「お母さん、殺しちゃおうかな」“母親の支配”から友人を守るため、中学生の主人公が激情の渦に飲み込まれるサスペンス・コミック『最果てのセレナード』

マンガ

PR公開日:2023/10/28

最果てのセレナード
最果てのセレナード』(ひの宙子/講談社)

 親は、基本的には子どもを想う生き物だ。しかし、例外もある。親が抱く“想い”が、必ずしも子どもの未来を照らしてくれるわけではない。愛情と執着は違う。見守りと束縛は違う。その違いがわからない人間が親になると、「教育」と「洗脳」がいともたやすくすり替わる。

 ひの宙子氏によるコミック作品『最果てのセレナード』(講談社)は、主人公・律の中学生時代の記憶と10年後の現代が行き来するサスペンスである。律の友人である小夜は、幼い頃からピアニストになるための英才教育を受けていた。小夜の母親・明日子は、自分が叶えられなかった夢を娘に押し付け、弾き方をも強制した。小夜はそんな母親に従順で、決して逆らおうとはしなかった。律と出会うまでは。

 小夜と律が出会ったのは、小夜が東京から北海道の片田舎に転校してきたのがきっかけだった。律の母親はピアノ教室を営んでおり、転校後、律の実家にレッスンに通うこととなる。小夜は人と距離を置こうとするところがあったが、天真爛漫な律にはすぐに打ち解けた。コンクール地区予選を間近に控えた時期、律に「白石さん(小夜)が弾くピアノを聴きたい」と言われた小夜は、はにかんでこう答えた。

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“わたしのを聴きたいって言われたのはじめて”

「小田嶋さん(律)のために弾く」と宣言した小夜は、はじめてコンクールで自分の感情を豊かに表現した。普段は物静かな小夜の剥き出しの感情を目の当たりにした律は、その表現力に圧倒され、「自分も小夜に何かを返したい」と熱い想いを抱く。しかし、その後に迎えたレッスンの日、明日子はピアノ教室の先生である律の母親にこう言い放った。

“本当に申し訳ありません。あんなピアノを弾かせてしまって――”

 小夜の母が娘に求める演奏は、「きれいで上手で音楽をよく理解していて、きちんと表現できている」ものであり、小夜本人の豊かな感情や独創性を表すものではなかった。

 中学の音楽室で、小夜はきれいな笑みをたたえてこう言った。

“お母さん、殺しちゃおうかな”

 それは、ふっとこぼれてしまった小夜の本音であり、願いであった。小夜の憔悴を目の当たりにした律の中に、やがて黒い感情が芽生える。明日子に対する殺意。それは律の中で大きく育ち、具体的な方法を思案するようになっていく。

 そんな折、三者面談の場で明日子が律の母を愚弄したことで、律は思わず声を荒げた。小夜の将来を独善的に支配することも、自分の母親が蔑まれたことも、律は許せなかったのだろう。

“まともな親なら自分で選ばせるっ”

 しかし、小夜の母はそれに対しこう怒鳴り返した。

“私の小夜を壊さないで頂戴!!!”

 この台詞を読んだ瞬間、悪寒が走った。我が子の名前を呼ぶとき、枕詞に「私の」をつける暴力性に、この母親は気付いていない。母親と子どもは違う生き物で、まったく別の個体なのだ。それなのに、小夜の母は娘を「私の」ものだと思っている。もっといえば、「私の思い通りの形につくれる人形」だと思っている。だから、その形を変えようとする者を許さない。小夜自身が望む形を知ろうともしない。

 この日の夜、小夜は行方不明になった。雪の降る寒い日だった。律は必死に二人の思い出の地を辿り、どうにか探し出す。そこには、手が凍傷になるほど冷え切った小夜の姿があった。同じ日の夜、小夜の母親もまた、行方不明となった。

 それから10年の月日が流れ、律は週刊誌の編集者として働いていた。そんな彼女のもとに、母親から1本の電話が入る。それは、「土砂崩れが起きた場所から人骨が発見された」という知らせだった。

「愛情」を免罪符に子どもの心を壊す親は、なぜか気付かない。壊したぶん、壊される可能性があることを。

 本書の続編を待ち望んでいるのは、単にストーリーの「続きが気になるから」だけではない。律と小夜が何を想い、何を抱えて、この10年を生きてきたのか。そして、これから先の未来をどのように生きていくのか。それを見届けたいからだ。何かを守るために何かを壊す。その決断が「正しい」とは言えないが、「間違っている」とも言い切れない。一番間違っているのは、子どもを「守り育む」意味を大きく取り違えている大人たちなのだから。

文=碧月はる

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