【試し読み】料理家・辰巳芳子の「食への思い」をはじめて絵本化! 日本人の食卓を支える大豆の物語で楽しく食育

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/20

『まほうのおまめ だいずのたび』(松本春野:文・絵、辰巳芳子:監修/文藝春秋)

おばあちゃんがくれた「まほうのおまめ」。
食べられるし、植えられる!
枝豆から変身して、とうふ、なっとう、みそ、しょうゆに――
不思議なおまめと旅する物語。

「いのちのスープ」で知られる料理家・辰巳芳子さん。辰巳さんの「食への思い」が絵本になりました。松本春野さんの祖母・いわさきちひろさんを思わせる水彩画のタッチも魅力です。

「豆を播ける子どもを育てておく。人間を育てておくための活動が大豆100粒運動です。日本人は辛抱強い。米と大豆があれば、たいていのことは乗り越えていける。この国が困窮したときに、豆を播ける人間は役に立つ。いつかどこかで芽吹いて、国の力になるでしょう」(辰巳芳子)

 全国の小学校3万人にひろがる「大豆100粒運動」や、 3年生の国語教科書「すがたをかえる大豆」の参考資料になるデータも掲載。子どもへ、孫へと贈りたい、食育絵本の決定版です。

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大豆によせる想い 辰巳芳子(たつみよしこ)

 日本は世界の大豆圏の一つに入っており、人々は上古の昔から、大豆に依存して生きてきました。

 日本人にとって、豆といえば大豆のことをさしました。

「まめで暮らす」「まめまめしい」「小まめに働く」などの言葉は、豆に寄せた信頼感や、豆を食べることによって活力を得た実感から生まれたに違いありません。

 私の家には「いくらお替りしてもよいお菜」という、煮炊きものの惣菜があります。

 油揚げと切り干しの煮つけ、大根、里芋と厚揚げの煮もの、ひじきや、切り昆布をがんもどきと炊いたもの、五目豆、炒り豆腐、卯の花など。

 家々の食卓は年かさの者から、やっと箸の持てるようになった坊やまで、その間には3杯ご飯を食べても、すぐお腹のすく育ち盛りもいるのですから、一汁一菜のほかに、めいめいのお腹都合に合わせて、いくらお替りしてもよいお菜でご飯を食べ、満足してもらえるよう用意がなければなりません。

 こうした心遣いの片棒をかついでくれる主たるものが、大豆とその加工品といって過言ではないと思います。

 現在の私たちは、食べものがあるということに慣れすぎ、昔の人々が「お豆さん」「お芋さん」「おいなりさん」と、食べものを人称扱いした初々しい心を失ったようです。しかし、折にふれ、豆と日本人が共に歩んだ道のりを想い、掌の上でいつもころころと機嫌のよいお豆ちゃんのように、面倒がらず、うれしい心で豆を炊いてくださったらと思います。

〔大豆の起源〕

 大豆は、その原種と考えられるノマメから出発したという方もありますし、も少し遺伝学的に調べてみたいという方もあります。しかし、なにによらず野生から半栽培状態へ、さらに栽培大豆に改良されたものであるとは、考え得ることです。

 栽培大豆の発祥の地は、中国東北部(旧満州)から、シベリアのアムール河流域、あるいは中国の華北か華中とするのがもっとも妥当であるとされています。

 中国における、大豆栽培の記録は、2600年前に認められますが、一方、4、5000年前という説もあります。

 日本への伝来は、縄文時代の遺跡からの炭化物出土があり、『日本書紀』『古事記』にも、興味深い、大豆誕生の物語が出てきます。

 しかし、作物として定着したのは、弥生時代の初期からと考えられています。

 いずれにせよ大豆は、有史以前から、日本人の食生活に密着した豆でありました。

〔大豆の品種〕

 日本では、専門家はなかなかこだわった大豆の分類をしておられます。①皮の色、②へそまたは目の色による分類、③粒による分類、④品種による分類です。

 普通には、皮の色、粒の大小による使い分けを心得ておられれば、よろしいでしょう。

 大別すれば、丸大豆と平大豆に分かれ、丸大豆の中に、黄色と緑色と黒色と褐色があります。

 国産には、黄色系が多く、鶴の子と呼ばれる品種が良質です。平大豆は、黒と緑と斑の種類があります。

〔大豆の利用法〕

 私たちは、大豆をどのように扱って、食生活に取り入れているでしょうか。

①若莢(わかさや)を使うもの

 枝豆と呼んで、塩茹でしてそのまま食べたり、これを擂りつぶしたものでは、枝豆豆腐、ずんだ餅などが代表でしょう(秋の田のくろ豆・黒豆の枝豆の塩茹では、かけがえのない秋の収穫のよろこびです)。

②成熟した乾燥豆を使うもの

 そのまま、さまざまな煮豆料理に用います。

打ち豆・呉

 水に浸し、柔らかくしたものを打ってつぶしたものが「打ち豆」。これを擂りつぶしたものを「呉」と呼び、これで「呉汁」をつくります。

「もやし」は打ち豆をつくる過程でつくるものです。

乾燥豆からつくる加工品

 日本の食文化を方向づけた、味噌、醤油、豆腐が第一に挙げられます。

 味噌には、調味料としての味噌と、嘗め味噌として、さまざまに工夫されたものがあります。豆腐を加工したものには、焼き豆腐、油揚げ、がんもどき、高野豆腐があります。

 また、豆腐をもとにしてつくる、和え衣、白和え、白酢和えの衣は、世界の美味に数えあげてよいかと思います。

 豆腐をつくる過程で生まれるものに、湯葉の類があります。汲み上げ湯葉、ひき上げ湯葉、巻き湯葉、干し湯葉。汲み上げ湯葉、ひき上げ湯葉は、まさに、畑のチーズの感があります。豆腐製造過程の最後にとれるものが、おからです。

 加えて、納豆、大徳寺納豆、きな粉、そして食用油。昨今では、人造肉までつくられるようになりました。

『辰巳芳子のことことふっくら豆料理―母の味・世界の味―』
(一九九一年 農文協)より

 豆を播ける子どもに

 私は昭和14年から24年という堪え難い時代を生きました。その時代を支える食べものに乏しかった時代。うちは幸いにも畑を耕していたから、飢えを知らなかったけれど、多くの家庭は飢えました。そのときの経験から、米と大豆があれば、なんとか生きていくことができる。そう思って、2004年に大豆100粒運動の会を作りました。

 この国は持たざる国です。日本の大豆の自給率は2016年時点で七パーセントと、大変低い。しかし、大人の社会の問題として、大豆増産を促進しようと動くと、必ず圧力が加わります。そういう圧力が入ることなく、大豆を、もとのあるべき姿にもどすには、子どもの手を借りるのが一番よいと思う。増産目的ではなく、豆を播ける子どもを育てておく。人間を育てておくための活動が大豆100粒運動です。

 この運動を始めたときはゼロだったのが、毎年約3万人の子どもが豆を播くようになった。もうじき5万人になるでしょう。

 この国が困窮したときに、豆を播ける人間は役に立つ。日本人は辛抱強い。万一の事態が起こったとしても、米と大豆があれば、たいていのことは乗り越えていけると私は信じています。

 子どもたちに、掌いっぱい、100粒の豆を播いてもらいたい。それは、必ずいつかどこかで芽吹いて国の力になるでしょう。

松本春野
絵本作家、イラストレーター。
1984年生まれ。多摩美術大学油画科卒。2016年、『おばあさんのしんぶん』(原作・岩國哲人)で第26回けんぶち絵本の里大賞アルパカ賞を受賞。祖母は絵本作家のいわさきちひろ

辰巳芳子
料理家。1924年生まれ。聖心女子学院卒業。家庭料理、家事差配の名手として今も語り継がれる母、辰巳浜子の傍らにあって料理とその姿勢を我がものとし、独自にフランス、イタリア、スペイン料理も学び、広い視野と深い洞察に基づいて、日本の食に提言しつづけている。「大豆100粒運動を支える会」会長、「良い食材を伝える会」会長、「確かな味を造る会」最高顧問