令和版『バトル・ロワイヤル』と思っていたら首謀者も死亡? 同窓会で監禁された27人が「性善説」を実験されるマンガ

マンガ

更新日:2023/11/10

なれの果ての僕ら
なれの果ての僕ら』(内海八重/講談社)

 私は小中高の同窓会に行ったことがない。小学校のいじめ、中高の仲間はずれ。20年経ってもまだ覚えているのかと驚く人もいるかもしれないが、いじめや仲間はずれをした側(加害者)は忘れていても、された側(被害者)の心の傷はいくら時間が経っても癒えないことがある。いまだに当時の苦しみを生々しく思い出してしまうのだ。

 私は「いじめっ子」「いじめられっ子」という言葉を使わない。いじめは犯罪行為につながるものでもあるので、「加害者」「被害者」という呼び方をしている。

 小学校の同窓会で集まった若者たちと教師、合計27人が、凄惨な監禁事件に遭ったという冒頭で始まる『なれの果ての僕ら』(内海八重/講談社)を知っているだろうか。その時点で事件の概要と死亡者の人数と死亡者がどのようなかたちで命を落としたのかがわかり、時をさかのぼって「だれ」が「なぜ」死んだのかが明かされるという構成である。

advertisement

 事件を起こしたのは、明るくて人気者だったみきおである。みきおが、かつてクラス全員が通っていた学校で同窓会を主催、集まった生徒たちと教師を監禁し、みきおは彼らに生き残りをかけたいくつもの実験を課す。逃げることのできない状況のなか、極限状態の彼らは追い詰められて本性を露わにしていく。小学生時代を振り返り、主人公のネズは最高のクラスだったと述べるが、決してそうではなく、いくつものいじめが水面下で行われていたことも明らかになる。

 被害者はいじめを覚えているのに、加害者は忘れている。これはリアルの世界と同様である。クラスで1人だけが生き残れるというルールのある『バトル・ロワイヤル』(高見広春/太田出版、幻冬舎)、サイコキラーの教師が生徒を皆殺しにしようとする『悪の教典』(貴志祐介/文藝春秋)に並ぶサバイバル作品だが、こうした過去のいじめに対する当事者の気持ちも描かれることによって、本来、人間が持っているものは悪なのか善なのかという大きな問いもなされている。そして徐々に、加害者は元クラスメイトや教師を監禁したみきおだけではなくなってくる。

 いじめに遭った人物は、自分を苦しめた加害者をこの実験を利用して殺害したり、または許したりする。いじめの内容を聞いて「それだけ?」と聞いてくる第三者がいるのも現実的だ。いじめによってどれだけ苦しめられたかは被害者しかわからないのだ。監禁中、それぞれの人間関係も大きく揺さぶられる。全8巻ですべての謎は解き明かされ、結末は事件から2年後、生き残ったクラスメイトたちが、今は校舎が壊され空地となった場所で再び同窓会をするのだが、三度ほど、この漫画のラストを読んで疑問を抱いた。

 生き残った登場人物のうち、2人がいないのだ。

 1人は逮捕されて服役中の可能性もあるが、この2人に対して集まったメンバーは言及すらしない。2人はたしかに監禁中に本性を露わにしたが、それはこの2人だけではない。そう思ってはじめから読み返すと、小学生時代、この2人はいじめの被害者側にいた。本作は今年(2023年)6月から9月までテレビドラマ化もされており原作漫画にほぼ忠実だったが、いろいろな捉え方ができるこの結末は原作漫画ならではのものだ。

 首謀者のみきおが元クラスメイトを監禁した理由は、「人の善は極限状態でどこまで耐えられるか」という実験をしたかったからだ。つまり人が生まれながらに持っているのは善だと考える「性善説」と、逆に悪だと考える「性悪説」を実証したかったのだと考えられるが、生存者の2人に言及もしない2年後の彼らが本来持っていたものは、本当に「善」だったのだろうか。それとも……。

 もしかするといじめられた経験があるかないかで、結末に対する感じ方も変わってくるかもしれない。自分は性善説と性悪説、どちらを信じているかがわかる、リトマス紙のような漫画である。

文=若林理央

あわせて読みたい