将棋ソフトはトップ棋士を越えたのか? 羽生善治らプロ棋士たちが明かすプライドと将棋の未来

社会

2016/10/24

『不屈の棋士』(大川慎太郎/講談社)

 第29期竜王戦七番勝負にて、渡辺明竜王に挑む対戦相手が交代するという事態が起こった。当初予定されていた棋士に将棋ソフトの不正利用の疑いが生まれ、出場停止処分が下されたからだ。この事件の衝撃は「ソフトが棋士の能力を上回っている」という認識をトップレベルの棋士が抱いてしまっていることを、世間に知らしめてしまった点にある。2016年4月から5月にかけて行われた棋士対ソフトの電王戦でも、山崎隆之叡王が2連敗を喫し、人間がソフトに勝てなくなる時代が目前に迫っている残酷さを感じさせた。

 将棋ソフトが人間を上回ったとき、それでも棋士という職業は成立するのだろうか? そして、これからの棋士はどんな姿をファンに見せていくべきなのか?『不屈の棋士』(大川慎太郎/講談社)はプロ棋士11名に将棋ソフトについてのインタビューを行い、それらの問いへの答えを明らかにしようとした一冊である。ソフトという将棋の概念を覆しかねない存在を前にして、棋士たちが紡ぐ言葉には将棋に懸ける者としてのプライドに溢れていた。

 本書に登場する棋士たちの将棋ソフトに対するスタンスはさまざまである。若手のホープ、千田翔太のように勉強の大半で将棋ソフトを使用している者もいれば、行方尚史のようにとりあえず使用してみたうえで「理想の棋士像とのズレ」を感じて距離を置くようになった者もいる。しかし、驚きなのは本書に登場する全ての棋士が何らかの形で勉強にソフトを取り入れている、あるいは取り入れていた時期があったということだ。天才、羽生善治でさえ「最後の詰みがあるかないかについては本当に正確無比」として、終盤の局面をソフトで検索することがあるという。

 将棋ソフトの登場によって、将棋はどのように変わってきたのか。まず、序盤を軽視する傾向が広まったことが挙げられる。中盤から終盤の読みに強みを発揮するソフトは、人間のように序盤から慎重に陣形を整える戦法をとらない。そして、ソフトとの対局に慣れた若手たちも影響を受け、自分たちの将棋に取り入れるようになったという。何百年と「定跡」と信じられてきた戦法が否定されだしたのである。

 一方で、将棋ソフトを活用するデメリットはあるのか? 多くの棋士が「自分の頭で考えなくなること」と口を揃える。一手一手についてレートを計算し、理論的な最善手を教えてくれるソフトは確かに心強い。しかし、棋士が実戦で相手にするのは人間であり、当然、そのときはソフトのサポートなどない。「レートが高いから良い手」という学び方では、予想外の状況に対応できなくなってしまう。また、似通った指し手が増えて、将棋の魅力を損なってしまう可能性もある。

 棋士とソフトの距離感についてはまだまだ試行錯誤の途中のようだが、2015年10月、情報処理学会が「ソフトはトップ棋士に追いついた」と発表し、本書に登場する棋士たちの多くもその言葉を(渋々ながら)認めている。ネットではソフト同士の対局、「フラットゲート」も人気だ。バグさえなければ、人間のようにミスによる終局がほとんどないソフトの進化は、棋士の存在意義を脅かしている。一方で、誰もが認めるトップ棋士、渡辺明はフラットゲートに魅力を感じないという。

(学べることは)ないですねえ。ワクワクすることはないね。(中略)人間が暗算の競争をやるから見るんですよ。どっちが先にミスるんだ、っていう。

 将棋には勝ち負け以外にも見る楽しみがある。心理的駆け引き、後世に残る棋譜の美しさ、そして何よりも将棋を通じて伝わる棋士の個性。将棋ソフトの台頭は、そんな将棋の根源的な魅力を棋士、ファン双方に再確認させてくれる機会といえるだろう。まさに

ソフト自体は敵ではないし、恐れる必要もない。ただし扱い方によっては、その将棋に対する本音を浮かび上がらせるものである。つまりソフトは、その人間の将棋愛を映す鏡のようなものではないか。

 という本書の言葉通りに。そして、それは到来した人工知能の時代で、全ての職業人が考え直すべきテーマでもあるのだろう。

 なお、本書のインタビュー収録後、来年5月に開催される第2期電王戦予選に羽生善治が出場することが発表されている。渡辺と並ぶ現役最強の棋士がどんな思いで出場を決意したのか。その内心を想像するうえでも、本書は貴重である。

文=石塚就一