セリフ1秒に4文字!『ボディガード』『バイオハザード』シリーズを手掛けた 字幕屋、太田直子の名ゼリフが生まれるまでの格闘劇

エンタメ

公開日:2016/9/2


『字幕屋の気になる日本語』(太田直子:著/新日本出版社)

「最もよい字幕とは、映画を見終った後、どんな字幕だったか覚えていない字幕である」これは小説家、星野智幸氏があとがき部分に書いた一文だ。海外の映画作品を観る時、セリフを発する俳優たちの口の動きに合わせて映し出される字幕は、瞬間に読み取れる文字数でなくてはいけない。「セリフ1秒につき4文字」この厳しいルールの中で、長い説明的な言葉、揺れ動く心情などを、わかりやすく短い言葉で的確に伝えられるか。それが字幕翻訳家の仕事である。悶絶しながら字数制限と格闘するプロは、多くの言葉を駆使して作品を磨き上げる。いわば日本語の達人だ。そのプロ中のプロが書いた『字幕屋の気になる日本語』(太田直子:著/新日本出版社)は、人生における粋、シャレ、ウィットとは何か? 字幕愛あふれる著者の言葉のセンスに酔えるエッセイ集である。

字幕翻訳家として長いキャリアをもつ太田氏。豊富な語彙から簡潔な表現を極めてきた日本語力の持ち主は、巷の言葉に妙に敏感になってしまうらしい。「その一、字幕屋の気になる日本語」では、SNSで乱れ飛ぶ言葉の不可解や、ニュース番組から聞こえる不思議なフレーズについて、ユーモアたっぷりに愛の指摘をしている。

これは、あるテレビのアナウンサーの言葉である。
「こちらが問題となっております食材というような状況になります」29字

advertisement

言いたかった中身を要約するとこうなる。
「これが問題の食材です」10字

この29字について「言葉の上げ底、または過剰包装」と指摘している。とりすました無意味に長い丁寧語より、短縮して的確に伝えることの大事さ、さらに形より心を大切にする精神を説いている。

直訳では成り立たない映画字幕の世界。ヒーロー、ヒロインの名シーンにこの人あり。「その二 字幕屋は銀幕の裏側でクダを巻く」では、太田氏の真骨頂、海外の大ヒット映画の字幕から、苦労の末に最少文字数に到達した光る名ゼリフがいくつも紹介されている。
1992年の「ボディガード」は、当時大人気のスター、ケビン・コスナーがボディガード役を演じた超ヒット映画。ヒロインの歌姫(ホイットニー・ヒューストン)が、ボディガードに対し、「守る自信があるのね」と言うと、彼はこう答える。

「命懸けで来られたら どうしようもない」17字
このセリフを、そのまま直訳するとこうなる。

「もし誰かが自分の命と引き換えてでも人殺しをやる気でいるなら決して阻止できない」38字

これでは字幕が4行になり、読み終わる前に画面から消えてしまう。他にも直訳では意味が伝わらないことはザラにあり、英語のダジャレを日本語字幕にする場合、直訳では観客が理解できないため、考えに考えぬいて言葉を絞りだす。いかに短く、そのシーンに合わせたテンポ、表情に馴染むニュアンスを込めるか。途方もない言葉の海から探しあてるプロ意識の高さが究極のセリフを生み、多くの名画で感動を呼んだのだ。

国際映画祭などで英日二種字幕方式の場合は、横書きの字幕を縦書きに変更するためリライトしなくてはいけない。また、映画をテレビで放映する際の公共放送の厳しい縛りに四苦八苦するなど、そこには厳しい現実があった。しかし数々の苦労エピソードも軽いボヤきと、絶妙なオチで唸らせるところは太田氏ならではの感性だろう。

その三 字幕屋・酔眼亭の置手紙では字幕作りの手順が書かれている。「字幕と吹き替えの日本語がまるで違う」とは最も多いクレーム。1秒4文字の世界で奮闘している字幕の仕事は、内容をぎゅっと凝縮した言葉なので違うのは当然だ。別人の作業だが、物語のキーワードになる言葉だけは、字幕と吹き替えを合わせる場合があるという。

原語のリズムにシンクロした心地よい字幕を追い求めてきた太田氏は、「言葉が豊かだと生きる楽しさは増すのではないだろうか」と言い残し、今年56歳の若さで急逝した。制限された中で表現することの難しさと喜びが描かれたこの本は、言葉の大切さ、伝えることの難しさとともに、美しい日本語の使い方を愛情こめて指摘している。「言葉をおろそかにすると、生き方そのものが雑になる気がします」とも。SNSなど手軽な通信手段を乱用しがちなこの時代に、美意識を持ったコミュニケーションの原型を学ぶ本と言えそうだ。惜しまれて亡くなった稀代の字幕屋が伝えたかったことが、読者の心に響きますように。

文=藤本雪奈