文芸・カルチャー

ミュージカル日本初演から30周年の『レ・ミゼラブル』―150年の時を経ても「レミゼ」が心揺さぶる理由とは?

『『レ・ミゼラブル』の世界』(西永良成/岩波書店)

 世の中には、有名なわりにちゃんと読んだことのない本というものがある。『レ・ミゼラブル』もそんな本の1冊ではないだろうか。題名は知っているのだが、内容を述べよといわれると、答えに詰まってしまう。といって、まったく知らないわけではないのがこの小説だ。

 内容を要約した児童書や、映画、そして何といってもミュージカルが有名だ。来月5月25日から帝国劇場でミュージカルの幕が上がるが、今年は日本初演30周年。原作が書かれたのは1862年だから、今年で155年が経つ。世の中に数多くの物語があれど、なぜレミゼは何度も上演されるのか? 『『レ・ミゼラブル』の世界』(西永良成/岩波書店)を頼りに、読まれない率の高い原作小説から、レミゼが時代を超えて愛され続ける理由を探った。

 まずは、物語のあらすじを簡単に。

 舞台は19世紀のフランス。主人公は、貧しさからパンを盗んで囚人となったジャン・バルジャン。仮出獄の際に、ミリエル司教の助けを借りて脱獄し、ジャベール警部に追われる身となる。司教から、愛と正義を知ったバルジャンは、身分を隠して小さな町で市民生活を送り市長にまでなる。物語は、バルジャンが孤児コゼットを引き取り、パリにやってきたところから、躍動感が増す。成長したコゼットと青年マリウスとの恋、彼に片思いのエポニーヌ、その家族である悪党テナルディエ一家、革命に身を投じる学生たち…。彼らが物語を回していくシーンにバルジャンの動きが巧みに組み込まれる。彼は、こうして無知と貧困の闇から、愛の崇高な光へと歩んでいくのだ。

 ミュージカルの方は上記の内容がわかりやすく整理されているが、原作は読者泣かせだ。例えば、物語の直接の筋とは関係なく、いきなりワーテルローの戦いの説明が入るところ。戦場の地形の説明や、ナポレオンについての記述が長々と続く。その他にも、市街に打ち捨ててある張りぼての象についての記述、パリの下水道の説明など、物語とは関係ない著者自身の声が遠慮なく入ってくる。極め付きは物語の冒頭だ。読めども読めども主人公は出てこず、ミリエル司教の人物像がひたすら続く。

 主人公が出てこないといったが、これはバルジャンが出てこないという意味だ。「レ・ミゼラブル」は「惨めな人々」という意味なので、主人公は登場人物全員であり、私たち人間すべてともいえるからだ。実際、著者ユゴーは、人々を闇から光へ導こうという強い思いで執筆をしたようだ。ユゴーには共和制という理想の国家像があり、過激に読めば、ペン一本で帝政打倒の革命を為そうとしたと受け取ることもできるのだ。レミゼは、皇帝ナポレオン三世との政治的対立で亡命生活の最中に書かれた作品であり、出版当時の政治批判でもあったからだ。

 出版されると同時に、人々の共感を得て飛ぶように売れたレミゼだが、知識人たちの反応はかんばしくなく、「大衆にあたえる不可能なものへの熱狂」などと酷評された。しかし、これが逆に、年月を超えても人々の心に響く作品である理由になっていることにお気づきだろうか。現代の代表的作家のひとりリョサは、登場人物と物語の桁外れな過剰さが、実現不可能なほどの理想の幸福を「可能で近づきうる現実」であるかのように感じさせると述べている。

 愛という人類永遠のテーマに、幸福の可能性を信じさせる強い勢いと、偶然を装った物語展開の仕掛けが満載のレミゼ。最後、バルジャンは過去の罪を許され、真っ白な光の中に旅立っていく。現代を生きる私たちの暗い心も、この物語で清らかな光を見ることだろう。それが実現可能かどうかはともかく、我々の生きる指針になることは間違いない。著者ユゴーが抱く、〈愛=幸福〉への絶対的な信頼が、レミゼを世代を超える名作たらしめているようだ。物語の商品としてのサイクルが早い今、たまには息の長い名作をゆっくり味わってみたい。

文=奥みんす



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