借金、恐喝…問題児!? 来年の大河ドラマ『西郷どん』主人公・西郷隆盛の子孫は意外な人物だった!

社会

更新日:2017/1/19


 歴史の教科書で見かける人物というと、その人物のみの知識で完結してしまいがちではないだろうか。多くの歴史人物は子孫を残し、いまもその血脈が続いていることが多い。『誰も教えてくれなかった日本史有名人の子孫』(『歴史読本』編集部/KADOKAWA)は、歴史人物の知られざる子孫たちにスポットをあてた本だ。

 本書では105人の歴史人物の子孫を取り上げているが、そのなかでも来年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』の主人公・西郷隆盛の子孫について紹介したい。

京都市長になった息子、フィリピンで戦死した孫

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 大久保利通・木戸孝允とともに「維新三傑」のひとりとしてあまりに有名な西郷隆盛は、生涯に5人の子をもうけている。奄美大島に配流されたとき、愛加那という女性との間に菊次郎・菊子の一男一女、そして帰藩後に娶った薩摩藩家老岩山八郎太の娘イトとの間に寅太郎・午次郎・酉三の3人の男子がいる。

 明治10年(1877年)の西南戦争後、西郷家は朝敵の汚名を着せられたが、子孫はたくましく生きた。西郷の第一子菊次郎は12歳でアメリカに留学し、帰国後すぐに勃発した西南戦争で重傷を負ったが、その後、第二代京都市長となっている。この菊次郎には6人の男子がいて、そのうちのひとり準は、中学時代にプロ野球界の大スター川上哲治と投げ合ったこともあるそうだ。後に、立教大学に進学し六大学野球で活躍したが、太平洋戦争末期にフィリピンで戦死した。投手の肩を買われ、手榴弾を多く携行していたという。

法務大臣となった問題児・吉之助

 イトとの間に生まれた嫡子寅太郎は、プロイセンのポツダム陸軍士官学校に留学し、陸軍大佐まで昇進、侯爵を授けられ貴族院議員を務めた。その爵位を受け継いだ長男吉之助も貴族院議員、のち戦後の第一回から四期続けて参議院選挙に当選、第二次佐藤栄作内閣で法務大臣に就任している。ただ、本人は多額の借金を抱え、暴力団を使って返済を迫る債権者を恐喝するなど、問題行動も多い人物だった。

 ちなみに、寅太郎の妻信子の父園田実徳は競馬騎手武豊・幸四郎兄弟の曽祖父にあたることから、西郷隆盛と武兄弟は血のつながりはないが、縁続きである。

 歴史は過去と現在を分けるものではなく連綿と続いているものであることを、子孫たちは教えてくれているといえるのではないだろうか。

文=岡田晴生