「家の中にストーカーがいます」「女性の肉が食べたい」…精神科医への相談に見る、こころと脳の不思議

暮らし

更新日:2016/11/28

まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。

 この言葉に見覚えのある方、おそらくアラサー以降ではないでしょうか…。これは2000年代後半にインターネット上で広まった、とある“有名コピペ”の一部です。ごぞんじない方のために簡単に説明しますと、そもそもの出典は、精神科医である林公一(はやし・きみかず)先生が運営するwebサイト『Dr 林のこころと脳の相談室』内の、「精神科Q&A」というコンテンツに掲載された文章です。サイト訪問者から寄せられた精神科に関する疑問に、林先生が回答する、このコーナー。掲載されているQ&Aの数は、2013年12月の時点でなんと2500件にのぼっており、2016年現在も、その更新は継続されています。

 前出のフレーズは、そこに寄せられたある相談――同居する38歳の弟が、定職に就かず家にいて、姉である自分に執拗な嫌がらせをしてくるので困っている、というもの――に対しておこなわれた、林先生の回答の一部なのです。相談者のメールには、弟から受けているという嫌がらせの具体例が相当な分量にわたって書き連ねてあるのですが、読み進めた閲覧者はその先で、林先生からのこの、予想だにしない答えを目にして、大きな衝撃を受けることになるのです。

こころと脳の相談室名作選集 家の中にストーカーがいます “こころの風邪”などありません、それは“脳の病気”です』(林公一/ICE)は、そんな「精神科Q&A」に掲載された内容から、選りすぐりの55件を収録した書籍です。3つの章とその関連記事からなる同書ですが、読み物としておもしろいのは、やはり第1章「いろいろなこころと脳の病気と症状」の部分でしょうか。このパートはいわば、病名の“逆引き辞典”。少量の飲酒で人格に異質な変化をきたしてしまうという「病的酩酊」や、実際には臭いはしていないのに、自分は臭いと思いこんでしまう「自己臭症」、人の顔を覚えられない・知っている人なのに顔がわからない「相貌失認」など、相談者より寄せられたエピソードから、聞き慣れない病気について学ぶことができます。

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 同サイトの質問窓口となるページには、「精神科に関係したことなら、どんな質問もOK」という運営方針が記されています。そのため、時には相談というよりも、書き手の主義主張を連ねた文章や、「女性の肉が食べたい」「皆と同じようにiPodの手術を受けたい」といった、字面だけでもギョッとしてしまうような問い合わせも届くようです。精神疾患にそれほど詳しくない読者としては、こうした相談内容を読むだけで相当なエネルギーを消費するかもしれませんが、そんな言葉に向き合う林先生のお仕事ぶりを垣間見ていますと何だか、勧善懲悪を地で行く時代劇のようなスッキリ感を得られるというか、胸のすく思いがするのです。

 そんな林先生の回答ですが、その内容は、時に残酷だったりもします。例えば、「夫は覚せい剤をやめたのに、他人からもらった普通の薬をのむと精神症状が出ます」という相談には、きっぱりと「ご主人は覚せい剤をやめていません」。「彼女に突然別れを告げられ、つらくてたまりません」という嘆きには、「失恋を医師に相談するのは間違っています。自分で解決してください」と、一刀両断。こうした突き放すような物言いで話題となることも多い「精神科Q&A」ですが、しかしこれらはすべて、同コンテンツの「医療相談ではない」「事実だけを伝える」というスタンスに基づいたもの。そしてその根底には、「事実を伏せた明るさは、事実を伏せた希望は、すべて偽りである。偽りからは何も生まれない。闇のような絶望であっても、それが事実である限り、いつか光は差してくる。真の希望への第一歩になる」という、林先生の考えがあるのです。

 興味本位で精神疾患について知ろうとすることに抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、同書の序章には、「興味本位は無関心に優ります」という、林先生の言葉も添えられています。一部の人にしか見えない世界のこと、あなたも少し、知ってみませんか?

文=神田はるよ