堀北真希引退の“潔さ”にハッとした人続出! 一流か二流か…人生の引き際は、その人を試す――『引き際の美学』

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公開日:2017/3/28

『引き際の美学』(川北義則/朝日新聞出版)

 先日、芸能界を引退した堀北真希。超のつくほどの国民的女優の突然の決断は世間を騒がせましたが、なにより印象深かったのは、これまでの女優としてのキャリアよりも「愛する家族との幸せな日々を守りたい」という、そのシンプルな引退理由。この“潔さ”には、ハッとさせられた人も多かったはず……。

 彼女のように鮮烈な引退を魅せたときこそ“人生は、引き際が肝心だ”――この言葉の意味を教えてくれるのが『引き際の美学』(川北義則/朝日新聞出版)です。本書にちりばめられているエピソードをもとに、あらゆる“引き際”について考えてみては?

●「これからは、精一杯、さりげなく生きていきます」―伝説の歌手・山口百恵

 21歳、人気絶頂で突如引退・結婚した歌手・山口百恵。ラストコンサートで最後の曲「さよならの向う側」を歌い終えると、ステージ上にマイクを置き去った…という引退劇はあまりにも有名です。「これからは、精一杯、さりげなく生きていきます」という名言の通り、その後は表舞台に一切姿を現していません。堀北真希も、この山口百恵の潔さには憧れていたとか。両者とも、芸能界を引退後は「愛する家族との幸せな日々」のために家庭に専念するという姿勢も同じです。

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 同書では、この百恵ちゃんの姿を「『余力を残して……』というケース。まだまだやれる、やってもらいたい、と多くのファンは思っているのに、本人だけが『この辺が引き際』と感じて辞めていく。余力を残しているから、多くの人々から惜しまれる」と分析。

●「引退の時を考えていました」―プロテニスプレーヤー・杉山愛

 グランドスラム優勝4回の日本人最多記録を獲得するなど、第一線で活躍し続けたテニスプレーヤー・杉山愛。2009年、「年間を通じて(いいパフォーマンスを)できないとわかった時が完全燃焼の時だと思っていましたし、引退の時だと考えていました」と前置きし、その後の会見で「来年のツアーを通してエネルギーを注ぐのは、体力的、精神的にもできないと思った」と、引退を決意した胸の内を語りました。

 現在は、コメンテーターとして『スッキリ!!』(日本テレビ系)などに出演し、第二のキャリアを築いています。

 彼女は、「『力を出し尽くして……』というケース。『悔いはない』というコメントがよく本人の口から出る。ファンも『よくやった』と納得する」という姿を見せました。

●「悲しい時が来てしまった」―指揮者・トスカニーニ

 19世紀後半から20世紀中頃まで活躍し、「指揮者中の王」と称されたイタリアの音楽家、アルトゥーロ・トスカニーニ。

彼はひどい近眼で、レパートリーの曲をすべて暗譜していたといいます。ある日、コンサート中に指揮を振り間違えてしまった彼は、即刻引退を決意。後日、彼が書いた手紙には、次のような述懐がありました。

“… the sad time has come when I must reluctantly lay aside my baton and say goodbye to my orchestra, ….”(我が指揮棒を不本意ながら置き、なおかつ我がオーケストラに別れを告げねばならぬ悲しい時が来てしまった)

 その後、アメリカに渡って余生を過ごし、89歳で生涯を終えました。

彼の最後の姿は、「『刀折れ力尽きて……』というケース。もう辞める以外にない立場に追い込まれて辞めるケースである。それでも本人が『まだ辞めたくない』と思っている。この辞め方はあまり評価されないが、信念を貫くという点では、美しいといえる」というもの。

私たちの人生にも、進退を決断すべき時が必ずあるはず。その時、見事な“引き際”を遂行した先達の姿が参考になるかも知れません。

“引き際”の美学をさっそく実行してみたくなった――なんて方には、最後にひと言。

「人生で遭遇するほとんどの引き際は、死に際でないかぎり『何かのひと区切り』でしかない。その先にまだ人生がある。その上で、引き際をきれいに飾ることは、自分のプライドや美学の問題だけではなく、次の人生の充実につながる賢い選択でもあることを忘れないでほしい」

“引き際”=新たな門出を決断する際には、ぜひこのことを思い出してみてください。

文=森江利子(清談社)