ゴジラのエネルギー源は? 「日本はイケる」という感想は正しい? 22人の識者による22通りの『シン・ゴジラ』論

映画

2016/12/29

『「シン・ゴジラ」をどう観るか』(河出書房新社)

 2016年の実写日本映画として、最大のヒットとなった『シン・ゴジラ』。興行収入は80億円を超え、すでに歴代ゴジラシリーズの中でも最高傑作に推す声さえ上がっている。つい先日も新語・流行語大賞にノミネートされるなど、社会現象となったその話題性はいまだ衰えていない。

 そんな『シン・ゴジラ』の深い世界観を多角的に解析していく一冊が『「シン・ゴジラ」をどう観るか』(河出書房新社)だ。22人の識者たちが各々の観点から語り明かす『シン・ゴジラ』論はいずれも刺激的で、『シンゴジ』ファンが楽しめることはもちろんだが、未見の人も意外な切り口から興味を持つきっかけとなるのではないだろうか。

 本書に寄稿している識者の専門分野は様々である。映画評論家や特撮に詳しいライターのほか、小説家や音楽ライター、学者や大学生まで独自の『シン・ゴジラ』論を展開していく。

 たとえば映画評論家のモルモット吉田氏は歴代ゴジラや庵野秀明総監督のフィルモグラフィー、影響を受けた映画作家を挙げながら、『シン・ゴジラ』を魅力的にしている映画術を解説し、正攻法な映画批評として読み応え十分だ。

 一方で、映像ジャンルの外側から発せられる文章も興味深い。生物学者の長沼毅氏は、ゴジラが食料を必要としないという設定から、エネルギー源などが気になり、まるで論文のような自説を述べていく。また、建築史家の五十嵐太郎氏は歴代ゴジラと違って『シン・ゴジラ』ではランドマークらしい建造物の破壊描写に乏しいことに着目する。凡庸な建築デザインが増えた東京では、ゴジラですら目標とするアイコン建築を定められなかったのではないか、というのだ。仮にそうだとするなら、ゴジラが都心の超高層ビル群を光線で破壊し、自らがアイコンのように活動停止してしまう展開は、建築史的に意味深だといえるだろう。

 公開から時間が経ち、世間も盛り上がりを見せているからこそ、世論への疑問を呈する識者も登場する。『シン・ゴジラ』について、「一人のヒーローではなく組織や集団が力を合わせてゴジラと戦う展開に心を打たれた」という感想をよく聞く。しかし、社会学者の宮台真司氏は「日本は終わりじゃない。このままでもまだイケる」と熱狂する観客に警鐘を鳴らす。なぜなら、日本の組織が正しく機能するのは未曾有の国難に遭遇した場合のみに限定され、しかも「米国に逆らう」という選択肢は最初から除外されていると鋭く指摘するからだ。そして、その組織傾向は『シン・ゴジラ』劇中でも変わりがない。つまり、『シン・ゴジラ』は日本の行政の英雄譚ではなく、むしろ行政へのアイロニーとして見ることも可能になる。

 22人22色の論評を読むことで視野が広がるばかりではなく、論評同士の共通点から『シン・ゴジラ』の核心も明確になっていく。たとえば、多くの識者が『シン・ゴジラ』演出に影響を与えたとして『日本の一番ながい日』をはじめとする岡本喜八監督作品や、市川昆監督作品を引き合いに出す。『シン・ゴジラ』のスピーディーなカット割の原点は同じ日本映画の巨匠たちだったのだ。また、1954年公開の初代『ゴジラ』についての言及も繰り返され、シリーズに携わったクリエイターたちにとって初代の呪縛がいかに強いのかが推し量られる。

 それにしても、いかなる角度から語っても言葉が次々と出てくる『シン・ゴジラ』の情報量は改めて異常だと思い知らされるばかりだ。そして、年代や職業を問わず、誰もが自分だけの『シン・ゴジラ』論を語りたくなることが作品の大ヒットへとつながったのではないだろうか。本書の濃密さこそが『シン・ゴジラ』成功の要因を象徴している。

 なお、個人的に一番面白かったのは、政府の面々が立川市に避難した後、「都民を捨てて……」と言うことを恨みったらしく分析していく、東大和市(立川市に隣接)出身の武田砂鉄氏の文章だった。

文=石塚就一