オムライスにメロンパン──。人気の定番メニューに秘められた意外な謎

食・料理

2017/3/9

『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(澁川祐子/新潮社)

 物事には全て始まりがある。当たり前に食べている定番メニューにも、それぞれ誕生秘話があり、作り出した人々とその物語が存在するのだ。この『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(澁川祐子/新潮社)では、海外より入ってきた料理を元に、日本で独自の進化を遂げた定番メニューの誕生について迫っている。

 まず本書で興味深いのは、著者が「文献によってできるだけ事実を明らかにしようと努めた」ことだ。理由は「身近な食のルーツはすでにある程度、解明されている」からだという。元祖を探るという企画は今までにもテレビや雑誌であったし、ネットでも調べられるので納得だ。そしてさらに「元祖とされる店から直接話は聞かない」という方針も立てている。店も自ら元祖の看板を下ろすはずもなく、従来の見解を繰り返すだけだろう。そこで「一般に出回ってる説を、文献によってあらためて検証」することが、本書の取材方針ということだ。

 まずオムライスについては、東京・銀座の「煉瓦亭」で1900(明治33)年ごろ賄い飯として作られた「ライス入りオムレツ」と大阪・汐見橋の「パンヤの食堂」(現・北極星)で1925(大正14)年ごろに供された、ケチャップライスを薄焼き玉子で包んだオムライスが有名である。しかし、有名であるがゆえにたびたび話題になっており、本書の主題にはなりえない。著者が注目したのは、家庭向けの料理書での記述だ。

 一般に1928(昭和3)年の『家庭料理法大全』で初めて家庭料理としてオムライスが登場したといわれていたそうだが、著者は1926(大正15)年発行の『手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理』でそのレシピを発見。通説より2年前、「パンヤの食堂」での登場翌年にはもう掲載されていたのだ。どちらの本も小林定美氏の執筆で、氏は和洋中の折衷料理を提唱した人物だという。大日本家庭料理協会を主宰し何冊もレシピ本を出しているのだが、1930(昭和5)年に姿を消したとのこと。定番メニューに関わる人物としてはミステリアスな印象だ。

 次にメロンパンだが、まずは広島・呉市にあるその名も「メロンパン」というメーカーのメロンパンに注目したい。それはラグビーボールを半分に割ったような紡錘形をしており、クリームが入っている。1936(昭和11)年創業のこの店では当時、洋食屋で使われる紡錘形の「ライス型」を使って成型しており、その型は「メロン型」と呼ばれていた。そこから「メロンパン」と命名したという。

 ここで、ある疑問がわく。全国的に知られるのは丸い形のメロンパンであり、「メロン型」とは無関係だ。さらに広島のメロンパンも丸いメロンパンも共に表面のビスケット生地が欠かせない。その表面こそ、コッペパンやあんパンなどとの一番の違いであるはず。

 そこで更に著者が調べると、1930(昭和5)年に当時の東京府で三代川菊次というパン職人が、パン生地に風味をつけたケーキ生地をかぶせて焼くことを考案している。印象としては馴染みのメロンパンに近いが、意外にもそのパンの名が当時の記録にはないのだ。また「そもそもの話、パンをビスケット生地で包むというメロンパンのつくり方がどのように考案されたかも不明」だという。著者は「その正体は、ビスケット生地に覆われている姿さながら、ぶ厚い謎のベールに包まれている」と結ぶ。形状や製法など定番でありながら、実は謎多き食べ物だったのである。

 こうして見てみると、そのルーツはともかくオムライスもメロンパンも、多くの人間の手によって変遷してきたことが分かる。すでにオムライスは専門店まで存在し、ひとつのジャンルとして成立しているし、10年ほど前に焼きたてを謳うメロンパン専門店が乱立したことを覚えている人も多いだろう。旨いものは旨い。定番化する理由など、それだけでいいのかもしれない。

文=木谷誠