「異常な親」はなぜ生まれるのか? 湊かなえが“母性”を問う

文芸・カルチャー

更新日:2018/3/30

 長澤まさみ主演で放送中のドラマ『高校入試』で、はじめて脚本に挑戦している作家・湊かなえ。『往復書簡』(幻冬舎)に収められた「二十年後の宿題」は、現在公開中の映画『北のカナリアたち』の原案となっており、湊作品はテレビに映画と引っ張りだこ状態だ。

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 そんななか、10月31日に待望の新作『母性』(新潮社)が発売された。「これが書けたら、作家を辞めてもいい。その思いを込めて書き上げました」と述べるほどの自信作で、ある母娘の物語を軸に“母性”について真正面から向き合った大作である。しかし、湊といえばこれまでも、歪んだ母親の姿をたびたび描いてきたことはよく知られている通りだ。

 たとえば、鮮烈なデビューを飾り、映画も大ヒットした『告白』(双葉社)では、息子を溺愛するあまり、冷静に現実を直視できない母親が登場。息子が事件を引き起こした当事者であることを伝えられても、「本当に事件に巻き込まれていたのであれば、私がそれに気付かないはずがありません。(中略)私に黙っているはずもありません」と、母としての自分に間違いはないと自負する。そして、すべては担任教師のせいだと盲信。“はずれくじを引かされてしまっただけ”と考え、息子が不登校になっても、「ひきこもりの原因は家庭にある。その理屈で考えると、直樹は絶対に“ひきこもり”ではありません」と信じてやまないのだ。自分の理想と現実のズレを、かたくなに認めない。その態度は、まさしく“毒親”の典型例といえよう。最後に母親がどのような行動に出るのか……その結末は、ぜひ本作で確かめてほしい。

 また、田舎町で発生した女児殺害事件からはじまる“悲劇の連鎖”を描いた『贖罪』(双葉社)では、殺された女児の母親が、殺害前に居合わせた少女4人に向かって「あんたちがバカだから三年も経つのに犯人が捕まらないのよ。(中略)あんたたちのせいよ。あんたたちは人殺しよ!」と罵倒。さらに「時効までに犯人を見つけなさい。それができないのなら、わたしが納得できるような償いをしなさい。そのどちらもできなかった場合、わたしはあんたたちに復讐するわ」と言い放つのだ。この言葉が少女4人の運命を変えていくのだが、それもそのはず、少女たちはまだ13歳だ。この母親を“モンスターペアレント”と捉えることもできるが、それ以前に、“駄々をこねる子ども”にも近い、大人になりきれていない者が親になってしまった姿がそこにあるように思える。

 新作の『母性』の発刊を記念したインタビューで、湊は「誰もが「母性」を持ち、「母」になれるとは限らないのではないか。幸せな家庭で育ち、いつまでも愛するあのひとたちの子どものままでいたい、庇護され続けたい。「母」であるよりも「娘」であり続けたい、とどまり続けたい。そう思っている女性も、きっといるはずです」と述べている。そして、「『母性』を持っていないかもしれないと思ったとしても、「私は『母性』を持っていないんですよ」と開き直ることができない」と言う。母性という“神話”が、母親たちを追い詰め、苦しめている――毒親の存在が社会問題としてクローズアップされるいま、この小説が描き出す“母と娘”の姿に、議論されるべきテーマが隠されているかもしれない。