人物に「砂布巾」という親しみやすい日本語名をつけた訳者の洞察は多としなければならない」
そこから始まって、人間は「ん」でぐっと締まる名詞に、つい「負い目」を感じてしまうっていう、白石さんの説「N音の力」の話。そして最終的には釈先生が「阿吽(あうん)」の「あ」で始まり「ん」で終わる名前には、宇宙的秩序が書き込まれてるから、これこそが名前としては最強じゃないかという仮説の提示があって……。

名越 あっ……。『街場のマンガ論』って本のタイトルこれ……。

橋口 あっ!「まぁ」ちばのまんがろ「ん」。ほんとだ!

内田 ふふふふふ。

内田先生プロフィール
うちだ・たつる● 1950年東京生まれ。思想家。現在、神戸女学院大学文学部教授(2011年をもって退官予定)。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。2007年『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞を、『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞2010を受賞。近著に『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(140B)、『武道的思考』(筑摩選書)など。自身が運営するブログは人気サイトでもある。「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/

名越先生プロフィール
なこし・やすふみ● 1960年奈良県生まれ。精神科医。専門は思春期精神医学、精神療法。臨床に携わる一方で、テレビ・コメンテーター、雑誌連載、映画評論、漫画分析などさまざまなメディアで幅広く活躍中。著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書)、『現代人の祈り』(釈 徹宗氏、内田 樹氏との共著 サンガ)など。携帯公式サイト「名越康文のココラボ」も好評。

橋口さんプロフィール
はしぐち・いくよ●1974年鹿児島県生まれ。作家。著書に『愛の種。』『蜜蜂のささやき』(いずれも幻冬舎文庫)、エッセイ『アロハ萌え』(講談社文庫)、『原宿ガール』(メディアファクトリー)、『小説 僕の初恋をキミに捧ぐ』(小学館文庫)、『だれが産むか』(幻冬舎)など。最新情報は橋口いくよオフィシャルブログ「Mahalo Air」http://ameblo.jp/mahaloair/


内田先生のお悩み相談室 WEBダ・ヴィンチ版

本誌特集企画「内田先生のお悩み相談室」のために、内田先生に訊いてみたいこと、相談してみたいことを、迷えるダ・ヴィンチ読者に募集したところ、たくさんの質問が届きました。本誌で紹介しきれなかったQ&Aを特別にWEBダ・ヴィンチで公開いたします!

Q.日本人の歴史に対する知識の低下をどう思われますか?(女・32・フリーター・兵庫県)

内田先生

A.「日本人の歴史に対する知識の低下」が実証的に裏づけられた言明なのかどうか、それが僕にはよくわかりません。ほんとうにそうなんでしょうか?

「最近、少年の犯罪が増えている」とか「家庭内殺人事件が増えている」とかいう言葉をよくメディアではふつうに言いますけれど、それはそういう主観的印象がするというだけで、統計的には根拠のない発言です。日本の少年犯罪発生率は世界最低レベルですし、「家庭内殺人」が多いように見えるのは、殺人事件の件数そのものがあまりに少ないせいです。

歴史についての知識が低下したという場合もそういう主観的印象のような気がします。ふつうの市井の労働者たちは、昔も歴史についての知識なんかあまりなかったと思いますけど。

Q.ときどき感情が抑えられなくなり、後悔することがよくあります。なにかいい解決方法はありますか?(女・22・無職・福島県)

A.あとで後悔する感情というのは「感情一般」のことではありませんね。あとで後悔することになる「抑えられない感情」というのは「怒り」のことです。「悲しみ」とか「喜び」とかの感情が抑えきれなくて、あとで後悔するということはまずありませんから。

喜怒哀楽と言いますけれど、「怒り」とそれ以外の感情はどこかが違います。どこが違うのでしょうか。

経験から言えるのは、「悲しみ」とか「喜び」とか「せつなさ」とかいう感情はわりとゆっくりかたちをとるということです。「こらえようとしてもこぼれる涙」とか「抑えようしても、ついこみ上げる笑い」というようなものがありますね。感情の兆しはたしかにあるのだが、まだ全面的に開放されないという中間状態が悲しみや喜びにはあります。

でも、怒りにはそれがありません。よく「瞬間湯沸かし器」と言いますけれど、「怒り」はいきなり発火点に達する。

なぜ、怒りには「怒りかけているのだが、表現されない」という中間状態がないのでしょう。

これは僕の個人的な意見で、これまで同じ意見の人に会ったことがないのですが、これはもしかすると、怒るときは、その場でいきなり怒り出す方がなまじ耐えるよりも害が少ないからではないかと僕は思います。

たいへん不愉快な思いをさせられたが、その場では怒りを抑えて、黙っていた。それでも半日くらいして、夜ふとんに入ってから、だんだん怒りがこみあげてきて、どうにも我慢できなくなって、がばっと起き上がって「あの野郎……」というようなケースがまれにあります。そして、こういうふうに「いったん抑制されたが、そのあと爆発した怒り」の方が加圧された分だけ激烈なものになります。その場で言えば済んだことが、いろいろ配慮して、うっかり怒りを抑えてしまったせいで、エネルギーが内攻して、どす黒い悪意が沈殿して、結果的に包丁で刺してしまったとか、家に火をつけてしまった……というふうにエスカレートすることがあります。いや、ほんとに。

他人を傷つけるだけではありません。激しい怒りを一時的にではあれうちに押し込めると、心が荒み、健康を害し、まわりの人たちに意地悪をし、だいたいろくなことはありません。  ですから、怒りはうかつに抑制しない方がいい。これはどうやら長い人類の歴史の中で獲得された一つの知見のように思われます。

ご質問について僕からのお答えは、感情は過度に抑制しないで、こまめにリリースした方がいいですよ、というのがウチダからのアドバイスであります。

後悔くらいしたっていいじゃないですか。

内田先生

PS:もちろん、いちばん簡単な答えは「怒る」ような出来事それ自体に遭遇しないということです。これが問題解決の王道です。

あなたのまわりにいる人々がみな「ものの道理のわかった人、賢い人、他人に気配りのできる人、公共の福利を配慮する人」ばかりであるなら、あなたは怒りの感情にとらえられる日常的な機会を最小化することができます。そういう人たちばかりで構成された集団(もちろん、この世にはそういうものがあるのです)のメンバーにしてもらえれば、あなたはほとんど怒りの感情を覚えることなく暮らすことができます。ただ、もうおわかりでしょうけれど、そのメンバーになるためには、あなた自身が「ものの道理のわかった人……(以下略)」でなければいけないんです。がんばってください。

Q.「子どもごころを忘れない大人」と「大人になりきれていない子どもな(年齢だけ)大人」を混同している人が多い気がしていて、ついつい腹が立ってしまうのですが、内田さんの定義では「大人」って、なんだと思いますか?(女・26・東京都)

内田先生

A.「大人」の定義はいろいろあります。語の定義をそのつど相手に合わせて変えるのも「大人」の芸の一つですから、今回は質問に合わせて定義してみます。

「大人」とは、生まれてから今日までのすべての自分を生き生きと自分の内部に保持している人のことです。

幼児のときの自分も、青年期の自分も、老いた自分も、健康なときの自分も、病んでいるときの自分も、絶好調だったときの自分も、最悪の落ち込みのときの自分も・・・全部の自分の、そのときどきの実感をありありと内面から想像的に再現できる人、それが「大人」です。

そういう人は六歳児の眼に世界がどんなふうに不思議なものに見えたかをまだ知っています。中学生の屈託や反抗心や自分自身の身体との不調和を覚えています。世界が輝いて見えるときの身体が熱くなるような感覚も、すべてが灰色になり、意味を失ったときの冷たい心も、ありありと思い出すことができます。そういう人は幼児とも老人とも、富貴な人とも貧者とも、健常者とも病人とも、親しく対話することができる。それらの他者の一部が断片的に自分自身のうちにも存在するからです。

他者と対話できる人というのは、自分の中にある他者的なものに対する敬意を失わない人のことです。自分の中にある幼児性や老いや、強権性や反抗心や、利己心や共感力を「そういうのって、あるよね」とにこやかない受け容れられる人のことです。自分の中にある他者ときちんと対話ができる人だけが、見知らぬ他人とも対話的な関係を築き上げることができる。僕はそう思います。

「子どもごころを忘れない大人」というのは、そういう重層的な厚みのある人のことです。「子どもな大人」というのは不幸にも幼児的な人格の一つしか持ち合わせていない「うつろな人」のことです。どちらをめざすべきかは、おわかりですよね。

Q.結局のところ、人間とは、なんなのでしょうか?(男・34・フリーライター・千葉県)

A.たいへん申し上げにくいことなのですが、「つきるところ、宇宙とはどういうものか」とか「畢竟するところ、人生の意味は何か」というような包括的な問いを立てるのはあまりなされない方がいいと思います。

精神科医の春日武彦先生からうかがった話ですけれど、容易には答えがたい問いについて短文で答えが出ることを切望するのはある種の精神疾患の先駆症状の一つだそうですから。

この病気の方たちはたいへんに「格言」や「ことわざ」が好きなのだそうです。

いちばん好きなのは「出る釘は打たれる」。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とか「千里の道も一歩から」というような「努力と成果が相関する」という命題を語る格言が好きな患者さんはいないみたいですねと春日先生はおっしゃってました。

Q.今後の日本への、処方箋はありますか?(男・47・会社員・埼玉県)

A.ありますとも、もちろん。

で、それを知りたいわけですか?

違いますよね。知りたければ、「教えてください」って言いますものね。

Q.私は就職活動中の学生です。正直進路がきまらないまま、卒業になりそうで不安です。働くこと、前向きに物事をとらえることができるように何かヒントがあれば教えてほしいです。よろしくお願いします(女・22・大学生・東京都)

A.就活たいへんですね。

うちのゼミにも進路が決まらないままに卒業する学生がときどきいます。学生たちには「就職はご縁だから」と言ってきかせています。仕事というのは自分で探すものではなくて、向こうから「この仕事、やってみない?」と声をかけてくるものです。

「天職」は英語ではvocation とか calling と言いますけれど、どちらも原義は「呼ばれること」です。

耳を澄ませていれば、「この仕事、やってみない?」という声がどこかから聞こえてきます。そのセンサーの感度を高く保っていれば、だいじょうぶです。

ただ、センサーの感度を高く保つには条件があります。それは「センサーに負荷をかけない」ということです。

センサーは脆いものですから、ていねいに扱わないといけません。

「今月末まで」とか「年収300万円以上」とか「うちから30分以内の職場に限る」とか、そういう作業条件を課してセンサーを働かせることはできません。

残念ですけれど。

コーリングはいつ、誰から、どのような仕事について到来するかわかりません。その開放性だけが「はたすべき仕事」に向かってあなたを導いてくれます。

健闘を祈ります。