「賛否両論」は中身ゼロの便利ワード!? 極端な解釈や、切り取り、偏向報道などにズバズバ物申す 『反逆コメンテーターエンドウさん』で情報社会を生き抜く目を養う

マンガ

更新日:2023/8/29

“この漫画は「こんなコメンテーターがひとりぐらいいてもいいのでは」という願いのもとに描かれたものである。”

 という文言から始まる『反逆コメンテーターエンドウさん』(洋介犬/KADOKAWA)は、白髪をオールバックに掻き上げ、皺の寄った眉間に厳しい目つきのおじさん=エンドウさんというコメンテーターが主人公。彼が毅然とした態度で、世にはびこる偏った報道や間違った情報の流布に、テレビ的なしがらみにおもねることもなく、ズバズバとド正論を突きつけるマンガだ。

『反逆コメンテーターエンドウさん』を試し読み

advertisement

 このマンガを読めば、きっと今まで何となく受け入れていた世の慣習を見つめ直し、違和感に気づくことができるはず。気になった話をいくつかピックアップしたので読んでいただきたい。

「賛否両論」耳当たりの良いワードを見つめ直す

反逆コメンテーターエンドウさん

 「賛否両論」と聞くと、いかにも多くの議論が交わされており話題になっている感が出るため、非常に便利なワードである。どんな素晴らしい音楽でも人類の100%が好むものはないという話があるように、どんなコンテンツも必ず賛否は存在するのである。よく考えると違和感があるのだが、耳当たりの良い言葉を何も考えずに受け取ってしまう良い例だろう。

「みんな全裸で頭にう●こを乗せていたんだな!?」

反逆コメンテーターエンドウさん

「あるところにかわりものの男がいました。いつも全裸で頭にう●こをのせていました」という昔の文献を見た研究者が、「そうか! この時代はこれが常識で! みんな全裸で頭にう●こをのせていたんだな!?」と結論づけるシーンだ。

 切り取り方ひとつで何とでも言えてしまう、という最たる例かもしれない。ただし、この場面では1コマ目に「かわりものの男がいました」と言っているのに、研究家が「これが常識」「みんな」と結論付けしている。つまり、切り取り方もおかしければ、文脈の解釈もおかしい、という二重のミスを犯しているのだ。情報の受け取り方は慎重にするべきだと教えられる。

「ペンは剣よりも強し」に続きがあった!?

反逆コメンテーターエンドウさん

反逆コメンテーターエンドウさん

 エンドウさんが謎の人物に「報道によってある人物を抹殺することは可能か?」と解いているシーンである。相手は答える。「可能だ、可能すぎる」と。過去の発言の穴となるものを探し、「編集で印象操作し、それを誇大に報じれば世間が抹殺してくれる」と。

 このマンガの最も言いたいことを端的に表しているのは、まさにこのページなのではないか。

“ペンは剣よりも強く、ハサミ(編集)はそのペンを研ぐ”

 言葉は暴力に勝るが、その言葉をさらに鋭利なものに、より殺傷力のあるものにしてしまう力が報道などの編集にはある。その恐ろしさに、我々はどのように身を守れば良いのだろうか。

WEB記事のタイトルに注意!?

反逆コメンテーターエンドウさん

 いくら記事の中身が素晴らしくても、タイトルが魅力的でなければ誰も読んでくれないため、誰も評価してくれない。だからタイトルを少し大袈裟にして人の気を惹かなければならない。大袈裟にしすぎるのは良くないが、自分が正直で謙虚なタイトルをつければ、別の記事に読者を奪われてしまう……。このジレンマからWEB編集者は抜け出すことができるのだろうか?

エンドウさん、アンチに襲われる!? ただの4コマ漫画集ではない人間物語

 ズバズバと正論を突きつけるコメンテーターが、世事をばっさばっさと斬っていくことのみをメインにした4コマ漫画集かと思えば、そうではなかった。第二章ではエンドウさんが何者かに襲われ……と、急展開もある。また、その機会には、エンドウさんのことを嫌いだと公言していた毒舌タレントのケンジロンが、治療費を全額支払うと申し出るなど、キャラ同士の展開に動きもあり、ただの4コマ漫画集ではないことに気がつく。嫌いな相手をなんとしても生還させようとする、その理由も人間臭くていい。

 主人公であるコメンテーターエンドウさん以外にも、前述した毒舌タレントのケンジロンのコメントも的を射ていて、思わず膝を打つ言葉も多く、是非注目していただきたい。

反逆コメンテーターエンドウさん

 2巻が8月21日に発売される。エンドウさんやケンジロンの言葉に耳を傾け目を向け、氾濫する情報を精査する力を養っていくのはいかがだろうか。

文=奥井雄義

あわせて読みたい