電車内読書注意! 「活字」の温もりがジンジン心にしみる、この夏一番泣ける本、ほしおさなえの『活版印刷三日月堂』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/15

活版印刷。なんとも懐かしい言葉だ。確かはるか昔、出版社の新人研修で目にしたことがあったような…。今やPCさえあれば、そこそこの印刷物がセルフで作れる時代に、活字を一つ一つ拾って、配置して、印刷機にインキを置いてプレスして刷る…なんて、考えただけでも面倒くさい。

『活版印刷三日月堂』(ポプラ社) ほしおさなえ氏の最新書き下ろし『活版印刷三日月堂』(ポプラ社)は、そんな「絶滅危惧種的職人仕事」の世界を描く。蔵が立ち並ぶクラシカルな街並みで人気の“小江戸”川越。その中心から少し離れた場所に立つ、昭和レトロな四角い建物こそ、28歳の弓子が一人ひっそりと切り盛りする活版印刷所「三日月堂」だ。もともと祖父母が営んでいたのだが、よる年波に勝てずに閉店、相次いで亡くなった後は空き家になっていたものを、様々な偶然が重なって、孫の彼女が家だけでなく「活版印刷」の仕事も受け継いでいる。

鈍色に光る鉛製の活字が壁を埋め尽くし、どっしりとした黒い印刷機がインキの匂いを漂わせる独特な空間と、言葉少なく、それでいて繊細な感性で真摯に仕事に打ち込む、職人気質のうら若き女性店主。この一見アンバランスな組み合わせに、まず興味をそそられる。

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そしてそこに集まるのは、はっきり言葉にすることはできないけれど深い「屈託」を心の底に秘めた人々だ。一人息子の旅立ちを間近に控えた母、伯父の営む喫茶店を継いだ男性、「銀河鉄道の夜」に特別な思いを持つ国語教師、そして曽祖父が活字屋を営んでいた女性…。レターセットだったりショップカードだったりと、寄せられるオーダーは様々だが、そこに込められた言葉にならない客の思いを、店主はそっと汲み上げる。そしてちょっと時代遅れな印刷技法を使って、美しい佇まいにしつらえ直すのだ。そのなんと鮮やかなこと!

手で彫った文字の型から造られた「活字」のハンコを並べて、人間の手でプレスする「活版印刷」という手法だからこそ可能な、くっきりとしたそれでいて柔らかな文字が、まるで実物を見ているかのように目の前に浮かんでくる。印刷技術の進歩でどんどん薄く軽くなり、実体をなくした文字たちが、本来持っている力を取り戻して、一つ一つが星のようにきらめきながら、その意味を紙に刻みつけているようだ。

そして何より、その文字に寄せる客たちの割り切れない想い…。心の奥底に閉じ込めて忘れたと思っていた、そう思い込もうとしていた、あの時口にできなかった言葉、大切な人だからこそ言えなかった言葉が、「活版印刷」によってしっくりとふさわしい形を与えられ、昇華していく。客の視点で語られる4つのエピソードはどれも、なんとも言えない優しさと労わりに満ちていて、それがじんわり心に沁みて思わずぽろぽろ涙してしまった。さりげなく登場する小物や語られる言葉が、弓子自身も抱えている、ある思いにつながっていたことに気づいた時、さらに涙が止まらず…。

いろいろな人の想いに守られ、生かされ、それがいくつも繋がって、今のわたし、他の何者でもないわたしがいる。そう、「いつだって大切なものはわたしのなかにある」のだ。そんな優しいメッセージに何度もほっこりさせられる。人との関係に疲れた時、落ち込んだ時にオススメの一冊だ。

文=yuyakana