なぜかこの家には、さまざまな人たちがやってきて暮らしはじめる――。風変わりなのに共感できる家族の物語

文芸・カルチャー

公開日:2023/5/24

小戸森さんちはこの坂道の上(角川文庫)
小戸森さんちはこの坂道の上(角川文庫)』(櫻いいよ/KADOKAWA)

「血は水よりも濃い」という諺がある。血のつながりは他の人間関係よりはるかに強いという意味だ。一方で「遠くの親戚より近くの他人」というものもある。これらの例だけでなく、家族や親子に関する言葉は実に数が多く、定義もさまざまだ。大切なのは血縁の間柄か、心と心の結びつきか、生まれか、それとも環境か。どれが正しい、どれが正しくないというものではなく、家族のかたちは多種多様で「これが正解」なんてものはない、ということなのだろう。そんなことを本作『小戸森さんちはこの坂道の上(角川文庫)』(櫻いいよ/KADOKAWA)を読みながら思った。

 主人公はフリーランスのWebデザイナー、小戸森乃々香だ。祖母が旅行に出かける間、坂道の上にある一軒家を管理することになり、しぶしぶ郷里へ戻ってくる。海沿いにあるこの町で乃々香は少女時代を過ごしたが、決して住み心地のいい場所ではなかった。そんな彼女が当時、唯一心を開いていたのが幼なじみの清志郎だ。初恋相手でもあった彼が、2人の子どもを連れてこの家に押しかけてきたことから、嵐のような同居生活がはじまってしまう――。

 乃々香のモットーは「ストレスフリー」に生きること。気の合わない人とは距離をとり、適度な広さで浅い付き合いをするのを旨としている。他人に干渉しない代わり、干渉されたくもない。そんな生き方を好むようになったのは、家庭環境が少なからず影響している。

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 人気キャスターだった母親が既婚男性と交際し、その結果生まれた乃々香は、幼い頃から「不倫の子」と呼ばれていた。同情の体をとった憐れみ、偏見と好奇のまなざし……。それらにさらされてきた彼女にとって他人と距離を置くことは、ある種の自衛のようなものなのだろう。心のドアを閉じ、快適な孤独のなかで生きるのが、一番安全な方法だと。けれど、その日常が清志郎親子、さらに彼の友人で料理上手の漸、さらにさらに小戸森家を訪れる色々な人びとによってかき乱される。

 世代も性別も価値観も異なる他人同士が一緒に暮らすのは大変だ。清志郎の子どもたち(10歳と8歳)にはどう接すればいいのか分からないし、よく知らない人である漸の手料理を毎食いただくのも妙な感じがする。なによりいつもそばに誰かの気配がすることは、非常に落ち着かなくてストレスがたまる。

 そんな彼女のドアを、彼ら同居人たちは開けてゆく。無理やりこじ開けるのではなく、少しずつ時間をかけて。乃々香の方から招じ入れてくれるようになるまで、のんびりと。

「この坂道をわざわざ登ってやってきた相手くらいは、一度迎え入れてみたら?」

 漸が乃々香にかけるこの言葉が、物語のテーマを表していると思う。

 作者は孤独を否定していない。ひとりで在ることは寂しくて、誰かと居ることこそが素晴らしい、という安易な着地点に読者を導こうともしていない。ひとの生き方や価値観、家族観はひとそれぞれで、それぞれのちがいを尊重しつつも押しつけ合わず、共生していけたら……という切実な思いが伝わってくる。

 のんびり屋の清志郎と辛辣家の漸という、対照的な男性ふたりの間でほんのり心がゆれる乃々香の姿も微笑ましい。恋愛要素の絶妙なさじ加減は、さすが大人気恋愛小説『交換ウソ日記(スターツ出版文庫)』(スターツ出版)の作者ならではというところ。

 風変わりなようでいて共感せずにいられない「家族」の物語。けーしん氏による、さわやかな風が吹き込んでいるかのような表紙イラストがまた、すてきなのだ。

文=皆川ちか

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