居酒屋の達人が東京の下町を歩く。思い出を肴にできる、大人のお酒の飲み方を学ぼう

暮らし

2017/3/27

『東京エレジー 居酒屋十二景』(太田和彦:著、沢野ひとし:イラスト/集英社)

 若い頃は仲間と騒ぎながらお酒を飲むのが楽しかった人も、年齢を経るにつれて「ひとり酒」を覚えるようになる。それは、お酒の肴になる思い出の数が増えていくからではないだろうか。

『東京エレジー 居酒屋十二景』(太田和彦:著、沢野ひとし:イラスト/集英社)は居酒屋探訪をライフワークとしてきた著者が、東京中の居酒屋を巡った感想を綴っていくエッセイである。そこには人生の秋を迎えた人間ならではの、お酒の飲み方が紹介されている。「ひとり酒」派の人もそうでない人も、憧れずにはいられない粋な大人の姿が読み取れるはずだ。

人が皆いなくなってしまった気がする。今は居酒屋だけが友達だ。新しい店はもういい。昔訪ねた居酒屋を巡り歩こう。

 そんな感慨から幕を開ける本書で語られるのは、下町や裏通りの静かな居酒屋が中心だ。著者にとって居酒屋でお酒を飲むとは、単に酔っ払いにいくだけの習慣ではない。居酒屋のある町に着いたときから、風景を味わい、時代の移り変わりを噛み締めていく。そんな時間もまた、お酒の味わいに重なっていくのだ。

 浅草演芸ホールの呼び込み、日暮里の下町まつり、古きよき東京の喧騒を感じながら著者は居酒屋へと向かう。地域によって特色が変わり、訪れる人の心も染めていく東京の不思議を、著者の視点を通して読者も満喫できるだろう。

 しかし、多くの場所で著者の心に哀愁が漂ってくる。それは、著者が愛した東京の風景が失われつつあることを実感せざるをえないからだ。高度経済成長期、バブル期、そして2020年東京オリンピック、いくつもの大きな時代の波にもまれながら東京は発展している。しかし、一方で著者が愛した下町の風情はオフィス街や繁華街の前で、姿を消しつつある。それでも目を凝らせば古い日本映画を上映している映画館に出会える。耳を澄ませば、かつての流行歌が聞こえてくる。現代を生きる人なら気づかないであろう、かつての東京の名残に心惹かれるのは、著者が青春時代を重ねずにはいられないからではないだろうか。まるで時代から置いていかれるような感覚を抱きながら、心安らぐ場所を求めて著者の居酒屋巡りは続く。

 居酒屋の描写も秀逸だ。肌寒い日に、一杯目をビールにするか熱燗にするかで迷ったり、ゴールデン街の身内で盛り上がっている店に入っていくときの視線に耐えたり、居酒屋好きには共感できる文章が満載である。その中でも、著者の胸に去来するのは美しい過去たちである。かつて一緒にお酒を飲んだ仲間の笑顔、初恋の相手と再会したこと、仕事で忙しかった日々。東京で初めて住んだ町、下北沢ではついに寂しさを抑えることができない。

「私は下北沢のあの家に帰りたい」
下北沢を出た二八年後に書いた文の結語は、その一八年後の今、また使える結びになった。

 人は誰もが人生の表舞台を降り、寂しさを抱えながらゆっくりと時の流れを感じる日がやって来る。著者のようにそんな哀愁すらも受け入れている姿には、人生の先輩として尊敬を禁じえない。いつか、自分もそんな風にお酒を飲みたいと願う。

 長野県出身である著者は50年以上にもおよぶ東京での生活で、さまざまな街の居酒屋を見つけるのが生き甲斐だった。それは、いまだに「お上りさん気分」が抜けていないからではないかと自己分析している。逆を言えば、東京が故郷でないからこそ、著者はどんな下町を訪れても積極的に人や店に紛れていく。場の流れに身を任せたまま、お酒と料理を味わっていると、いつの間にか見知らぬ客同士でも会話が始まる。「居酒屋だけが友達」と著者は書くが、居酒屋にさえ入ればその場だけの友達がいるということでもある。束の間、他愛ない会話を楽しみ、店を出れば二度と会わないかもしれない人々。そんな刹那が、著者流居酒屋の過ごし方なのだろう。

 大人数で盛り上がる飲み会も楽しいが、ときには著者のように、お酒を通して自分自身と向き合う時間を作ってみるのも一興ではないだろうか?

文=石塚就一