他者との“ズレ”を正してくれる何かを求める人へ。墓守の青年が持つ「花の種」が物語をつなぐ連作短編集『うるうの朝顔』

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/21

うるうの朝顔
うるうの朝顔』(水庭れん/講談社)

 人生において、何らかの“ズレ”を感じる瞬間がある。あの日、あのタイミングで、あの場所で、「何かがズレた」と。しかし、そう感じるのは、いつも“ズレ”が起きた後だ。中には、そのことに気付かないまま、漠然とした違和感を抱えて生きている人もいるだろう。水庭れん氏の新著『うるうの朝顔』(講談社)は、そんな人たちを主人公とした、全5章からなる連作短編集である。

「うるうの朝顔」とは、「咲かせた人の『ズレ』を正す花」である。咲かせるのに必要なのは、使用者の強い感情が宿った器と土壌、そして液体。これらは、常識的なものでなくても構わない。第4章に登場するひまりは、パレットと色水、千切った画用紙で「うるうの朝顔」を咲かせた。

 この不思議な花の種を持つのは、日置凪。霊園で墓守の仕事をしている。言葉や感情に敏感で、「どうして」の問いを常に忘れない凪は、出会った人の“ズレ”を感じるごとに、相手に「うるうの朝顔」の種を渡す。

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 個人的には、第3章「汐の種」が、特に印象に残っている。凪から「うるうの朝顔」を託されたのは、男鹿三多介(おが みたすけ)。彼は、常に深い後悔と懺悔を抱えていた。酒に酔うことでしか、その感情を紛らわせないほどに。

 ある日、三多介は酒に酔い、霊園のベンチで居眠りをしていた。その身を案じて凪が声をかけたことから二人は知り合い、再び霊園に赴いた三多介は、凪に昔話を切り出す。三多介の昔話には、寂しさと贖罪の気持ち、そして、汐の香りが詰まっていた。

 三多介は、岩手県の港町で生まれた。学生時代、三多介には、マサと雪枝という友人がいた。三多介とマサは同級生で、学年違いの雪枝が引越してきて以来、3人は多くの時を共に過ごした。しかし、ある日を境に、雪枝は二人の前から姿を消してしまう。三多介とマサは心当たりを探すも見つけられず、最後の手段として雪枝の家に忍び込む決断をした。だが、その夜二人は、雪枝の家で想像だにしない光景を目の当たりにする。この夜を境に、3人の運命は大きく変わった。

 何かが“ズレる時”は、人の悪意が絡んでいる場合に限らない。圧倒的な善意、「何かを守りたい」と強く願った時もまた、往々にして大きな“ズレ”を生む場合がある。その夜の出来事を、三多介は誰にも話したことはなかった。友人のマサによく似た、凪と出会うまでは。

 昔話を聞き終えた凪は、三多介にこう問いかける。

“「もしも司法には下せない審判があるとしたら、一体誰が結論を出すんですか?」”

 難しい問いだ。司法は、人を守るためにある。しかし、司法には穴がある。そこから取りこぼされた人を救うために、誰かが何らかの罪を犯したとしたら、それは果たして“罪”だろうか。誰しも、越えてはならない一線というものがある。それでも、司法だけでは裁ききれないものが、この世の中には多すぎる。三多介とマサ、雪枝は、その歪に落ちた。それぞれ立場は違えど、本来背負う必要のない痛みを背負わされた点においては、3人とも同じだった。子どもは、自分の環境を自分の意志だけでは選べない。

 全5章の物語は、ゆるやかにつながっている。登場人物はそれぞれ異なるが、共通しているのは、みなが何かしらの不協和音や矛盾を抱えて生きている点だ。凪が「うるうの朝顔」の種を持っていた理由、なぜ自分で使わずに他人に種を託すのか、その謎は、物語後半で明らかになる。

 私は最初、「うるうの朝顔」の種を、過去をやり直せる魔法の種だと思っていた。でも、そうではなかった。むしろ、過去を正しく受けとめ、これから先の未来に対する覚悟を促す種であった。

 ほんの一瞬、ほんの少しのズレが、人生を大きく変える。それでも、過去は誰にも変えられない。だから私たちは、「ズレがあったこと」を受け止めて生きていくしかない。

 読みながら、登場人物たちと共に、自身の過去も巻き戻るのを感じた。そこには当然、痛みが伴ったが、エピローグを読み終えて現実に戻ってきた瞬間、今の自分が持っているもの、手放したくないものが目の前にドッと迫ってきた。本書を通して、過去と現在を見つめる時間を持てたことで、私の中の“ズレ”も正されたのかもしれない。

 この感覚を忘れずに生きていこうと思った。ズレのすべてを誰かのせいにはせず、かといって必要以上に己を責め抜くでもなく、まっすぐに事実だけを見据えて歩いていく。その繰り返しの先にしか未来はないのだと、この不思議で温かな物語が、静かに教えてくれたような気がした。

文=碧月はる

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