「釣り」の魅力はどこに? 開高健が遺した釣りエッセイ『魚心あれば 釣りエッセイ傑作選』

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/2

魚心あれば 釣りエッセイ傑作選
魚心あれば 釣りエッセイ傑作選』(開高健/河出書房新社)

“釣りをすると、いままで見えなかった川や、湖や、海のことが、じつにおびただしく見えてくる”

魚心あれば 釣りエッセイ傑作選』(河出書房新社)収録の「自然への希求」で開高健はそう言った。山登りも然り、目的をもつことで鋭い耳と大きな眼をもつことになるという。

 1989年に58歳で亡くなった開高健は、28歳で『裸の王様』で芥川賞を受賞。『パニック』や『輝ける闇』『夏の闇』など純文学作家の名作を書き残した。またベトナム戦争に従軍した『ベトナム戦記』や東京オリンピック開催下の東京をスケッチした『ずばり東京』など名ルポルタージュも多い。なかでも広く知られているのが『オーパー!』『フィッシュ・オン』などの釣りのエッセイである。『魚心あれば 釣りエッセイ傑作選』はそうした開高健の釣りエッセイを再編集した一冊である。

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「釣り」は、釣りを嗜まない人へその魅力を伝えることはなかなか難しい。「魚の引きが楽しいんでしょう」と思われがちだが、それは釣りの要素のごくごく一部、わずかな魅力の欠片でしかない。釣りだけに限らず、スキーやサッカーなど身体的な趣味において他者へその魅力を言語化するのは非常に困難なのである。

 それをいともたやすく言葉にしたのが開高健である。

 たとえば「魚の引き」について、開高は言う。

“釣師は魚に自身の投影を見たがっていて、闘志満々の魚に遭遇すると、糸という電線をつたってその気力がこちらにほとばしりこんでくるように感ずるのである”(『河は呼んでいる』)

 また《逃がした魚は大きい》という、あの有名な言葉でさえ、開高にかかれば、

“アレはオレだったと感じたい心の衝動にウズウズしている。(中略)敢然と状況に正面から立向かってみごとにそこをすりぬける気魄を見せた魚に自我を転移しているのである”(『つぎの大物』)

 と、またも自身を魚に投影する。

 釣りとは、水面下に泳ぐ魚のことを考え続け、魚になったつもりで行動を想像しながら釣り糸を垂れるのである。魚という自然界の生きものへ思いをめぐらし、自己と同一視することで自然と一体になる行為が釣りの魅力であると、この言葉から気付くのである。

 本書で目立つのはサケ釣り、いわゆるサーモンフィッシングについてのエッセイである。

 サケは産卵のために海から川へと遡上する。サケの卵を目当てにイワナも後に続き、産卵されたサケの卵をイワナが食べていく。卵を生み落としたサケは力尽き、川床に折り重なるように死んでいき川や山の養分となりプランクトンなどのエサになる。そして年が明け3月になると卵からかえったサケがプランクトンや、産卵期となったイワナの卵を食べて海へと降りていく。「輪廻」と呼ばれたエッセイは、まさに釣りをすることで目的のサケを知り、ひいては自然の輪廻がみえてきたのである。

 ページをめくるたびに膝を打つ開高健の慧眼、それらが豊かな言葉によって軽妙洒脱に紡がれていくエッセイの輝きは、彼の死後30年を過ぎても色褪せない。

文=すずきたけし

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