窮屈な価値観に縛られた女性たちの物語。女×女の名前のない関係に共感必至!

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/6

完璧じゃない、あたしたち
完璧じゃない、あたしたち』(王谷晶/ポプラ社)

 ストレスが溜まったとき、心を落ち着かせたいとき、とにかく何かにすがりたいとき、何度でも戻ってきたくなる本があるというのはいいものだ。『完璧じゃない、あたしたち』(王谷晶/ポプラ社)はまさしくそんな短編集である。

 本作には、女性同士のさまざまな関係が描かれた23編が収められている。友情もあれば親子関係もあれば腐れ縁もあれば恋愛もあるし、どう表現したらいいかわからないような関係もある。同時に、登場人物の女性たちは皆、女性であるということだけで周囲から向けられる窮屈な価値観に縛られてもいる。そしてその窮屈さにはいろいろな種類があって、縛られ方も窮屈さも人それぞれだ。だから大変なのだ。冒頭の一編「小桜妙子をどう呼べばいい」を読むとあらためて気付かされる。

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 小桜妙子、東京都大田区にて一人暮らし中の30歳。彼女は今、自分の一人称をどう呼べばいいか悩んでいる。私、あたし、妙子、俺、オラ……どの人称もしっくりこない。〈己のことは最早、小桜妙子と呼ぶ〉ほかないのである。便宜上〈わたし〉を使用しているが、自分にまったく合わない「わ」と「た」と「し」を発声することは、小桜妙子にとって相当の苦痛を伴うのだ。

 他人にあまり理解されない問題に悩む小桜妙子だったが、日本人の母とオーストラリア人の父を持つ女子大学生との出会いによって、人称問題にある解決を導き出すことになる。

 小桜妙子だけでなく、23編の中で描かれる女性たちはそれぞれ他人との出会いによって、それまで自分を閉じ込めていた世界の殻を破ったり、知らなかった新しい自分を見つけたりする。SFあり、コメディあり、ゾンビパニックものの戯曲まで揃った縦横無尽の23編の中で、いいも悪いも含めて、主人公たちはこの世界に新しい可能性を見つけていく。「女性の幸せ=素敵な男性と巡り合うこと」などという決めつけが否定されて久しいが、じゃあ一体どんな出会いがあるのかを23通りも提示してくれたのが作家・王谷晶なのだ。

 中でも筆者のお気に入りは「イエロー・チェリー・ブロッサム」。“ユースメイク”なる技術で肉体の若返りが可能になった世界が舞台だ。もうすぐ25歳になる語り手メグは、友人や同僚たちが次々と十代の姿に若返っていくのを見て、自身もユースメイクを考えるようになる。しかし、なぜか違和感を拭えない。

 若返りの実現というと先端的な世界のように見えるが、たとえばメグの職場の同僚たちは〈十五~十八歳のほうが優良物件ゲットできるんだって〉〈社長の奥さんもあれ、十四くらいでしょ。社長夫人狙うんだったらそこくらいまで戻さないとダメかなぁ〉と婚活トーク。女性に対する価値観が前時代的すぎるのだ。

 そんなある日、メグの前に、若返りをせず五十代くらいの姿でいる女性が現れる。彼女との出会いによって、メグの中に植え付けられていた価値観が揺さぶられていく。

 他にも、大麻で事務所をクビになった大物演歌歌手とその付き人を描いた「北口の女(ひと)」、酷暑の中、日傘をさした老女がとうとうと語り出す昔話と結末がたまらない「ばばあ日傘」、雑貨店の女性店員に恋するふたりの女性の攻防を描いた「しずか・シグナル・シルエット」等々、バラエティ豊かなラインナップが揃っている。

 一編一編が短いので気軽にサクッと読めるのも魅力。ふとした瞬間についつい戻りたくなる世界が広がっているのだ。

文=林亮子

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