数千万円を遺して死んだ身元不明の女性の人生に迫る、渾身のルポルタージュ

社会

公開日:2023/2/1

ある行旅死亡人の物語
ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣/毎日新聞出版)

 2022年2月、ネット上で「現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか」という前後編の記事が話題になった。官報に掲載された数行の行旅死亡人(病気や行き倒れ、自殺で亡くなったものの、引取人がいない身元不明者のことを指す法律用語)についての記事に、共同通信大阪社会部の記者が釘付けになったことが調査報道を始めるきっかけだったそうだ。官報にはこう書かれていたという。

行旅死亡人
 本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円
 上記の者は、令和2年4月26日午前9時4分、尼崎市●●●丁目●番●号■■荘2階玄関先にて絶命した状態で発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡。遺体は身元不明のため、尼崎市立弥生ケ丘斎場で火葬に付し、遺骨は同斎場にて保管している。
 お心当たりのある方は、尼崎市南部保健福祉センターまで申し出てください。
(※一部伏せ字にしています)

 アパートがある場所はJR尼崎駅と阪神本線の杭瀬駅の間、並木道が続く住宅街だ。その女性は「田中千津子」と名乗り、1982(昭和57)年3月から38年もの間この部屋に住んでいたという。しかし住民票がなく、身元がわかりそうな保険証や手紙などもなし。部屋にあったのは写真アルバムや、中に謎の数字が記載された星のマークが入ったロケットペンダント、大きなぬいぐるみなどだった。さらにダイヤル式金庫には三千万円以上の現金や通帳、貴金属などがしまわれていたという。そして右手の指が全て欠損しているという身体的特徴があるにもかかわらず、警察では身元が判明せず荼毘に付されたというのだ。

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 記者は遺品の写真や物を手がかりに丹念に取材を重ねていく。女性が住んでいたアパートの大家、スナップ写真に残された旅行先と思われる場所、一緒に写真に写る男性の身元、部屋にあった製品の型番……そしてようやく辿り着いたのが、労災事故で入院したカルテに残された「『23歳まで広島におり、3人姉妹がいた』と話していた」という記述、田中姓の印鑑に混じって残っていた“沖宗”という珍しい苗字の印鑑だった。記者は情報を辿って広島へ向かい、関係者と思われる人や関係先を虱潰しに当たっていく。するとついに田中千津子さんの身元が判明する……ウェブ記事ではここまでの過程を記していたが、「なぜ広島を出て、その後どんな生活を送っていたのか」「年齢を偽っていたのはなぜか」「アパートを契約するなど関係が深いと思われる田中姓の男性は誰なのか」「どうして大金を持っていたのか」「なぜ人付き合いをせずに暮らしていたのか」などの謎が残された。

 このネット上で公開された記事が『ある行旅死亡人の物語』というタイトルで一冊の本としてまとめられた。本書は行旅死亡人の官報を見つけた発端から身元が判明するまでの記者2人による取材が時系列で細かく記録され、記者の心の揺れ動きなども含めた記述となっているため、取材先での思わぬ収穫や空振りなど、取材に並走しているような気持ちになり、先を知りたくなってページをめくる手が止まらなくなる。さらに本書ではウェブ記事で書かれなかったその後や、残された謎についても丹念に調べ上げ、「そうであったかもしれない事情」を斟酌するところまで漕ぎ着けている。

 かすかな点と点をつなぎ、細い線となった先を手繰っていくと、警察も、相続財産管理人の弁護士から依頼された探偵さえも辿り着けなかった田中千津子と名乗った女性の生きた痕跡が見つかり、少しずつ人生が肉付けされていくように明らかになっていく。もちろんわからないことも残されてしまうが、証拠がほとんどない状態からよくぞここまで、という内容に感服することだろう。やはり人生は人との関わり合いで成り立つものなのだな、と深く感じ入るルポルタージュであった。

文=成田全(ナリタタモツ)

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