ゲームがタダでできる時代でも、ゲーセンが無くならない理由とは? 逆風のなか成長を続ける「ゲーセンミカド」の秘密

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更新日:2023/7/7

ゲーセン戦記 ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀
ゲーセン戦記 ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』(池田 稔、ナカガワヒロユキ/中央公論新社)

 古いゲームばかりを置くゲーセンに、新しいお客さんが増える――。

 これは実際に「ゲーセンミカド」というゲームセンターで起きてきた話だ。そしてお客さん増加の理由は「レトロゲームのブーム」なんて言葉で片付けられるものではない。

 それは経営者が試行錯誤を重ねた結果であり、またゲーセンという場に非常に面白いカルチャーが息づいていたからこそ、だ。そんなことが、「ゲーセンミカド」経営者・池田稔氏の著書『ゲーセン戦記 ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』(中央公論新社)を読むとよく分かる。

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25年間で85%のゲーセンが閉店。その中で成長する「ミカド」の秘密

 池田氏は1974年生まれ。小学生の頃からゲーセンに通い、19歳でゲーセン店員になって以降は業界関係の仕事を続け、30歳で独立。その後、歌舞伎町のゲーセンを600万円で買い取り、現在は高田馬場と池袋で計3店舗のゲーセンを経営するゲーセン文化の生き字引のような人物だ。

 その著書では、1986年に約2万6573店舗あったゲーセンが2020年には3931店舗と、実に85%以上が閉店……という数字も明かされていたが、そんな大逆風のなかでも「ゲーセンミカド」が成長できた背景には、冒頭に挙げた「古いゲーム」の活用があった。

 著者は最新のゲーム機ではなく、古いゲーム機で勝負した。そして「最新ゲームじゃなくても熱狂的なファンとコミュニティがあるゲームを大切にすることで、お客さんはついてきてくれる」という確信を得た。

 そのコミュニティを築くうえで活用されたのがネット配信という「今」のカルチャーだ。「ゲーセンミカド」のYouTubeのチャンネル登録者は今や10万人だが、お店でライブ配信をはじめた頃は、視聴者数の増加に伴いお店に来るお客さんも増えていったそうだ。

 タイトルに「戦記」という言葉が入っているように、本書はゲーセン経営者の「戦いの記録」でもある。今を生きる経営者の著書として読んでも非常に学びの多い内容となっている。

89年発表のゲーム機が今も毎週2万円、通算で3000万円を稼いでいる!?

 そして当然、ゲーセンのプレイヤーから店員~経営者になった著者ならではの、ゲーセンの内情を綴った逸話もすこぶる面白い。

 ネットのない時代、店舗に置かれたノートがコミュニケーションの手段になっていて、「下井草のほうに強いやつがいるぞ」といった情報をもとに店舗に足を運んだ……という話。

 ゲーセンのカリスマ店員は「自分の客」を持っていて、カリスマ店員のいる店舗にカリスマプレイヤーが集まり、ゲームの全国ランキングに店舗が入ることで、お店が有名になる流れが80年代からあった……という話。

 現在のUFOキャッチャーは「○回プレイに1回」という確率でアームの強さが変わったりする「確率機」だが、昔は店員がバネをいじってアームを調整するなどして原価率を調整していた……という話。

「ゲーセンミカド」の池袋店では1989年発売の「上海II」という麻雀牌パズルゲームが稼ぎ頭で、週間平均2万円、30年で3100万円というマイホームを買えるような金額を稼いでいる……という話。

 こうした逸話は門外漢の読者ほど面白く読めるだろう。なお本書の聞き手・構成の「ナカガワヒロユキ」氏は、小説家・海猫沢めろん先生の別名義。面白いだけでなく文章がすこぶる読みやすいのも本書の魅力だ。

時代の流れと切り離されたゲーセンは「文化的な豊かさ」の象徴

 そして個々の逸話の積み重ねから立ち上がってくるのが、ゲーセンという場で育まれるカルチャーの独特な面白さだ。

 著者は本書で「家で(ゲームの)基盤を買ってプレイすると、なぜかそれほど面白くない」と書いていたが、ゲーセンに人が集まるのは、「プレイするゲームが面白いから」だけではない。その空間と、そこに集まる人たちと、その人たちが育むカルチャーに魅力を感じているからこそ、だろう。だから、スマホでゲームがタダでできる時代でも、ゲーセンはなくならないのだ。

 著者は新型コロナウイルスの流行下で、ゲームセンターは休業要請に応じても協力金が貰えなかったことを書いていたが、ゲーセンも文化施設の一つとして支援を行うべきなのでは……と本書を読むと感じられた。著者の言葉を借りれば、「時代の流れと切り離されている場所が、ずっと存在していられることこそ、文化的な豊かさの象徴である」はずだから。

文=古澤誠一郎

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