会話がただの「情報のやりとり」に? コミュニケーションの探究者たちが考える本当の「聞くこと」と「話すこと」

暮らし

公開日:2023/6/29

聞くこと、話すこと。~人が本当のことを口にするとき
聞くこと、話すこと。~人が本当のことを口にするとき』(尹雄大/大和書房)

「わかりやすく話す」ということは、特に効率や生産性に重きを置くビジネスにおいては最重要課題であるように感じます。しかし、そればかりが日常に溢れてしまうと、コミュニケーションがただの「情報のやりとり」に陥ってしまうことを考えさせてくれるのが、『聞くこと、話すこと。~人が本当のことを口にするとき』(尹雄大/大和書房)です。

 作家、インタビュアーである尹雄大(ゆん うんで)氏は、4名の人物との出会いをもとに本書を構成しています。その4名とは、2022年にアカデミー賞で国際長編映画賞等を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の監督・濱口竜介氏、沖縄の未成年の支援、調査に精通している琉球大学教授・上間陽子氏、コミュニケーションケア技法「ユマニチュード」創始者であるイヴ・ジネスト氏、建築家やアーティストなどマルチな才能を持ちつつ自殺志願者の相談に乗る「いのっちの電話」を運営している坂口恭平氏です。なお対談集ではなく、4名とのやりとりを思い返すという形式になっています。

advertisement

「わかりやすく話す」のは、プレゼンテーションの場などで役立つ、たしかに磨く価値のある大事なスキルです。しかし、じっくりと腰をすえた対話の場においては、「完全に理解する」ことを目的とすべきではないというのが尹氏の見解です。「言うこと」ではなく「言わんとすること」、つまり、言外の響きを大切にする、ということです。

 約3時間という長尺ながら大ヒットを記録した『ドライブ・マイ・カー』は会話量がとても多く、セリフの「響き」にとても重きを置いており、「はじめて言われ、聞かれたような状態」がカメラの前で起こることが演出において目指されたといいます。濱口氏の演出論を参照した上で、尹氏は「共感ベース」の聞き方に対して注意が必要だと説きます。つまり、「聞こう」と意識しすぎると「聞けていない」という結果になり得るということです。

理解と呼ばれる行為が「つまり、あなたはこういうことを言いたいんですね」という言明に置き換え可能なものであれば、それは“回収”であって聞くことではない。もしくは自分が理解できるものを相手に見出していると言えるけれど、それは投影であって理解とはほど遠い。

「あなたはこう言いたいんですね」の言葉の代わりとなるのは、「あなたのことを知りたいんです」という姿勢だといいます。「伝える」「伝わる」を目指すのではなく、「本当のこと」を口にしてもらう(それが理解できるかどうかは重要ではない)。これは、「苦しいときには電話していい」と自分の電話番号を公開している坂口氏の姿勢と同様です。

 別章で紹介されているユマニチュードの第一人者イヴ・ジネスト氏と尹氏が食事をしたときの話題は、「自分に重心を置き、自分の選択によって、自分の感情を紡ぎ出す」ことのできる人が現代において稀少になりつつあることを示しています。

「私がものごとを決める。このシンプルさに立ち返るとき、人は恐怖から離れ、人生は開かれる」

ユマニチュードを解き明かす上で非常に示唆的な話だった。ケアを行う根本には、怖れを捨てることが欠かせない。いや、その姿勢はケアに限ったものではなく生きることに関わることかもしれない。

「怖れ」というのは、職業や地位、そしてSNSやメディアなどの複合的要因が個人の心理に与える「こうでなければならない」という圧のことです。上間氏が調査しているのは、虐待や暴力によって「怖れ」の影響を受けている人々が主な対象で、その輪郭と構造を浮き彫りにすることで「まだ語られていないこと」を聞き出し「自分の感情」が取り戻されるまでの長い道のりを著書などで説いています。

 このように4者のアプローチはそれぞれ通底するものがあります。加えて尹氏自身が実践している「ただ話を聞く」という方針のインタビューセッションの経験も巻末で語られており、そのうちのどれかから読者は必ず「こういう話し方、聞き方があるのか」という発見ができるでしょう。

文=神保慶政

あわせて読みたい